1-36.『再発』
「透おにーちゃん本人が、きみと結ばれるのを望んでいるなら、皆もきみに対してあれこれ言うことも無くなるじゃない? きみに敵意剥き出しで怒った刻おねーちゃんだって、何よりも透おにーちゃんが幸せになってくれることを望んでるから。もちろん、あの人も女の感情として自分が一番透おにーちゃんと結ばれたい気持ちも強いだろうけどねー」
「……刻ちゃんに勝つのなんて、相当難しいよね。一緒にいる時間でもかなり負けてるのに、そこから追いつくなんて……わたしが日本に帰って来たところで、どんどん引き離されていくだけのような……」
「じゃあ、諦めるの?」
「そ、それは絶対に無いけど…………でも、勝ち目が無さすぎて苦しくて、つらいよ…………わたし、これからどうしたらいいの…………」
悲壮感が益々漂う乃之の声。
「……中途半端な気持ちで透おにーちゃんのことを好きになられても妹として良い気はしないから、そういう意味ではきみはまだ良いと思うよ。変な距離感で透おにーちゃんに絡むヤツらに比べたらね。ま、わたしは恋なんてしたこと無いから偉そうなことは言えないけどさ」
「……もし、わたしがトオくんのお嫁さんになったら心ちゃんは受け入れられる?」
「大きすぎる話に出たね……」
心は、乃之のハイペースな勢いの質問に追いついて行ける気がしなかった。
正直、話していて疲れるレベルに感じていた。しかし、いくら大切な透を怪我させた相手とはいえ、本気でつらそうにしている人間を見離すのも心の良心が痛む。可能な限り、心は乃之の話し相手になろうと喰らいついた。
「……正直、今は無理かな。なんか、今度は逆恨みで透おにーちゃんに意図的に攻撃しそうで怖い。きみがどういう人間に育ったのか、関わった時間がまだ少ないからわかんないし。まずは、どんなに不快な相手がいてたとしても獣じゃないんだから、暴力で解決しようとするような人としてのレベルの低さをどうにかしてから透おにーちゃんにアプローチしてほしい。結構きつい言い方をして申し訳無いけど、今はそれぐらい透おにーちゃんときみが同じ空間にいると警戒しちゃう」
「……気をつけます」
燈は、乃之の透への想いを聞いてつらくなっていた。
自分も、透に10年以上恋をしてきている立場として決して他人事では無い話の内容だった。
肝心の透がどう思っているのかが、まだわからなかったがこのままいくと将来の婚姻相手は確実に刻になってしまいそうな雰囲気が今の時点でも感じる。燈は考えれば考える程、負の感情が積み重なって泣きたくなる。
今、たまたま透と生まれたままの姿同士で抱き合っていて恋人同士みたいな状況になってしまっているが、この温もりも今だけしか感じられないかもしれないと思うと切なくなっていた。
考えれば考えるほど、泣きたくなる燈だが透が目の前にいる状況でそんなことは出来るわけ無かった。
「ま、これから気をつけていけばいいよ。悔いの残らないように、自分なりに最大限頑張っていけば? あの何考えてるかわからない透おにーちゃんも、誰かに好かれて悪い気はしないだろうし?」
「うん……ありがとう。心ちゃん」
心の励ましに、声が少し元気になる乃之。
しかし、そのポジティブな流れは一瞬にして凍り付くように途絶える。
「あっ」
「……」
「うっわ」
燈は、三人目の声を聞いて鳥肌が立つほどに嫌な予感がした。明らかに悪意のある敵意剝き出しでドン引きしているような声。
隣の大浴場に新たに増えた人物の声は……特徴的で反響していても誰かわかった。
――明日花だった。
乃之も、一気に廃棄物や苦手な虫を見つけた時と同じような険しい表情に変わる。
お互いに、一気にお風呂が居心地悪くなる。空気の急激な悪化に、見るまでも無く理解する心。
心は、それを見透かすように乃之に耳で囁く。
「気持ちはわかるけど、目を合わせて関わっちゃダメ。また、さっきと同じことの繰り返しになっちゃう」
「う、うん……ごめんなさい」
