11話 死闘
最初、登ってくる4つの光は二匹のコボルトなのだと思われた。しかし、それが近づくにつれ誤りであることが分かった。
コボルトが二匹いるのではなく、双頭のコボルトがいるのだ。
それもかなり巨大だ。
遠目に村の建物や木と比較しても、その大きさは三メートルをゆうに超えているだろう。
しかもその巨体に見合わず、とてつもないスピードで一直線に迫ってくる。
その時、風を切り裂く複数の音が響いた。
エルフ達の弓が鳴り、放物線を描いて矢が飛んでいく。炎や雷など、魔力を付与されたエルフの矢は、闇夜を鮮やかな光で彩りながらコボルトに吸い込まれていく。
いくら大きくても、これだけの矢を一斉に浴びれば動きが、
――止まらない。
止まるどころか、速度を上げている。
命中したはずの数十の矢は、まるで火の消えたマッチのように光を失い、コボルトの左右に散らばっていく。
辺りが一気に焦りに似た緊張感で満たされ始める。
あれが到達したらこちら側に犠牲が出るのは目に見えていた。それどころか一気に全滅させられる可能性さえある。
僅かな逡巡の間にも双頭の魔物はぐんぐん近付いてくる。
コボルトが前線に到達するまで最早数秒しかない。
「弓兵、下がれ!」
それはエルフの兵士を率いていたと思われる人物が、弓兵を下げて白兵戦に切り替えようとした時だった。
にわかに弓兵の間を割って最前線に出た影がある。
「そいつは俺様の獲物だぁああああ!!!」
狂戦士は叫びながら、真っ直ぐ双頭のコボルトに向かって行く。
「よせ!」
「一人じゃ危険だ!」
エルフ達が口々に叫ぶ。
狂戦士は振り返らない。
大剣を自分の右後ろに携えたまま、低い体勢で突っ込んでいく。
両者は急速に接近する。
紅い光と青い光が鏡写しの流星のごとくに近づいていく。
狂戦士の大剣が先に閃いた。
まるで水を割る櫂のように容易く地面を抉りながら、斜めに、空に向かって振り抜かれる。
唸る大剣の軌跡にコボルトは居ない。
――避けられた。
抉られた土が雨のように降る中、狂戦士の赤い目が獲物を探して左右に揺れる。
その時、にわかに頭上で殺気が膨らんだ。
上だ!
狂戦士は寸前のところで前方に飛び転げた。
直後、鼓膜をつんざく音が弾け、爆発が起こったかのような地鳴りが当たりを揺らした。少女達を抱え、後ろに下がっていたイリスにさえ届くような大きな振動だった。
その事だけで、あの双頭のモンスターがどれほどの力を有しているのかは想像に容易かった。
恐らくこの場であれに勝てるのは、狂戦士だけだ。
コボルトの一撃を何とかかわした狂戦士は、起き上がると同時に右足を下げ、中腰で構える。その時初めて、双頭のコボルトの姿がハッキリと見えた。
全長は狂戦士の倍以上あり、その肩と腕は不自然なほど盛り上がっている。巨大な湾刀が両手に一本づつ握られ、右手が左手に比べて異様に長く太い。ここだけでも相当異質なのだが、一番不気味に映るのはやはり二つの頭だった。
幅の広い肩口から短い首を経て、コボルトと似た形の頭が二つ。
毛は所々で禿げあがっており、四つの目は今にも飛び出しそうなほど外に向けて膨らんでいる。
その人魂のような青白い目がギョロギョロと動き、狂戦士を捕捉してピタリと止まった。
総毛立ち、前傾姿勢になって唸り始める。
最早その声は犬や狼のものとは似ていない。先ほどのコボルトたちの声とも似て非なる。
ひたすらに冷たく、常闇の洞窟の奥から響いてくるような、凄まじい邪気と敵意を帯びた声。
それを発する口からは、呼吸をするたびに青とも緑とも取れない濁った光の蒸気が沸き立ち、口元には先ほどまで喰らっていたのであろう人間の、赤い血が滴っている。
おおよそこの世のものとは思えない。
神が作ったにしては造詣が凶悪過ぎる。
「スベテハ、ジャシンサマノ、タメニ」
双頭のコボルトは濁った蒸気を吐きながら、片言の言葉を発した。その言葉を聞いた瞬間、狂戦士は眉間に深い溝を作る。
「お似合いの場所に送ってやるよ。不細工シオマネキが」
狂戦士は嘲るように笑って、大剣を上段に構えた。
コボルトは一歩一歩、ゆっくり近づいてくる、次の一瞬。
