1-70.『故郷』
なんとか建物の中に入ることが出来た透たち。
足を踏み入れてみると、鏡のように反射するリノリウムの床が広がっていた。そして、ここはキッチンやソファ等が置かれていた。どうやら、地球上での常識で言うリビングや台所に当たる場所へ来たようである。しかし、勝手口に段差は無くどうやら土足で入らなきゃいけない雰囲気だった。
カーペット等が敷かれていないのを見るに、先程の建物と違ってこちらは内部はある程度は整理されていて綺麗な新築の様子だった。外から見た正面ドアから、あの物騒な音が聞こえてくるとは思えないくらいに驚く程に。それだけに、透たちは音の正体を知るのに少々不気味だった。こんな綺麗な場所が、地球上でいうところの不良集団やマフィアの溜まり場になるとは思えなかったのである。それくらいに、ここは綺麗な場所だった。
しかし……先程の建物の内部の古さや汚さがおまけ程度に見えるくらいに、それが気にならない程に大きく明確な違いがこの建物にはあった。なんと、この建物の内部は異様に暗かったのである。先程の建物と比べると、より一層に透たちを不気味に加速させた。
そして、颯空が縁起でも無いことを言う。
「なぁ……透の推測が正しければ、この建物に向かってる足跡は直輝たちのなんだよな? そして、この世界は地球上の可能性は低い。もし、この世界の化け物がこの建物にいたりでもしたら……」
「よせ。今は洒落にならん冗談を言うべき時では無い」
「でも、なんだろ……強烈な嫌な予感が…………」
「……」
瑠夏たち幼馴染みが不安になっている中、透だけが落ち着いたまま真剣に前を向いていた。こんな怪しげな空気の状況下でも、透の表情は相変わらずだった。
そして、そんな透の左手を刻は確実に離さなかった。
そんな刻の様子を見て、燈も透の右手を握りたくなってきた。透の温もりを無意識に欲していたのである。今なら、暗くて周りにバレないかもしれない。しかし、刻にバレたらということを考えるとあまりにもハイリスクなことだった。燈は、またしても踏み出せずにいた。
しかし……そんな中で、予想外のことが起きた。
なんと、月葉が透の右腕を組むようにそっと掴んだのである。
「……月葉?」
「ごめんなさい……怖いの……」
「……」
燈は、そんな月葉を見て当事者でも無いのに内心で驚き焦っていた。「いくら暗いとはいえ、刻の目の前で堂々と何をしているのか」と、あたふたする。
恐る恐る、刻の表情を伺ってみる燈。しかし、それもまた予想外のことだった。
刻の表情はいつも通り普通だったのである。明らかに月葉の行動に気づいてはいるはずである。寧ろ、刻ほどの人間が気づかないわけが無い。にも拘わらず、刻はそれを見逃しているかのように、そして、まるで「今のような状況なら仕方無い」と言わんばかりに許容している表情をしていた。
この月葉の行動を、もし乃之がやっていたらどうだったのだろうか。考えるだけでも恐ろしかった。
また、若しくは燈自身が同じ行動を取っていたらどうなるか……。自身が透と二人きりで混浴して過ごした、あの時間を既に刻にバレていたら……間違い無く、乃之に対する態度と同じになるだろう。寧ろ、裸の付き合いをしてしまっている以上、乃之以上に怒られるかもしれない。それも含めて怖かった。ある意味、自ら答え合わせをしに行くような者である。そんなハイリスクな行動を取るのは、「よっぽどの怖いもの知らずだろう」と燈は思った。
もし、まだバレていないのなら……自身も月葉のように許されていたのだろうかと疑問になる燈。考えれば考える程、先を越された気分になり悔しくなる。まるで、先手必勝かのようで後悔していた。
それなら自分は……負けじとひたすら透の背中にくっつくようについて行くことを心に決めた。刻と月葉の間に混ざるように歩く。
「……」
「……」
