第4話 君の世界、私の世界 03
「あのさ、真辺。私――」
彼女が言葉を句切ったのはきっと、単純にその先が、口にしづらかったからだろう。
しかしそこに言葉が続くことは、ついぞなかった。と言うのも、
「先生、牧野きてる?」
保健室のドアが騒々しく開いたかと思うと、金剛寺の声が聞こえてきたからだった。
足音は複数あるからたぶん『中』のやつも一緒にきているんだろう。
「やっべ」
と漏らしたのは私で、彼女らはすぐに牧野のベッドのそばまでやってくることだろう。今さらカーテンを閉じるのも音が立って不審なはずだから、私は狸寝入りを決めこむことにする。
「すー……」
なんてわざとらしい寝息を立てながら、
……なんでこんなにこそこそしなくちゃならないんだ?
と疑問になったけど。牧野ひとりならなんとか会話できる私だけど、そこにグループのふたりが加わったら地蔵にならざるを得ない。だったら最初から寝たフリをしてたほうがマシだ。
しゃー……と柔らかな音が響いて、牧野側のベッドのカーテンが開くのがわかる。
「リム、お前本当にバカだな」
と同時に金剛寺の辛辣な言葉が放たれる。
「しかもサのひとまで巻きこんで。あとでちゃんと謝っとけよ」
サのひとが相当気に入っているのか、金剛寺は事あるごとに私をそう呼んでいた。
「あれ、カーテン開いてるじゃん」
それから金剛寺はそう呟くと、シャッ! と虫を散らすような勢いでカーテンを閉じた。先ほど牧野のカーテンを開けたときはもう少し柔らかかったような気がするんだけど……? と私は怯みそうになる。なんだか邪険に扱われているようで、いい気もしなかったし。
……まあ、いいか。
邪険に扱われた程度で感情が揺れ動くほど私は金剛寺に気持ちを委ねてはいない。向こうにしたって、べつに私に強い悪意があったわけではないだろうと、適当に気持ちを静めておく。
「体調、大丈夫?」
と尋ねたのは『中』で、その声は普通に牧野のことを心配しているようだった。
「あ、うん。横になってたらだいぶ落ち着いてきた」
そうと答える声は先ほどまでの沈鬱な色味を包み隠した明るいものになっていた。
そこに安堵すればいいのか、別の感情を見出せばいいのか、いまいちわからない。
「そう言えばリム、さっきのカイロ取ったのか?」
「あっとー……」
金剛寺の問いかけに、牧野はこれ以上にないほどわかりやすく狼狽えていた。
だけど金剛寺の問と、牧野の受け答え、それぞれに対して私もまた狼狽していた。
「うん。さっき自分でなんとか取った」
しかし私が狼狽から立ち直るよりも先に牧野は明るい口調でそう答えていた。
彼女の口にした言葉に、私は複数の意味でショックを受けていた。
ひとつは牧野が嘘をついたということ。
もうひとつは彼女の声が明るかったことだ。
相手によって対応が変わるのは人間なら当たり前だ。
友だちとの距離感や、共有する関係性、築きあげてきた友情、そういう諸々の事情で、人間は対応を大きく変える。それはたぶん、牧野みたいなリア充になればなるほど顕著で残酷になっていくものだと思う。彼女の発する明るい声を聞いて、私の心はほんの少し陰っていた。
……もし仮に逆の立場だったら、私だって、先ほどの出来事を隠しただろう。
そうとわかっているはずなのに、その憂いは私の心を、さながら錆のように覆い隠した。
「今日のリム、妙に空回ってたよね。なにかあったの?」
そう尋ねたのは『中』で、それは私が先ほど抱いた疑問と同じものだった。
……私のときはあれだけ渋っていたけど。
自分の所属しているグループの問いかけなのだ。
きっと牧野も正直に答えるに違いないと、そう思って私は自然と耳を澄ませる。
「昨日ユーチューブが言ってたからなんとなくだってば。頑張るなら今しかないって!」