魔物の吐く蒸気が長くたなびいた。
前に倒れるような踏み込みでコボルトが迫る。
離れていた二者の距離が急激に切迫する。
狂戦士の赤い光が縦に落ち、追いすがるように大剣が振り下ろされる。
甲高い金属音。
そして激しい光。
高重量の金属同士がぶつかることによって、草原が一瞬真昼のように明るくなる。
――受けられた。
一旦離れたコボルトは、バネのような踏み込みで狂戦士に二つの刀を交互に繰り出してくる。
交互にと言っても、その速さは誰も目で追えないほどの速さだ。
もちろん、その一撃一撃が狂戦士を両断するには十分すぎる威力を持っている。
剣の衝突による激しい火花が闇夜を絶え間なく照らし続ける。
狂戦士は防戦一方となった。
しかし、決してやられているわけではない。狂戦士にとってその攻撃は単調で読みやすく、大剣で容易に防ぐことが出来る。
狂戦士の目は冷静に相手の隙を探っていた。
右。左。右。ここだ。
突如、狂戦士の大剣が中段から上段に向かって、短い距離で振りぬかれた。
コボルトの左手に握られていた湾刀が宙を舞う。
コボルトがうめき、一歩後ろに下がる。
その一歩、狂戦士は右足で漬け入る、
相手の刀を弾くときに振り上げた大剣を、今度は袈裟切りの如く斜めに振り下ろす。
コボルトは右手の刀を両腕で持ち替え、それに応する。
今までで一番大きな火花が両者を照らした。
二者の戦いを見守る者達は、その一瞬がまるで切り取られた風景画のように鮮烈な印象を受ける。
押し切ろうとする狂戦士と、押し戻そうとするコボルトの間で鍔迫り合いになる。両者一歩も引こうとしない。それはとてつもない密度の力の均衡の元で成り立っていた。
両者の身長は倍半分離れている。
自然と狂戦士は不利な高さで剣を振ることになり、力も入りづらくなる、はずだが、狂戦士が徐々に、徐々にコボルトを押し切り切り始める。
「おらあああああっ!」
狂戦士は雄叫びを上げながら、コボルトに向けて、大剣を一気に押し込んだ。コボルトの両腕が震えている。
行ける。
分が悪いと判断したのか、コボルトはなるべく距離を取ろうと真後ろに飛ぼうとした。しかし、狂戦士の剣が凄まじい圧力で押し込んで来ているため態勢を崩してしまう。
その一瞬の隙を狂戦士は見逃さない。
足を半歩ずらしながら踏み込み、膝を崩したコボルトの身体に、まるで薪を割るかのように大剣を振り下ろした。
焼かれる村を照らした刀身が、赤い光を従わせながらコボルトに刺さった。いや、
――手ごたえがない!
狂戦士の剣は、ちょうどコボルトの双頭の真ん中に向けて振り下ろされた。
しかし、斬れていない。本来なら魔物の身体を真っ二つにしているはずの剣は、振り下ろされた位置、二つの首の間で止まっている。
あれほどコボルトを両断してきた大剣が、である。
コボルトの口元が歪む。
今の狂戦士は隙だらけだ。
状況は一気に悪くなっていく。
コボルトの右腕から剣が繰り出される。
その一撃は柔軟にしなり、だからこそ強烈な一撃となる。
斜めに振り上げられたその一撃を、狂戦士は身体をのけぞらせながら何とか避ける。
しかしその態勢で二回目は避けられない。
この時点でコボルトが湾刀を二本持っていたら、狂戦士は胴を切り離されていたことだろう。
コボルトは返す刀で狂戦士を薙ぐより、確実にダメージを与えることを選択した。
無防備になった狂戦士の腹を、その強靭な脚で思いっきり蹴り上げた。
狂戦士は吹き飛ぶ。彼の身体はまるで矢のようなスピードで蹴り飛ばされ、森の木にぶち当たった。
直撃を受けた木は樹齢五十年は越えようかと言う大木であったが、根元から折れ、甲高い葉音を響かせながら倒れていく。
もちろん狂戦士も無事でいられるわけがなかった。
完全に人体の強度を超えるような衝撃に、狂戦士は大量の血を吐き出す。骨が何本も折れているだろう。それでも何とか意識を保とうとするが、視界が、揺らぐ。
上手く焦点が定まらない。
身体が言う事を聞かない。
それをあざ笑うかのように、コボルトはゆっくりとこちらに近づいてくる。
これで終わりにするためだ。
狂戦士の負けは、この場の全員の死を意味する。
その時が近づいている。