4話 イリス
イリスの正面にもコボルトが迫る。
不気味な青白い光は獲物を見定めギョロギョロ動き、大きな口は裂けんばかりに開かれ、全てを飲み込むかのような哮りを上げている。
イリスは右に淡く青色に光る剣を、左は凶暴な黄色に弾ける剣を構えて待ち受ける。
氷と雷の力を持つ魔剣だ。
次の瞬間、コボルトの右腕がイリスへ迫った。
巨大な腕は暴力的に地面へと叩きつけられる。
手応えはない。
そこに獲物はいない。
コボルトの目の前にさえいない。
風の疾さで一撃を避けたイリスは、雷の魔剣でコボルトの脇腹を薙いでいた。
激しい閃光と雷鳴が辺りに轟き、コボルトは音を立てて倒れ伏せた。
黒く焦げたその身体は誰がどう見ても即死している。
しかしイリスは顔をしかめていた。
コボルトを斬ったその手が、まるで鉄を木の棒で殴り続けたかのような痺れで覆われている。
――硬すぎる。
魔力を帯びたイリスの剣は通常のものより抜群に切れ味が良いはずだ。
それなのに、両断するつもりで切り払ったコボルトの胴は尖端部分が少し切れただけに過ぎなかった。倒せたのは雷の力を帯びていたからに過ぎない。
硬い皮膚で覆われているとされるオークを斬り付けた時でさえ、こんな手応えを感じた事はない。
このまま斬り続けているとすぐに剣を握れなくなってしまうのでは……。
イリスはその不安を打ち消すようにかぶりを振り、それから辺りを見回した。
その瞬間、先ほど抱いた一縷の希望が失われていくような感覚に侵されていく。
果敢に挑んでいた兵士たちが明らかに減っている
既に十人ほどが倒され、食われる姿がそこかしこにある。
兵師団の副隊長だけが複数のコボルトに囲まれながら奮戦しているが、残りの兵士たちは一対一で踏ん張るのがやっとであり、数はコボルトの方が圧倒している。
劣勢。
敗北。
全滅。
それらの言葉が頭の中に染み込んでくる。
駄目だ。自分がこんな弱気になっていては、村人たちも、置いてきたあの少女たちも守れない。
既にイリスの右からコボルトが迫っている。
落ち着け、落ち着け、と何度も自分に言い聞かせる。
右に向けて疾駆し、相手の隙を見定める。
コボルトは雄叫びを上げながら、左右の鋭い爪でイリスに攻撃を繰り出す。
イリスは体勢を低く沈ませてかわしながら、氷の魔剣で片腕を斬り付けた。
瞬きをする間もない程の早技だ。
己の腕が凍り付かされ、コボルトが慌てて腕を引っ込める、その一瞬をイリスは逃さない。
敵の腹に、全身の力を込めて深々と魔剣を突き刺した。
轟く雷鳴と共にコボルトは仰向けに倒れ伏せる。
しかしまたもイリスは顔をしかめていた。
いや、苦痛に顔を歪めていた。
今の一撃で手の皮が破れ、出血している。
――何だ。この異様な防御力は。
おかしい。ただ皮膚が硬いというだけでは説明できない。まるで連中の身体が何か特殊な力に守られているような、そんな気さえする。
だがイリスはそれに思考を割く余裕は持ち合わせていなかった。出血しようが握力が無くなろうが、剣を握り、振い続けなければ先にあるのは絶望のみだ。
イリスは一旦氷の魔剣を鞘に納め、両手で雷の魔剣を握ることにした。
戦況はさらに悪くなっている。
イリスが一匹片付ける間にも、更に兵士の数が減っており、前線は既に魔法部隊のいるギリギリの所まで下げられていた。
魔法部隊のすぐ後ろには村人たちがいる。
私が、私が倒さないと。
イリスは己を鼓舞するように、無我夢中でコボルトに向かっていった。