1-41.『特別』
明日花がなかなか戻って来ないと思っていたところ、また大浴場に入って来る誰かの足音が聞こえてきた。
「こ、今度は誰なんだろう……」
「多分、心だな」
「え? わかるの?」
「氷嚢を付け続けすぎてまた寒くなったんだろうというあいつの心理を推測。暑すぎるからって、いきなり人前で全部脱ぎ出すような奴だからな」
透がそう言った直後、心の溜め息の声が聞こえて来た。
「す、凄いね……大当たりだよ…………」
燈は、透を改めて恐るべき存在と認識した。心が再び湯に浸かり始める音が浴場中に広がった。
「……しまった。誰もいない内に出ればよかった」
「あっ……!」
透と燈は、心が再びここに来るまで壁の向こう側に誰もいなくなっていた隙のタイミングが、浴室を出るチャンスだったと後悔する。
しかし、まるで透と燈の想いが通じたかのようにチャンスが再び訪れる。
「ん? 湯に浸かったのになんか少し寒いと思ったら露天風呂の扉開いてるじゃん」
心が、明日花のいる露天風呂に向かったその時、透は燈の手を掴んだ。
「行こう。今がチャンスだ」
「う、うん……!」
透と燈は、ゆっくりと立ちあがる。そして、混浴する前に脱いだ衣服と替えの浴衣をそれぞれ手に取り、ようやく浴室を出た。
【脱衣室】
透と燈は1時間以上ぶりの脱衣室へと戻って来た。燈は溜まっていた羞恥心や興奮によるエネルギーを解放するかのように呼吸を繰り返していた。
そして、燈は何事も無かったかのような振る舞いをして透の体調を心配する。
「と、透くん……大丈夫? 具合悪くないかな?」
「それはこっちのセリフだな。燈こそ、大丈夫か? だいぶ過呼吸だが」
「ご、ごめんね……自分のせいでこんな……」
「落ち着くまではゆっくり休んでてほしい。と言いたいところだが、電気が復旧するまでにはお互い浴衣を身に着けておかないとな」
「わ、私もそうしたいけど……まだちょっと、胸のドキドキが止まらなくて……」
「それは困るな」
「え? ご、ごめんね、何か用事があるなら無理してでも急ぐよ」
「いや、違う。明るくなるタイミングが悪かったら丸見えになってしまうから」
「そ、それは今更じゃない!?」
燈は思わずツッコミを入れる。
「わ、私は透くんになら見られても、触られても平気だから……だから、気にしないでね。それ以上のことを、さっき私たちはしたんだし……まぁ、全部私が原因だけど……」
「……さっきのアレは本当に事故なんだな? わざとじゃないよな?」
「え……!? わ、わざとじゃないよ! 暗くて何も見えなかったから、本当に事故なの! そもそも、透くんにそんなことをする度胸なんて、私には……」
燈は、焦ってつい全力的で否定してしまう。透に嫌われてしまう。
「わかってる。冗談だ。燈に限って、あんなことをわざとするわけ無いだろうしな」
「……えっ」
燈は、まさかの透に弄ばれるという予想外な展開に全身が赤くなる。急激に発熱して蒸発する。
「と、ととと透くん!? ひ、酷いよ!!」
「いきなりで悪いな。素直な燈には色々とやられてしまったからついちょっとした意地悪をしてしまった。でも、こういう隙を作らないようにこれからは気をつけるようにな」
「ええ、そんな……! うぅ~……まさか、透くんにやられるなんて……」
でも、燈は悔しさはあっても全く不快には思わなかった。寧ろ、透との距離がかなり縮まってたようで嬉しかった。透がこうして、誰かに冗談で言うのは天地がひっくり返ってもなかなかないことである。そんな珍しいことが、たった今起きたことに燈は特別感を抱いていた。燈は、頬を桜色に染めながらとても幸せそうに微笑んだ。
「じゃあ、私も……えいっ!」
燈は、仕返しに透にいきなり抱き着いた。暗闇なので今は視界を肉眼で確認することは出来ないが、透は今、燈に後ろから抱き着かれている状態である。
「あ。体温が急激に変化して、具合が悪くなった」
「……もう騙されないよ? 透くん。いくら私でも、学習はするからね……」
「俺はまだ少し逆上せているかもしれない。燈は大丈夫か?」
「え? わ、私も……まだクラクラはしてるけど。も、もしかして、本当に体調悪いの?」
「……かもしれない」
「と、透くん……もし冗談だったら、言ってもいい冗談と悪い冗談があるよ? 私、透くんを無闇に疑うことなんて出来ないから、透くんの言葉だけはそのまんまの意味でしか受け取れないよ?」