一瞬だけ、燈を見る刻と月葉。しかし、二人とも表情に変化は無かった。月葉に関してはそれは元からのことだったが、一気に恋敵たちが透の傍に訪れるこの状況に、刻が何を思っているのか不安だった。怖かったのである。燈だけが、周囲とは違う別の種類の怖さに怯えていた。
燈が刻について考えている内に、透がピタリと足を止めた。
「透お兄ちゃん?」
「と、透くん……?」
「……いる。この先に」
「え……」
「い、いるって何が……? も、もしかして、化け物なんじゃ……!?」
「……因みに、化け物の気配では無い。人の気配だ。今に、その正体がわかる。だけど、念の為、今はまだ静かにしていてくれ」
「わ、わかった」
透の言葉に従う瑠夏。そして周囲たち。そして、透たちはリノリウムの床からフローリングの床に変わる廊下を渡り、覚悟を決めて更に先へと進んで行った。
忍び足で歩くフローリングの床の足音は、数少ない地球上との共通点だった。聞き慣れる音。なんだか、地球が懐かしく遠い昔のように錯覚してくる透たち。自分たちの意思で見ず知らずの土地に来たわけでは無く、半ば強制的に移動させられた為に、ホームシックの度合いが格別に違っていた。
日本国外での生活を幼い頃から約10年間経験している乃之も、当時はこれに近い感覚だったのだろうかと考える透たち。そして、乃之本人がもう気づいているのかどうかはわからないが、もし彼女がここが地球上ではないかもしれない可能性に気がついていたとしたら、地球内での国外移動なんて可愛く思えてるのだろうかと透たちにはそんな疑問が浮かぶ。
少なくとも、しょっちゅう日本国外へ出かけている呂威や行悟は今までの移動よりは遥かに落ち着かなかった。家の仕事であれば、行きたくない場所であったとしても本人の望む望まないに関係無くまだ割り切れる。しかし、今のこの状況はそうではないだけに、達成感も得られず家の仕事でやむを得ない移動とは別の不快感があった。
故郷がどれだけ、自分たちにとって安息の地だったのかを改めて考えさせられる。燈や瑠夏は、考えれば考える程泣きたくなっていた。
そして、透は周囲がそんな不安や悲しみを抱いていることはとっくに把握しており、「実質的に皆を巻き込んでしまった俺が、やっぱりなんとかしないといけない」と責任を感じていた。
だが、今は……目の前のことに集中せねばいけなかった。帰る手段が現段階ではまだわからない以上、後に考えるべきことは後に考えようと思っていた。今考えても、最善の答えが見つかるとは思えない。それに、まだ一緒にいないメンバーもいるのに自分たちだけで先に話し合うなんてことは透には出来なかったのである。自身の命の危機に晒した彰人すらも含めて、誰一人として置いていけないのだった。
透たちが話を一時的にしないまま、色々と考えながら先を進んでいると……何やら広い場所へと辿り着いた。ロビーのような、エントランスのような広大な空間。大理石の床。高級感のあるまるで洋室のような雰囲気。しかし、周囲は相変わらず暗い。
透は、既にその暗い理由に気がついている。窓が全て閉鎖されており外部からの光は遮断されていた。その為に、この建物内で何が起きているのか外からは建物内の音でしか判断材料が無かったのだ。入る前から、建物が暗いことも透は知っていた。
しかし……ここも不思議なことに、外の自然の景色と同様で光源が無いのに建物内は真っ暗なはずにも拘わらずある程度は視認できた。外で同じ経験を長くしたからか、透たちはそれがいつの間にか当たり前の感覚になっていて既にそれが違和感とすらならなくなっていた。
そして……透たちは驚くべき光景を目の当たりにする。
そこに映ったのは……汗まみれで息を切らしている明日花、直輝、乃之の三人、泣いている星名、不機嫌な瞬、そして……パンツ一枚の姿で、拘束されている痣だらけのまま笑っている彰人の姿だった。
透たちと明日花たちは目がばったり合ったまま、暫くの間硬直していた。
そして、透は咄嗟に一言のセリフを放った――。
「お前ら……何してるんだ?」




