一ノ瀬 秋穂④
※一ノ瀬視点
佐伯先輩に先程の二宮先輩とのことを話した。佐伯先輩は二宮先輩とは違い、いつも通り。なんだか楽しそうですらある。
「じゃー俺も、ちょっと先帰るわ」
「先輩っ」
ふたりの反応の温度差に面食らって、思わず声を掛ける。
「ん?」
「なんか私、でしゃばったから、あの……」
「……」
言うことがまとまらなくてもどかしい。
上手く言えないままモゴモゴしていると、佐伯先輩は不思議そうな顔をして見ている。
そしてほんの少しなにかを考える素振りをしてから「一ノ瀬」と私を呼んだ。
「野球、好き?」
「え……」
先輩に一目惚れして入った野球部。
それまで野球に興味なんてなかった。
でも……今は。
「──はい! 好きです、このチームが!!」
そう答えると佐伯先輩は「ははっ」と声を出して笑う。心臓が、跳ねた。
「知ってる」
そう言って、佐伯先輩は高原くんのところへ行ってしまった。
「一ノ瀬ぇ──」
そこにやってきた井川くん
「──おわっ?! 何泣いてんの?!」
に、驚かれる。
気付いたら泣いていた。
「ふっうぐぅ…………っよぐっ、わがんないぃぃぃー…………」
色んな気持ちが抑えられなくなってしまって、涙が止まらない。
実際私はでしゃばっていたし、先輩に『余計なお世話だ』って言われたって仕方ないって、そう思ってた。
だって結局私は何も知らないし、何もできない。
それはなにも、佐伯先輩のことだけじゃなくて。
野球は覚えたけど、グラウンドに立つわけでもなくて……私にできることなんて、たかが知れてる。
佐伯先輩のことは好き。
──でももう、それだけじゃ、ない。
「井川てめぇ、なに泣かしてんだよ!」
「俺じゃありませんよ?!」
「オイどうした! あっ、てめぇ井川ぁー!!」
「だから俺じゃありませんて!」
異変に気付いた皆が、私を囲む感じにわらわらと集まってきた。道具とかを回収しつつ、部室に誘導される。
着替えの時以外は、校則で部室の扉は開け放つことになっている。タバコ等の非行防止や、勿論それ以外の防犯面でも。
……なのにやたらと揉めた。
「ちょっと待って、へーちゃん! これだと部室に連れ込んでるみてぇじゃん! なんかイカガワシイよ!!」
「そッスよ! ただでさえ女マネは目立つんすよ!? 平生先輩ファンにでも見つかったら一ノ瀬が何言われっか!」
「オイ、パイプ椅子持って来い! 入口中央に置いときゃ問題ねーだろ」
「囲むとアヤシイから、全員部室に入りましょう! 一ノ瀬は俺らが入ったらそこに座る! OK?!」
「…………ふぐっ」
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、優しい。
私はそのやりとりに噴き出し、同時にさっきよりも泣いてしまった。
──このチームが、皆が、好きだ。
皆とは決して共有できない、歯痒さやもどかしさ。
『私はどんなに頑張っても、チームの一員なんかじゃない』……どこかでそう思っていた。
だけどきっと、そうじゃなかったんだ。
めいめいが好き勝手なことを言いながらも、心配してくれてるのが伝わってきた。皆、私が深井先輩に接触してるのも知っていて、暗黙の了解的に見守ってくれていたようだ。
私がそんなようなことを口にすると、仁平先輩が苦笑いで言う。
「見守ってたって言うと聞こえが良いけどさ……俺らは皆、清良に何も言えなかったから……」
「一ノ瀬は何も知らないんだろ? 自分から聞くような奴じゃないもんな」
「──」
「…………どういうことすか」
私が聞くのを躊躇っていると、相原くんが質問をした。
そこで初めて私は、先輩達の間に何があったのかを知る。
──誰よりも努力家だったという、深井先輩。
あの日、バッティングセンターでホームランを打ってたことを思い出す。
手に触れようとして叩かれたのもきっと、素振りでできた豆を見られたくなかったんだ。
先程とは違う涙が溢れてきた。
私よりも、もっとずっと、グラウンドに立ちたい人だ。
私よりも、もっとずっと、試合だって観たかったに違いない。
「ふっ……深井先輩っ……『晴れたら行く』ってぇ……!!」
「……」
「……」
「……」
私がしゃくりながら発したその言葉に、皆が沈黙する。
「────はい!」
沈黙を破ったのは畑くんの、何故か元気いっぱいの挙手だった。
そして、いよいよ3年生最後の試合の日がやってきた。
明星学園との練習試合。
これは先輩らが野球部に入った時から始まり、今やすっかり恒例行事となっている。
ちゃんとした球場ではないが、ウチの学校はそれなりの野球場がある。大きい公園にあるような、そんな感じの球場……と言えばわかりやすいだろうか?少年野球チームや草野球チームが日曜日に使うような。
観客席はないが、コンクリートの屋根のついたダグアウト(※選手達が控えるところ)がある。広さもちゃんと硬式の広さがあり、照明も設置されている。
ただ、フェンスの向こうはすぐテニスコートだし、照明はつかないけれど。
これは学校創立のかなり前に『スポーツ施設を併設した市民公園』にするか『市立高校』にするかで揉めた結果だそう。土地はあったので、球場やテニスコートだけ先に作られたらしい。
サッカーコートも別にあり、それに加えてグラウンド、という都会に住んでる人間には考えられない広さを誇っている。
ウチのテニス部もサッカー部も、ついでに言うと陸上部も弱小なのだが。
……だからこそ、佐伯先輩はこの学校を選んだのだと思う。
設備はあれど、予算はない。だから練習試合とはいえ、簡単に出来る訳では無い。人数がギリギリなのも、問題のひとつ。
審判を頼むのにもお金がかかる。私達が頼んでいる派遣団体さんは、一ゲーム2審性(※球審と塁審ひとりずつ)で12000円。塁審を増やすと+5000円。……これは安い方らしい。
試合の前は色々大変だ。部員だけでなく、有志の生徒で小石拾いや草むしりをする。
放送部にお願いして、ウグイス嬢をやってもらったり、吹奏楽部にお願いして、両チームの応援をしてもらったりしている。その為のブースも作らなければならない。
何故わざわざそこまでするのか──それはきっと、沢山の人に、野球を好きになってもらうため。
そして自分らの野球部を、皆の野球部にするため。
佐伯先輩はお調子者なだけではない。色々な人を少しづつ巻き込んで、盛り上げてきたのだ。
今では学校側もとても協力的で、もともと学期の始めと終りに予定されている清掃行事を、わざわざ試合の前に入れてくれている。
3年生の入学当時は、今よりもっと大変だったそうだ。
今の3年生は佐伯先輩を筆頭に、なるべく自分達の力で野球部を作ることに拘ってきた。
それは『西京コンドルズ』のことだけではなく、ここが公立高校だから──仮に熱心な先生がいたとしても、いつまでもいる保証はない。
部室には沢山のノートがあり、3年生が1年生の頃から書いた、諸々に対する手書きのマニュアルが残っている。
……ハッキリ言って、綺麗とは言えない代物だ。
私は今後の為に、それらを持ち帰り、清書することにした。
3年生が引退したら、野球部を作っていくのは私達なんだから。