1-31.『比較』
「これを誰かに話すのも、混浴を提案したのとは別に凄く勇気のいることだったろうな。思い出したくも無かったことを話してくれてありがとう」
「えっと……ごめんね? 相談に乗ってくれるとも言ってないのに、いきなり暗い話をし始めちゃって……」
「いや、咄嗟に話してしまうほどに、燈は追い詰められていたってことだろうから。寧ろ、幼馴染みとしてもっと早く気づくべきだった。燈と仲が悪い妹がいるのも知ってたから推測は出来ただろうし。仲の悪い妹の存在が、そのままの形で食事制限を半強制的に強いらされてることまで至らなかった俺もまだまだだな」
「と、透くんが自分を責めることは無いよ!! 悪いのは、私の弱さだから……」
「いや、身近な人のケアも出来ないような奴が医師を目指すだなんて烏滸がましいことだった。父さんは人体、メンタル、獣医など全ての分野に応じた世界で大活躍している国際総合医師だ。実際に医師になれば、身近でない人のこともしっかり知って対応しないといけない」
「で、でも……」
燈は、透をそういう方向に考えさせてしまったことに強烈な罪悪感を抱く。自身の弱さのせいが、透にここまで言わせてしまって今にも消えてしまいたいくらいだった。
今度は、透に対する申し訳無さで涙が出てくる。
「燈のおかげで、自分の未熟さに気づくことが出来た。お礼を言うのも変な話だが……おかげで、更に意欲が湧いた。これからも精進するよ」
「え……?」
燈は、まさかの展開に戸惑う。
「って、ごめんな。燈が大変で辛い思いしている話を俺の意欲に利用してしまって」
「ううん……大丈夫だよ。透くんの役に立てたなら……私にとっても嬉しいよ」
燈は、安堵が混じった涙声という自分でも出したことの無い声を出した。
「……俺の母さんが、燈の事情を知ったらどんな顔してしまうだろうな」
「あっ……絶対に言わないでね!? おば様はとても優しいお方だから、いくら幼馴染みの関係とはいっても私のお母さんと絶縁する勢いで飛んでいっちゃいそうだから……それに、私の弱さの問題だから広まると情けなくなっちゃうし……何より、透くんを絶対に巻き込みたく無いの」
「いや、俺も言うつもりは無い。燈の名誉は勿論だし、燈の言う通り、俺の母さんは正義感が強すぎて一度スイッチが入ってしまうと、良くも悪くも徹底的になるから何をしでかすかわかったもんじゃないしな。母さんが暴走機関車になれば、誰も止められそうに無い」
「あ、あはは……でも、おば様は絶対に良いお方なのは間違い無いよね。誰かの為に、そこまで怒れるって本当に凄いよ。透くんたちは私たちよりも兄弟の数が倍以上多いのに、全員公平に万遍無く面倒見てるし……透くんがとても良い人なのも納得出来るよ。もちろん、おじ様もとても良いお方だし。透くんは、そんなお二方から遺伝子して生まれて来たんだから、そりゃあ確実に良い人になるよね」
「否定はしないが……俺だって完璧な人間じゃないぞ」
透を褒め称える燈。しかし、それでも普段通りの表情と声のトーンの透。燈は、透の反応が変わらないことはわかっていても、心の中で苦笑いして落胆する。
「そういえば、この話は燈に話したことがあったかな」
「え、何を?」
「昔、刻と心が大喧嘩した時の話」
「わからない……かもしれない」
「とりあえず、話してみるか。刻と心が言い合ってた時、心が刻に対して松本家の血が無い余所者は出て行けって非人道的なことを言ってしまってな。それを聞いた母さんが……凄まじい形相で心に怒ったんだ。母さんが怒ること自体がそもそも珍しいんだが、あんなに最高潮に怒った母さんはあの時っきりだな。俺も含め、当時は周囲の全員が怖がっていた。もちろん、当事者の刻も心も。その後、心は自分で産んだ娘よりも他人の娘を選ぶんだって泣き出して引き籠った」
