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第5話 私と君の居場所 01




 放課後、私は美術準備室で、絵に関する教本を読んでいた。

 今の私にとって、この場所が一番落ち着く場所だったから。

 基本的に読書も勉強もここで行うことにしていた。

 もしも美術がまったく関係ない勉強を行うとしても、私はここで勉強するだろう。自室よりも『居場所』という感覚がするという意味で、やはりここは私にとって特別な場所だった。

 なのにここ最近、この居場所に私以外の女の姿があった。



「…………………………」

「…………………………」



 ソファという定位置に仰向けで横たわって、スマホをイジっているのは牧野だった。ブレザーの下にカーディガンを着こみ、おなかの上にはお徳用のチョコレートのパックが乗っかっている。牧野を観察するようになってから知ったのだけど、牧野はその身長どおり、とにかくデカいものが好きだった。お徳用とか、パーティ用とか、そういう単語に目がないようなのだ。


 そして他の女子の例に漏れず彼女は漏れなく甘いものが好きだ。

 その結果として彼女のカバンの中にはいつも徳用のお菓子が入っているのだった。

 スマホから視線をあげた牧野が私の視線に気づいて口を開く。


「休憩?」

「あー、そうな。そうするかな」


 かれこれ一、二時間は教本を読んでいた気がする。

 眉間や目に痺れるような違和感があったから、少し休憩することにした。何時間もぶっ続けで集中するのには慣れていたけど、紙面に並ぶ小さな文字を追っていくのはどうにも苦手だ。


 やはり私の目や脳は『細かな文字』ではなく『全体としての構図』を掴むのが好きらしい。


 私は部屋の隅の机に教本を放ると、椅子の上でグッと伸びをした。

 相変わらずの運動不足が祟って、背中側の骨や筋肉がパキポキ悲鳴をあげる。


 なにが面白いのか、牧野は「おー!」と子どもみたいな歓声をあげて拍手をしていた。


「ひとの運動不足に拍手を送るな、バカ」


 と、だいぶ容赦がなくなった口調で牧野に告げる。

 牧野が準備室に入り浸るようになったせいで、イヤでも距離感が縮まってしまっていた。


「絵、描かないの?」


 それから牧野は私のツッコミを無視して、唐突にそんな疑問を投げかけてきた。


「えっ」


 まさか牧野がそんなことを尋ねてくるとは思ってもみなかったから、私の口からは奇妙な声が漏れてしまう。と言うのも、それはここ最近、私が描いている絵の内容が問題だった。


 だから私はどうにかごまかそうと「あー……」と呻きながら頭の中を整理する。


「前も言ったけど、しばらくは絵の勉強するつもりだよ。基礎から学び直すって言っただろ」

「あー、そっか。言ってたかも」


 牧野はさして落胆した様子もなく、淡々とした調子で呟いた。


 ……なんとかごまかせたか?


 彼女がそれ以上追求してこないことを確認して、私はホッと胸を撫でおろす。


 ……と言うか、なんでこいつは入り浸ってんだ。


 我が物顔でソファを占拠しているせいでツッコむのが遅れたけど。私はどうせソファなんて使わないから、べつにソファを占拠する分には構わない。だけど、そんな所でぽちぽち当てもなくスマホをイジるくらいなら、友だちと遊んだりしてればいいのに、なんて思ってしまう。


 最初は『二、三日もすれば飽きるだろう』と甘く見てたけど。

 かれこれ一週間近く牧野は準備室に居座り続けているのだった。


 べつに文句があるわけではないが、理由があるなら聞いておいたほうがいいだろう。


「……なんで入り浸ってんの?」


 そう思った私は牧野にそう尋ねる。


「暇だから」 

「ここにいたって暇なのは変わらないだろ」


 ある意味予想どおりの言葉にそうツッコむと、牧野が「むー」と唸りながら睨んでくる。それは、そんなことを言われるのは心外だとでも言うような顔だった。そんな顔をされても、こちらとしても困る。数秒見つめ合ったのち、牧野がなにかに気づいたようにハッとして、