燈は、透の言葉に素直な焦りを見せると、明かりが突然点く。どうやら、電力が復旧したようである。
明るくなった目の前の光景に、燈は今日何度もしてきた反応をして顔中が真っ赤になる。透の項と温かい背中が、燈の前に移ったのだ。
「ご、ごめん! 停電してるのをいいことに、勝手なことしちゃって……」
「なに、今更だ。俺が先に冗談を言ったんだしな」
「あ、その、えっと……」
透のペースについて行けない燈は、あわあわして言葉に詰まっていた。自身が透を背後から襲っている有利状況にも拘わらず、完全に透に全てを掌握されてしまっている感覚に陥ってる燈。燈は何度も経験した透の恐ろしさを改めて身をもって体感する。
透に対抗意識を持つ気は元から無いが、燈は透にはやっぱり永遠に敵わない相手だと微笑んだ。
燈は、今日の一連の流れを通して透に対して感じていた率直な疑問を透に伺う。
「ね、ねえ、透くん……」
「悪いな、意地悪したから怒らせちゃったか?」
「い、いや、それは絶対に無いよ!? 私が透くんに怒るだなんて、恐れ多いしそんな……そうじゃなくて、その……どうして、今日はこんなに沢山、私のことを受け入れてくれたの? いや、嬉しいんだけど意外でびっくりで……」
「……」
透が少し沈黙した後、燈の質問に答える。
「正直」
「は、はい……」
透がどういう返答をしてくるのか、燈は全く予想が出来ず心臓が委縮する思いだった。しかし、予想外の返答に燈は一瞬だけ全身の力が抜けて拍子抜けする。
「俺にもわからない」
「え……!?」
「ただ、不思議と不快じゃなかった。いつも大人しくて消極的で引っ込み思案気味な燈が、俺に色々と意見してくれたことで特別な気持ちが芽生えたのかもしれない。勿論、誰かに意見されること自体は嫌なことじゃない。燈がしてくれたことに意味があると考えてる。皆に言えない特別のお誘いを、自分にだけはしてもらえるということは、きっと多くの人が嬉しいんじゃないか?」
「と、透くん……」
燈は、大人しくて消極的で引っ込み思案気味だということを自覚はしていたが、誰かに直接言葉で伝えられるのは恥ずかしさが違いすぎていた。何より、大好きな透に言われることが羞恥心を高めていた。
しかし、透の言葉には納得せざるを得ず、寧ろ流石の回答だと感動すら覚えていた。
「入った後でも、さっき燈の家庭内の話を聞いていて不憫に思ったから。こうさせることで燈が元気になるのなら、受け入れない理由は無いと俺は思った。燈には、いつも助けられているからな。このまま放っておくことは俺には出来なかったんだと思う」
「……透くん…………」
燈は、また目に涙が溜まりそのまま溢れ出てきた。すると、透からバスタオルを手渡される。
「悪い、思い出させてしまったな」
「ううん、大丈夫だよ。私の方こそ、いつも透くんには助けてもらってばかりだから……よかったら、これからも透くんと一緒に支え合いたいな」
「勿論。俺の方こそお願いしたい」
「ありがとう……本当に」
燈は、涙を流しながら微笑んだ。透は既に浴衣を身に付けている中、透との話に夢中でまだ浴衣を身に付けるどころか身体中の水滴も拭き終わっていない燈。燈は、透に置いて行かれないように急いで浴衣を身に着けようとした。
「ねえ、透くん……よかったらまた、二人きりでお風呂に入って相談し合いたいだけど、いいかな……? 誰にも邪魔されないところで……もう、こんなに見合ったり触れ合ったりしちゃったから、私は透くんとならこれからいつでも大丈夫だよ。正直、女子よりも一緒にお風呂に入ってて安心するんだ……」
「そうだな……それは俺の気分次第ってところだな。相談に関して言えば、状況によっては別に入浴時に限らなくてもいいことだから。今日は、重要な話もあったし女子にトラブルがあって動きづらかったからな」
「そっか……そうだね。また、機会があったら、その……よろしくね」
「約束しちゃうと、なんか変な違和感があるから……今日みたいな緊急事態の場合ならな」
「う、うん……」
燈は、自身の発言を振り返ると物凄く恥ずかしくなる。その上、透からは約束されずより羞恥心が高くなる。透が脱衣室を片付けている中、燈は急いで浴衣を身に着けようと行動した。今の恰好で透に誘惑と捉われ兼ねない発言をして、居ても立っても居られなくなった。




