二宮 樹
※ニノ視点
「私、マネージャーになります!」
そう言って入ってきた1年の女子、一ノ瀬。
何をしたわけでもない彼女を、俺は早々に罵倒した。平生目当てで入ってきたのが明らかだったから。
そういう女子は決まってあの軽口を言う。
『佐伯先輩は、プロにはならないんですか?』
俺はそれがどうしても許せない。
──何も知らないくせに。
平生がどれだけ凄いかも、コイツらはわかっちゃいない。
佐伯 平生は本来、こんなクソみたいな弱小野球チームにいるべき男じゃないんだ。
「おい、平生……あんま頑張り過ぎんなよ? ピッチングはもう終わり! ストレッチして上がれ」
「ニノは心配症だなぁ……」
「いーから。 あ、エアー(※ここでは散布系のシップ)持ってくるわ」
『まだイケる』とブーたれる平生に『投げるな』と強く言って、俺は部室に向かった。
誰もいないように見えた部室に入ると、奥に一ノ瀬がいた。箒を手にしたまま、ボンヤリと空を見つめている。
「なんだよ、いたのか……何ボーッとしてんの? キメェ」
大人しそうな顔して、一ノ瀬は案外気が強い。てっきり『キメェとはなんですか!』とかが返ってくると思っていたのだが、何も返ってこない。
先程の様子も含め、おかしい。
「……清良にキツいことでも言われたのか?」
すっかり無口になってしまったが、清良も実は気が強い。
基本的には内弁慶なアイツが、一ノ瀬にそういうのを出すとも思えないが……一ノ瀬が良くも悪くもしつこいのは知っている。
とうとうキレられたのかと思っていたが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「…………来てくれるって、先輩」
「! マジか」
『すげぇな』、素直にそう思った。
だがその反面、清良が首を縦に振るなんて正直思っちゃいなかったから……少しだけモヤる。
──本当だったら、それは俺がすべきことだったんじゃないのか。
ふと一ノ瀬に目を向けると……その割になんだか浮かない顔をしていた。
(……ああ、コイツは平生が好きなんだっけか)
俺と平生の付き合いは長いが、そういう話をあまりしたことがない。
勿論、清良もだ。
ふたりの間にそういうのがあるかどうかなんて俺にはわからないし、正直なところ、考えたこともない。
(なんて声を掛けたもんかな……)
そう悩んでいると、一ノ瀬は急にこちらを向いた。
「先輩。 日曜、晴れますよね?」
「…………は?」
真面目、というか……それはなんだかすがるような、そんな表情で──俺は先程感じたモヤモヤが、明確な形を成して込み上げてくるのを感じた。
「深井先輩、『晴れたら行く』って」
「──」
込み上げてきたもの。
衝動的に、俺は部室を飛び出した。
『お前、雨女だからな』
ただの冗談だった。
まさかあの言葉のあと、平生が事故に遭うなんて思っちゃいなかった。
それをずっと清良が気にしてたのも、知っていた。
なのに俺は──
ユニフォームのまま家庭科室に乗り込むと、そこには永作しかいなかった。呆気にとられた感じの永作に、息を切らしながら尋ねる。
「……清良は?」
「帰ったよ……もうとっくに」
舌打ちをして、再び走った。
部室へ戻り、リュックに制服を押し込める。
「二宮先輩?!」
「皆には用事ができて帰ったって言っといて! あ、それから平生にエアー頼むわ!!」
先程の永作のような顔の一ノ瀬に、早口で諸々を頼みながら、部室から走り出た。
向かうのは、清良がロードワーク中に必ず寄る神社。
家が近い平生と俺と清良で、一緒に走っていたコース。
あいつが今もロードワークを続けてるのは知ってる。
なにぶんご近所様だ。気まずくなって、時間帯だけ変えたところで気付かないわけねーだろう。
もし気付かないと思ってんなら、あいつの脳ミソは筋肉でできているに違いない。
案の定、清良は来た。
『気付くと逃げるかも』と思って鳥居の影に隠れ、ヤツが柏手を打ったところで、腕を掴む。
「うわっ?!」
「お前…………馬鹿じゃねぇのか?!」
「……ニノ?! なんっ」
「お前のせいじゃねぇって言ってんだろが!!」
思わずキチンと話をしないまま、怒鳴り散らした。
清良も清良で、表情に困惑した感じを混ぜながらも応戦する。
「うるっ……さいな! ニノにはカンケー」
「あるよ! 俺がっ……」
「ないよ! 雨女って言ったくら」
「っ……違う!!!」
俺の剣幕に清良がビクッとしたとき、奴のポケットからなにかが落ちた。
それは──布製の、てるてる坊主。
わかった気がした。
清良が柄にもなく手芸部なんかに入ってた理由が。
きっと、毎回……試合の前には納めてたんだ。
涙が溢れてきて、俺はみっともなく泣いてしまった。
「ごめん、清良…………違う、お前のせいじゃない。 ──俺のせいなんだ」
リトルの選抜チームから、声が掛かった時。決断できずに悩んでいた平生は、バッテリーを組んでいた俺にだけ相談してくれた。
「周りの大人は皆行けって言うけど……俺、このチームが好きなんだ」
平生は周囲の期待から決められなかっただけで、本当は『西京コンドルズ』にいたかったようだ。
──そんな平生に、リトルに行くよう勧めたのは俺だ。
そして、平生はリトルに行ったことで肘と肩を故障した。
当時のコーチの意向で強いられた練習。それは、成長期で不安定だった平生の身体を無視した、負担のかかりすぎるもの。
皮肉なことに、事故によってそれは発覚し……同時にとどめを刺されたのだった。
「事故は確かに不幸な出来事だったけど、あれが故障の決定的な原因じゃない。 ……リトルに行ったことが、そもそもいけなかったんだ」
「…………」
長い前髪に隠れた清良の表情はよくわからない。だが呆然という感じで突っ立ったまま、俺の話を聞いている。
いたたまれなさに、視線を下げた。
「ごめん、清良……」
ずっと清良が自分を責めているのがわかっていたのに、言えなかった。
……保身から。
怖かったんだ。
一ノ瀬にキレたのも、怖かったからだ。
だって、平生がどれだけ凄いか……俺は知ってる。
佐伯 平生は本来、こんなクソみたいな弱小野球チームにいるべき男じゃないんだ。
「俺のせいなん……あたっ!」
清良に頭を叩かれ、涙と鼻水でグシャグシャの顔を上げると、清良も泣いていた。
「『馬鹿か?』って台詞、そっくりそのまま返すわ!」
──そして、泣きながらキレてきた。
「何加害者面して浸ってんの?! ……キモッ!」
「ふざっ…………お前にだきゃ言われたかねーよ!! 大体なんだよ? 手芸部って! ……キモッ!」
「手芸部を馬鹿にすんな!」
「してねーよ! お前が手芸部なのがキモいんじゃ! てるてる坊主とか、乙女チックか!」
「お前こそ女の腐ったのみたいにグズグズ悩みやがって! お前がいたから、曲がりなりにもヤツはリハビリ復活できたんだろーが!」
「なんだよ!? 褒めてんじゃねーよ!! 馬鹿!」
俺らは泣きながら、良くわからない言い合いを暫く続けていたが──
それは、いつ来たのか良くわからない平生が盛大に噴き出したことで、終わりを迎えた。