深井 清良③
(これは……不味いな……)
平生は明らかに限界投球数を超えている。
おそらくニノは『打たせて捕る』指示を出しているだろうに、あの馬鹿は最初から全開だった。
しかも最終回、打順は上位でしかも2番打者から。……4番の岸田まで、確実に回ってくる。
──ガィンッ!
鈍い音と、ニノの「サード!」という声。
(……上手いっ!)
脚力を活かせる絶妙な位置への内野ゴロ。警戒して上げていた守りだが、送球は間に合わず打者は一塁へ。
3番はボックスに入るとバントの構え。
ノーアウト一塁。送りバントと見せかけてのヒットエンドランも充分に考えられる上、盗塁も視野に入れなければならない。
「キツい展開だな」
「そうなの? ……ところでさぁ……」
なんか知らん間に原西と智香は仲良くなっている様で、次の約束でもしてるのか試合を観ながらコソコソ話し合っている。
峰田は峰田で、「ちょっとアイツらのとこ、顔出してくるわ~」と言ったまま、帰ってこない。
──雨が降りそうで嫌だ。
天気は徐々に悪くなっている。
平生は集中しているが、攻撃はともかく 最後のイニングまではもってほしい。
(早く終われっ……!!)
気付くとパーカーの裾を握っていた。
3番は結局送りバント。だがバントは成功……1アウト2塁での、4番岸田。
岸田への応援と、平生への応援の声。
鳴り響く管楽器。
そしてバッターボックスに立った岸田。
彼は曇天の空に向かって高らかにバットを掲げた。
ま さ か の 予 告 ホ ー ム ラ ン 。
歓声と、爆笑が巻き起こる。
──私は脱力した。
「馬鹿かっ?! アイツは馬鹿なのか?!」
おもわず岸田の代わりに原西に掴みかかった。
原西は爆笑しながら「いやーマジでやる奴初めて見たわ~」とヘラヘラ笑う。
(マジでやる奴……)
その言葉に目線を正す。
こちらからはメットを被った岸田の表情はおろか、マウンドの平生のそれだって、ハッキリと窺い知ることはできない。
だが、平生の口許は不敵に笑っているように感じる。
原西は軽口で言ったのだろうが……おそらく岸田はマジもマジだ。
(馬鹿だ)
──ニノのサインに平生が首を振る。
(どこまで馬鹿なんだ……どいつもこいつも)
岸田はかなりの自信家で負けず嫌いで……それはいかにもピッチャーらしい。
そしてこちらのエースで4番の、いつもヘラヘラしている平生も大概ワガママであり、岸田と大差ない。
ストレート真っ向勝負。
それしか考えられない。
──キィン!
高音と共に、打球が高く上がる。
(詰まった!)
平生の渾身の一球に、詰まった岸田の打球──やや振り遅れた為、ライト畑くんがキャッチ。
しかし走者は三塁を蹴り、ホームへ。
力比べでは勝利と言えなくもないが、ゲッツーの勝負ではあえなく敗れる……向こうも次から下位打線。必死だ。
(次のこちらの攻撃は9番から……)
この1点は、重い。
「タイム!」
球審から声が掛かり、ニノがマウンドへ行く。
(──え)
平生とニノ、ふたりがこちらを見たような気がして、ドキリとした。
次の瞬間、
「行くぞ」
「りょ」
「……は?!」
原西と、いつの間にか戻っていた峰田に何故か両腕を捕られた。しかもガッチリと。
「なにっ? ちょっと?!」
後ろからは智香が私の背中を押し……無理矢理歩かされる。
──否、走らされる。
「急げ!」
「はぁぁぁぁぁ!?」
着いたのは、野球部部室。
押し込まれるように入れられた私に、待ち受けていた一ノ瀬さんはユニフォームを渡しつつ、扉を乱暴に閉めた。
「早く着替えて下さい!!」
「馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿で結構! それとも無理矢理着替えさせますか?!」
扉の外からも急かす声。
「早く! ああもう、終わっちゃうよ! なんで呑気に観てんだよ?!」
「だってお前、予告ホームランとか………観るだろそりゃ!」
いや、単に揉めてるだけだ。
つーかコイツらどんだけ計画的なんだ。
大体おかしいと思ったんだ。
ふたりのことだけじゃない。ウグイス嬢のアナウンスも、なんだか中途半端だった。
考えてみればこれだけ色々ちゃんと作ってるくせに、控え選手の名前は明星学園の選手交代時にしか呼んでいない。
本来開始前にナインの選手名とポジションの他に、控え選手の名前も呼ぶ。
ウチはギリギリだからともかくとして、明星学園には控え選手がいるのに……まあ、ふたりだけだけど。
その理由が今わかった。
「ああクソ! 馬鹿共め!!」
観念して着替える。このままここにいたって、ゲームの行方も観れないのだ。
──最早、馬鹿になるしかない。
「やっべ、交代だ!」
「急げよ! 清良!!」
「大丈夫ですね?! 走ってください、アップだと思って!!」
「うるせー! あとで覚えてろよ!」
そう叫びながら走った。
久し振りのスパイクの感触が、足裏に響く。
『9回の裏、西京第一高校の攻撃は、9番、センター、宮部くん。バッターは、宮部くん』
アナウンスが入ると同時に、私もダグアウトに入った。
「あっ!……もう! 遅いっすよ!!」
「グローブ(※ここでは、手袋の意)要りますっ?」
部員達に囲まれる中、息を切らしながらグローブを受け取る。アップする時間がほしい。「マジできた!」と笑う平生から、早々にバットを受け取る。
後で知ったことだが、平生はさっきのタイムのときまで、知らなかったそうだ。
「慎重に行けー! 宮部先輩!!」
「ナイスセン!」
その更に向こうでは宮部の応援。最後の打席だ。
(宮部……繋げよ!)
そう思いながら、素振りをしにベンチを離れる。
「清良!
…………頼んだぞ!!」
馬鹿が、キリッとした顔で宣った。
「うるせぇわ!」
私に周囲からの視線が注がれる。
……久々の感覚だ。
(いや、バッティングセンターでもあるっちゃあるな)
女子は珍しいから。
緊張はない。
頭が冷えていくのに身体が熱い──集中できてている。そんな自分に、自分でも驚くくらいに。
「フォアボール!」
「よし!」
(よしじゃねーだろ)
最後の試合の最終打席のくせに、それでいいのか?宮部。
本来次の打席の筈の、小太郎もだ。
口角が上がる。
──ああもう、どんだけ馬鹿ばっかりなんだよ。
(……私もか)
我慢できなくて、くっ、と小さく笑いが漏れる。それを誤魔化すようにヘルメットを直した。
ニノが球審の元へ走る。
「代打! 深井くん!」の声。
『1番、竹内くんに代わりまして……深井くん。 バッターは深井くん』
ちょっとだけ躊躇い気味のアナウンス。おそらく『くん』か『さん』かで迷ったのだろう。
これもよくあることだった。
私はこれ見よがしに、ヘルメットをしっかり取ってお辞儀をし、バッターボックスに入る。
そして高らかに、バットを曇天の空へと向けた。