一ノ瀬 秋穂②
「あのっ……」
学校の昇降口、3年生の下駄箱前。
私は深井先輩を待ち伏せて声を掛けた。
「……なに?」
長い黒髪を1つに無造作に纏めた深井先輩。初めて聞いた彼女の声は、想像していたよりハスキー。
スレンダーでスタイルがとても良いが……思っていたよりも背が高い。
正直、ちょっと怯んだ。
長めの前髪から覗く、切れ長の瞳。
訝しげに私を一瞥したあと気だるげに逸らし、先輩は少しだけ後ずさった。
……間違いなく不審がられている。
佐伯先輩は目立つしモテる。深井先輩は、そんな彼が唯一名前で呼ぶ幼馴染みの女の子だ。
もしかしたら、佐伯先輩を好きな女子に絡まれたりとか……そういうことがあったのかもしれない。
(そういうのと一緒にしないでよね!)
そう怒ることで、気持ちを奮い立たせる。
「野球部のマネージャー、2年の一ノ瀬です! 今度の試合、深井先輩に観に来てほしくて……っ」
「…………は?」
「3年生最後の試合なんです」
「いや、知ってるけど……関係ないし」
「関係なくないです!」
「……関係なくなくない」
「関係なくなくなく……あれ?」
つられて「なく」を繰り返した結果、合ってるか微妙にわからなくなり……指折り小さく反芻
「──あっ?」
……し直してる間に、深井先輩に逃げられた。
深井先輩、滅茶苦茶足が速い。
そして煙に巻くのに慣れている。
ひっかかった私もアホの子ではあるが。
「ちぃっ!」
女の子としてどうかと思いつつ、思い切り舌打ちをして呟く。
「……これで諦めると思うなかれ!」
まだ日にちは充分にあるのだ。明日も待ち伏せる所存である。
翌日。再び待ち伏せたが、やはり逃げられてしまう。
とにかく、足が速い……身長も二宮先輩と同じくらいだから、170㎝はあるだろう。まず脚の長さで敵わない。
もっとも私はそもそも鈍足な方なので、まるで話にならないのだが。
(ちょっとアプローチを変えるよりないな……)
それから私は、学校に早く来て野球部の道具の整備をすることにした。主なマネージャーの仕事であるこれを先に終わらせておくことで、放課後は深井先輩をマークできると考えたのだ。
深井先輩は手芸部だという。
……失礼だが、あまり似合わない。
更に翌朝。
いつもより早く登校する途中、ランニング中の佐伯先輩にバッタリ出会した。
早起きは三文の得(※徳が正しい)と言うが、滅茶苦茶ラッキー!
「お、おはよー。 早いなぁ、一ノ瀬」
「!! おはようございます! 先輩、いつも走ってるんですか?!」
「うん、朝練代わりに」
私は心の中でガッツポーズをした。
この時間に登校すれば先輩に会える。
これから毎朝の励みになること請け合い。
「じゃ、また学校でな~ 」
「はい! お疲れ様です!!」
その日の放課後は、気合いを入れて早速手芸部へ。朝のランニング佐伯先輩により、HPは満タンだ。今なら魔法も使えそうな気すらする。気のせいだけど。
家庭科室に訪れた私が部長に『仮入部の子』と紹介されると、深井先輩はあからさまに嫌な顔をした。
しかしそんなのは予測済だ。全く気にすることなく、にこやかに話し掛ける。
「深井先輩は、なに作ってるんですか?」
「……キルト」
「私にも教えて下さい~」
「下手だから無理、智香に教わっ……っ痛ぅ!」
「大丈夫ですか?!」
まち針を刺した先輩の手に反射的に触れようとすると、叩くように払いのけられた。
流石にちょっとショックだった。
先輩も悪気はないようで、バツの悪そうな声で小さく「ごめん」と言われ、少しホッとする。
だが「今日は帰るわ」と席を立った先輩に、それ以上しつこくすることはできなかった。
代わりに部長の永作 智香先輩に、謝罪を含めて仮入部した本当の理由を話した。
「──ごめんなさい、そういうことなんです」
「いや、別にいいよ~。 そのかわり、文化祭の時だけ売り子をちょっと手伝ってもらってもいい?」
「勿論!」
そんなのはお安いご用である。そもそも運動部に文化祭はあまり関係ないのだから。
「清良はなんか拗らせてるから、難しいと思うけど……私も気になってはいるんだー」
「……拗らせてる?」
「あ、清良とは中学校から一緒なんだけどさ? 清良は昔から運動神経がいいくせに、運動部には入らないの。 なんでか聞いても『別に』って言うだけだし」
智香先輩は『なんとなく聞かれたくないのを察して、それ以上は突っ込まないと決めている』そうだ。
深井先輩は割と頑固らしい。……それにはなんとなく、納得がいく。
「佐伯とか二宮、特に佐伯とはなんつーか……こう、おかしくない?」
「……そう、ですよね? やっぱり」
「積極的に聞く気は無いけど、まあ、気にはなるよね。 正直」
おかしいのは、佐伯先輩から深井先輩に話し掛けているのしか、見たことがない気がすること。
それは私だけではない様子で、智香先輩もそう言っている。
学年が違うからそこまで知らなかったが、やはり深井先輩は常に避けるように佐伯先輩に接しているようだ。
二宮先輩や他の先輩とも、必要以上に話さない。
ただ深井先輩はもともと無口なので、そこはなんとも言えない、とのこと。
「野球がらみだと思うんだよね……」
「そう思います? 恋愛がらみとか……」
「……恋愛がらみ?」
智香先輩は、鼻で笑って「まさか」と言った。
私がそれにちょっぴり安堵したのは言うまでもない。
暫くの間、朝は野球部でやることをやり、放課後は手芸部に顔を出す日が続く。深井先輩は頑なで、なかなか手強い。
今日は早々に逃げられてしまった。
(でも諦めないんだからね! ……私の根性舐めんなよ~!)
寝坊したので、今朝は球磨きを終えていない。丁度いい、と切り替えて野球部へ向かう。
「──馬鹿だろ、お前」
「は?」
球磨きをしていると、出し抜けに二宮先輩にそう言われた。
ただし二宮先輩は俗に言う『ツンデレ』なので、あまり気にしてはいない。現に今も、さりげなく球磨きを手伝ってくれている。
弱小チームなので、部費も普通。保護者から寄付があるわけでもない。
限られた予算の中で購入する備品は、大切に扱わなければならないのだ。球磨きは最も地味だが大切な仕事である。
「先輩、ここはいいですから、佐伯先輩のピッチング練習の相手してくださいよ~」
「要らん心配すな。 人数ギリギリだぞ? アイツは守備錬のノッカーやっとるわ」
「でも主将がいないと困るじゃないですか」
「高原に任せてある。 ……俺らはもう引退だからな」
「…………ああ」
「清良なんかに構ってる場合かよ?」
「!」
「知らねーと思ってんのか? そんな暇あったら平生の世話でも焼いてろ」
「…………ミーハーは要らないって言ってたくせに」
私の呟きに「うるせぇよ」と笑って、二宮先輩は行ってしまった。
クソツンデレ……不覚にも泣きそうになってしまったじゃないか。
次の試合が終われば、先輩達は引退だ。
進学や就職に向けて動かなければならない先輩達が部活に来るのは、たまに顔を出す程度になるだろう。
今が佐伯先輩と過ごす、最後の時間だ。
──それを削ってでも……いや、削っているからこそ。
深井先輩には必ず試合に来てもらう。
もう試合の日迄、あとわずか。
深井先輩は頑なだが、必ず連れていく。
ツーアウトからが本当の勝負なのだ。




