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第3話 私の教室、君の教室 04




 来月頭のマラソン大会に向けて、ここしばらく男女合同のマラソンが続いている。グラウンドに集められたジャージたちが、だらだらと準備体操をこなしていく。外は空気が冷えこんでいて風が強い。生徒たちのほとんどが上着のファスナーを限界まであげて、袖で手を隠すようにしていた。そんな中、先程と同じように牧野だけがキビキビとした動きを披露していた。


 ……今のところメチャクチャ助かってるけど。


 カイロが私たちに牙を剥くのも時間の問題と思われた。

 準備体操が終わり、距離数と人数の都合で、男子の集団のほうが先にスタートを切る。

 それを横目に私たち女子は、ぼやきとも雑談ともつかない軽口をそれぞれ呟いていた。


「ねえねえ、枇杷、花ちゃん。競争しようよ」


 どれだけラクをするかを考えている集団の中で、やはり牧野だけが目を輝かせていた。


「さっきも思ったけど、リム、運動神経たいしてよくないのになんでそんなやる気なの?」


 花ちゃんこと『中』がやる気満々の牧野に辟易したように仄暗い声で尋ねる。


「物事は楽しんだものが勝つってユーチューブが言ってたから!」

「なに怪しい啓発チャンネルに影響されてんだよ」

「えっ、あ、怪しくないよ! ちゃんとした凄くて偉いひとなんだよ!?」


 牧野は慌ててフォローを入れようとしていたけど、啓発系ユーチューバーに『ちゃんとした凄くて偉いひと』という枕詞をつけるのは、胡散臭さが倍増するだけのように思われた。


「まあ、一理あるとは思うけど……それは『楽しめることに注力しろ』って話じゃないの?」


 と『中』がツッコミを入れ、


「……あっ、ほら、女子の番だよ」


 と牧野がごまかして、


「話の逸らし方ヘタ過ぎんだろ」


 さらに金剛寺がツッコミを入れた。

 そんな漫談を繰り広げながら、なんだかんだ三人で一緒に走るつもりなのか、スタートラインの先頭――は運動部の面々が占めていたからそのうしろに、三人は陣取ってみせていた。

 私もできるだけ牧野を観察するためそのうしろにつく。


「それじゃあ行くぞー。よーい……」


 ピッ! とやる気のない先生の声とは正反対の鋭い笛の音が鳴り響き、生徒たちが一斉に走りだす。先頭集団が短距離もかくやという勢いで一気に前へと乗りだし、そのうしろに帰宅部や文化部の中でも生真面目なやつらが続く。そしてそのうしろにマラソンへの異議を心に秘めたやつらが続いている。私も本来なら最後尾に所属するはずだったんだけど――


 ――えっ、ちょっ、速!?


 牧野が先頭集団に食らいつく勢いで急発進したものだから私もそれに続いてしまう。


「ちょっ、リム、速いって!」


 と叫んだのは金剛寺で、牧野もまた振り返りながら叫ぶ。


「ふっふっふ! もうだれも私にはついてこれまい!」


 ちょうど私を挟むような形でやりとりが続いているせいで居心地が悪い。

 他の生徒たちも牧野たちに遠慮してか、抜き去るタイミングを失っているようだし。


「いや、お前の前に何人走ってるのか数えてみ!」


 しかし金剛寺の鋭いツッコミのせいで、牧野はそこから逃げだすように急加速をかけた。私も不自然にならない程度に加速して、その背中を追うんだけど、一瞬で内臓が捩れ始める。

 体育以外で運動なんてしない私は、極度の運動不足に陥っていた。


 そんな私が運動部と大差ない速度で走れば、内臓が悲鳴をあげるに決まってる。呼吸も心臓も、すべてが壊れたように暴れていて、口にはやたらと濃い鉄錆の味が広がっていた。


 少し前を走っている牧野は、ぴょんっ! ぴょんっ! と、おおよそマラソン向きとは思えない独特のステップを踏みながら、それでも結構な速度で前へ前へと突き進んでいく。


 ……えっ、と言うか、これっ、私ついて行ってる意味、ないんじゃないのか!?


 当初の目的は『牧野を観察すること』だった。だけど牧野が友人と話したりしないのであれば、会話を盗み聞きする必要もないんだから、無理に距離を詰めておく必要もない。ただ観察がしたいだけなら距離は開いてもいいし、なんだったら周回遅れにでもなってやればいい。


 そう思って速度を緩めようと思ったところで、


「ちょっ」


 なぜかなんの前触れもなく牧野が振り返った。その視線は私――ではなく、名残惜しげに後方を見やっていたけど、すぐにうしろを陣取っていた私の存在に気づき、驚いた顔をする。


「うわっ、真辺。最近、よく、会うね」


 牧野も余裕がないのか、その声はステップに合わせるように途切れ途切れになっている。


 ……そりゃあ、お前のことストーキングしてるからな。


 というのは心の声で実際には、


「牧野が、私のこと、個人として、認識したから、そう見える、だけだろ」


 牧野のよこに並びながら、それらしいことを言っておいたけど。


「そ、そっか。それも、そっか」


 なにが牧野をそうさせるのか、中身のない相づちを、それでも彼女は打ち続ける。


「真辺、結構、速いんだね」


 そこで口を噤めばいいのに、牧野は延々、世間話を振ってくる。


「そういう、牧野こそ」

「わっ、私は、マラソン、好きだから」


 先ほどの友人たちとの会話や、牧野の挙動を鑑みるに、その言葉が明らかな嘘だとわかる。なのにそうと告げる牧野の声は底なしに明るく弾んでいたものだから、私は真偽に関わらず、その言葉を信じたくなってしまう。ただただ、牧野のことを応援したくなってしまったのだ。


「ふ、ふーん。だったら、いけるところまで、一緒に、走るか」


 私なんかでよければ。

 そう付けたすよりも先に、


「うん!」


 と牧野が朗らかに頷いてくれたものだから。

 たかが体育のマラソンの練習にもかかわらず、私は本気になってしまったのだった。

 しかしそんな華々しい宣言から五分もたたないうちに、私たちはどちらともなく口を開く。


「すっげー、暑く、なってきた」

「わかる。背中、めちゃ、くちゃ、熱い」


 お前、それ低温火傷でも起こしてるんじゃないのか? と言いかけるけど、私も疲労やら暑さやらのせいで巧くろれつが回らない。ちょうどそのタイミングで私たちは一周目を終えた。


「あっ、ちょっとダメかも、私」


 このまま二周目に突入するかというところで、牧野がフラフラと、スタートラインに立っていた先生の元へと向かう。私も似たような有様だったから、結局それに続くことにした。


 私たちはそのまま『凄い発熱』を理由に、保健室へと運ばれることになったのだった。




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