「あっ! べつに友だちいないわけじゃないからね!?」


 そんなことを叫んでいたけど。


「いや、知ってるよ。友だちは多いほうだろ、牧野は」


 だからこそ、なにを好きこのんでこんな場所で油を売ってるんだと尋ねてるわけだし。


 ……友だちと一緒にいるのに疲れたのかな。


 私は基本的に人間嫌いだから、たとえ家族であっても、長時間一緒にいると疲れてしまう。だからこそ、この場所が気に入っているわけだけど、牧野も人間疲れを起こすことがあるのだろうか。それならそれで、ちゃんとひとりになれる場所に行けよ……と思ってしまいそうになるけど。結局、その理由はわからないし、私ぐらい低めのテンションのやつと一緒にいたいと思うこともあるのだろう。同じお菓子も毎日食べていたら飽きてしまうのと一緒だ、きっと。


 たまにはゲテモノを食べてみたくなるときだって人間ならある。


 飽食に飽きたローマ人みたいに、友だちが多いからこそ――という悩みもあるのだろう。


「真辺は白衣とか着ないの?」


 そんなことを考えていた私に、牧野が相変わらず唐突な問を投げつけてくる。

 なにがどう突然変異を起こしたら白衣の話になるのかまったくわからない。


「白衣……? なんで私が白衣なんて着るんだよ」

「えっ、絵描くひとって白衣着たりするんじゃないの? そこにも置いてあるし」


 牧野が視線を向けたのは、ソファの対面にあるスチールラックで、そこには綺麗に畳まれた白衣が置いてあった。卒業生が置いて行ったものか、授業用の備品かのどちらかだろう。


 牧野の言葉と現実の白衣を前にして、私にも昔の記憶が戻ってくる。


「ああ……私、ちっちゃいから袖が邪魔になるんだよ。捲ると白衣着てる意味なくなるし。だから着彩してるときは中学時代のジャージとか着てる。どうせ、だれにも見られないしな」

「へえー」


 たいして興味もなかったのか、牧野はそんなペラペラな相づちを打ってくる。


「楽しみ」

「楽しみにすんな、そんなもん」


 そこにさらに適当な言葉が続いたものだから、ついツッコミを入れてしまう。

 私の中学時代のジャージ姿なんて面白くもなんともないだろうが。

 汚れても構わない――いや、むしろ汚れてくれと願いたくなるようなダサいデザインかつ、見越していた成長がまったく訪れずに丈が余っているという、情けないジャージなのだ。


「えー! でも白衣、似合ってたよ」

「あ? いや、白衣とジャージ、なんも関係ないだろ」


 前後の文脈がまったく掴めず、たじろぎそうになる。


 ――と言うかこいつ、最初からずっと白衣の話してたのか。


 話がいったりきたりしていて頭がこんがらがるけど、この場合は確かめるのも億劫だ。だって細かな点の確認なんかより、牧野は話を前に転がすことのほうが大事みたいだったから。


「着てみてよ」

「あ?」

「白衣」


 しかし牧野はさらにわけのわからないことを宣い始める。

 私に白衣なんて着させたところで、なにも面白いところなんてないはずなのに。


「いや、それはわかるけど。なんで私が。将来的に私のモデルになるんだから牧野が着ろよ」

「えっ!」


 単なるカウンターのつもりで告げたんだけど牧野が思いのほか大きな声をだすものだから、こっちのほうが驚きそうになる。いや、確かに気持ち悪かったかもしれないけど、元を辿ればお前のほうが提案してきたんだろと私は牧野のことを恨めしげに見つめることしかできない。


「着て欲しいの?」

「えっ」


 そんなこと一言も言ってなくないか? と思うものの『着て欲しくない』と言えば嘘になるだろう。化学の実験のときは距離があったから、今こうして間近で見たいという想いはある。


「あー、うん。まあ、そうな」


 総合的な事情を加味した結果、そんな歯切れの悪い回答になったんだけど、


「じゃあ、交換ね。私が先に着るから、そのあと真辺が着るの」


 牧野の回答は明瞭で、なぜか私まで白衣を着ることになっていた。まあ、着る理由がないというだけで、頑なに拒否する理由もなかったから、流れに身を任せておくことにしたけど。




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