すると、明日花が二人の行動が気に入らなかったのか突っかかって来た。せっかく、乃之が相手にしないよう冷静になったのに、明日花の方から関わって来たのだ。
「ちょっと、そこ! 何ヒソヒソ話してんの? 感じ悪すぎなんですけど」
「別に。うるさいから静かにしてよ。人様の家だっていう自覚ありますか?」
心も、イラッと来たのかまるで乃之に代弁するかのように言う。
「ははーん。そいつのお涙頂戴にまんまと引っかかったのね? 透と違って、アンタは昔からずっと簡単に騙されるわよねー」
「……何勝手に自己完結してるの? そんなことより、風呂入らないなら出て行ってくんない? 用が無いのに、こっち見ながら浴場内をうろつくのはまるで不審者じゃん」
「はんっ。外を裸でうろついたド変態丸出しの不審者が何か言ってるわ。アンタさぁ、泥まみれの汚れた身体をちゃんと全部洗ったの? うるさいよりも、そっちの方がよっぽど迷惑だと思いますけど?」
「……!!」
明日花が発言を終えた瞬間、激しく水滴が飛び散る音が鳴り響く。
そして、その瞬間に明日花は全身に力が入る。
「……くっ!」
「もう黙って聞いてられない!!」
「ちょ、ちょっと……! やめろって!」
なんと、湯から飛び出して来た乃之によって明日花はどつかれて転倒しかけたのだ。なんとか踏ん張って、明日花は転倒を免れた。そして、明日花はそれに反抗して乃之と取っ組み合いになる。
早速、心の言いつけを破ってしまい透を怪我させてしまった状況の再来となってしまった。
心は、慌てて二人を辞めさせようとした。
「ごめんね、心ちゃん。せっかく沢山アドバイスしてくれたのに。でも、もう我慢出来ない。この女はちょっと、一回痛い目を見ないとわからないよ」
「な、何すんのよ、この暴力ケダモノ女! アンタ、そんなことでしか解決出来ないわけ!? 一体、どんな教育されて来たんだか。親の顔が見てみたいわ!」
「ケダモノは貴方でしょ? 悪口や誹謗中傷だって、立派な暴力だと思いますけど? 誰に対しても攻撃的な野獣は、攻撃で成敗されるべきだよ」
「物理的な暴力なら良いって言うの!? アンタ、ほんっっっとうに人間向いてないわ!! 持ってる服をさっさと全部廃棄して野生化して森や山にでも暮らしてなさいよ!! そいつみたいに素っ裸で外歩き回ってればいいのよ!!」
「わたしの悪口だけならともかく、他の人を巻き込むのは許せない!! 貴方こそ、どんな教育を受けてきたの? 誰かに悪態ついてばかりで、道徳心を知らない貴方こそ野生に目覚めればいいじゃない!!」
どんどんエスカレートしていく、明日花と乃之の物理的な喧嘩。それを止めようにも、手に負えない心。
これに混ざってしまったら、自身も怪我をしてしまうリスクがある。かつての透のように。
心は、それが怖くて口頭の注意でしか二人を制御することが出来なかった。
「だ、だからさ、やめろってば!! それで誰が怪我をしたのか忘れたの!? 本当にケダモノじゃない人間なら、どっちも落ち着いて冷静になれよ!!」
「今は透はいないじゃない。だから、思う存分暴れられるわ」
「ふんっ、貴方は威勢が良いだけで弱そうな身体だよね。貧相な身体つきで成長する見込みも無いし。せめて、中身だけでも大人になったらいいのに。食料を得られない餓死寸前の動物みたいだよ?」
「…………言ったわね。アンタのその無駄なでか乳こそ、動物に向いてる身体じゃない。知性の欠片も無くてまるで家畜みたいね」
「うるさい!!!!」
「バチン」と鳴り響く乃之によるビンタ。明日花は、頬が真っ赤に晴れて涙が出る。
「…………痛。まじ、ありえない。本当最低…………アンタ、ほんとに1000年以上遅れたクズじゃない…………」
「あれ? あんなに強気だったのに、もう怖気づいちゃったの? やっぱり、所詮は口だけ……」
乃之が明日花を挑発していたその瞬間、乃之は宙を僅かに浮いた。
「…………え?」