しかし私の予想に反して、牧野が口にしたのは、先ほどグラウンドで口にしていたのと同じあまりにも軽い言葉だった。いや、それが嘘とか冗談だと言いたいわけではないけど。
……だったらさっきはなんであんなに沈黙してたんだ。
あの沈黙のせいで私は、牧野の頑張りには相応の理由があるに違いないと思ったのに。
ただ単に私と話しているのが面倒とか、しんどかったとか、そういう話なのだろうか。
そんなタイミングで終業を知らせる鐘が鳴る。
今のが三時間目だったから、昼休みに突入したのだろう。
「んー、だいぶ調子よくなったし、そろそろ戻ろうかな!」
その鐘の音に被せるようにカーテンの向こうから元気な声が聞こえてくる。相対していたときはとても元気そうには見えなかったけど、やはり友だちがきてくれたおかげだろうか。
友人たちから『まだ寝てろ』という声が聞こえなかったから、傍目から見ても彼女は元気だったのだろう。そのままいそいそと、ベッドからおりたりする音が向こうから聞こえてくる。
……私も時間ズラして教室に戻るかな。
そう思って気持ちを整えようとしたところで、
「あ、そう言えばさ」
保健室からでる直前の牧野が、そんなふうにして口を開いた。
彼女が口を開いたものだから私は身動きをやめて自然と耳を澄ましてしまう。
「サのひとじゃなくて『真辺』だよ。感じ悪いからやめたほうがいいよ、それ」
澄ました耳を震わせたのは牧野の毅然とした声で、その内容に金剛寺が「お、おう」と戸惑ったうような反応を示していた。そして、私もまた心の中で似たような反応を示していた。
保健室のドアが閉まって、室内が再び静寂に包まれる。
――確かに私は真辺だけどさ。
まさか牧野がそれを指摘してくれるなんて思いもしなかったから。
私の心は今まで感じたことのない高揚感を覚えていた。
たとえば絵を完成させたときだとか、それを褒められたときだとか、めぼしい結果が得られたときだとか、そういうときに感じる類の高揚感で、私は口から熱っぽい吐息を漏らす。
……べつに特別な意味合いなんてないのだろう。
ただなんとなく思いだしたから指摘したぐらいの意味合いなんだと思う。それでも牧野がその事実を指摘してくれたという事実が、私を友だちとして認めてくれたようで嬉しかった。
しばらくその余韻をシーツの中で味わうことにしたんだけど、
……なんか暑いな。
自らの体が熱を放っていることに気づいて不審に思う。最初、それは私の心が喜び過ぎて体に作用しているのだと思ったんだけど、その熱はなぜか右の太股あたりから発せられていた。
疑問に思いながらポケットに手を入れてみるとびしょ濡れのカイロがでてきた。
それも二個だ。
『びしょ濡れ』と『二個』という符号で、それがなんなのかを一瞬で思いだす。
……さっき牧野から剥がしてやったカイロだな。
ドギマギし過ぎていたせいで無意識のうちにポケットに入れてしまっていたらしい。ポケットにしまい直すのもおかしな話だったから、私はそれを手に持ったまま、硬直してしまう。
カイロは依然として熱を放ち続けていて、私の手のひらを温めてゆく。
……こうしてると牧野と手でも繋いでるみたいだな。
それはやけに汗っかきの牧野だったけど。
そんなことを考えている自分がバカらしくて、くつくつと笑ってしまう。
横向きで布団に収まりながら、カイロを持った手を、顔のあたりまで移動させる。相変わらずバカみたいに熱を放っている湿ったカイロを眺めていると、妙な考えが頭をよぎった。
それは『カイロの匂いを嗅いでみたい』という考えだった。
今朝(7月8日)がた「ヒメとヒコの願いごと」という百合短編小説を投稿しました。幼馴染が好きすぎてつらい女子高生のお話です。よろしければチェックしていただけると嬉しいです。
それから今日は土曜日なので今作も何度か更新するかもしれません。よろしくお願いします。