「そ、そんなことが……」
想像以上に、壮絶だった話を聞いて燈は無意識に青ざめていた。
「その後、母さんも崩れるように泣き出した。実の娘の発言の酷さがあまりにもショックだったみたいで、刻のことを抱き締めて泣きながらずっと謝ってた。実の親として、物凄い責任を感じたんだろうな。滅多に泣かない刻も、そんな母さんの様子に耐えられなくて貰い泣きしてた」
「…………」
燈は、その時の光景を想像して涙が出てきた。優しい麗美の性格を考えれば心の発言がどれだけ悲しい思いだっただろうかと想像すらも計り知れない。そんな優しい麗美なら、血の繋がっていない刻も自分の実の子どもたちと当然同じくらい大切だろう。それほどの愛が無ければ、自分の家に他人の子を迎えたりなんて出来ないだろう。
不本意ながらも、自分の母親にそこまで出来るだろうかと麗美とつい比べてしまう燈。自分がいつか子どもを産んで母親の立場になったら、どちらのような母親になりたいかと問われれば正直言うまでも無いかもしれない。
誰も傷付けたくないという燈の心優しい性格上、自身が下だと軸にした上で他の誰かと比べることはあっても、誰かと誰か同士を比べるようなことは本来ならしたくなかった。
当然ながら、自身の方が上として他の誰かを下に見ることも出来ない。そもそも、口にするわけでも無く心の中でとどめておくだけだとしてもそんな度胸も無い。それ程に誰かを卑下するのが嫌だったのだ。
しかも、よりによって自分の母親を下にするような比較を一瞬でも考えてしまった燈。燈は、そんな自分に嫌気が差す。
自身の両親は、自分と他の兄弟姉妹と誰かを比べて格付けしたりしてるのだろうか。不覚にも、そういったネガティブな考えが脳内にチラついてしまう燈。考えること自体が嫌だったが、せめて自分の子と自分の子を比べるような人であらないでほしいと願っていた。
そして、自他の母親同士を比べてしまった自分にそんなことを思う資格は無いのかもしれないとも思い始める燈。更には、自他の母親同士を比べてしまう思考が両親の遺伝によるものでは無いと思いたい燈だった。
「燈」
「え?」
燈が長々と考え込んでいるうちに、透に話しかけられて意識が戻る。そして、まるで自身の心の中を読まれきっているかのように透は告げてくる。
「おばさんが燈にとってどんな風に考える人だとしても、良くも悪くも燈の母親であることには変わり無い。母さんから聞いた話なんだが、おばさんは昔から体力が無くて病気がちのあまり身体もそんなに強くなかったそうだ。いくら技術の発展で2000年代よりも出産時のリスクや痛み、負担が大幅に軽減されているとはいえ、燈の兄弟姉妹の数も十分に多いからおばさんも身体にして相当頑張ってることは間違いない。もちろん、子どもを産んだ以上は全員の面倒をしっかり見る責務はあるけどな」
「透くん…………」
透の言葉に、燈は透への尊敬と同時に自身のことが情けなくなる。いくら医療の知識が豊富とはいえ、実の娘である自分よりも透の方が母親のことを考えてくれていることに感動と同時に悔しさも混ざって複雑な心境だった。
透と自分とじゃ、天と地の差を感じていた燈。また比べてしまったことで心底自分自身に呆れていた。
透が続く。
「だから、自分への扱いが不当に感じたとしても、俺が今までおばさんを見て来た限り悪気は無い気がするんだ。その時の状況やおばさんの機嫌とかも直接見たわけじゃないから断言はしないけどな。考えたくは無いが、本当に燈の感じたまま通りかもしれないし。おじさんも、最後に見た顔をから分析すれば家を支える為にかなり仕事を頑張っていると思う。二人とも。本当に自分のことで精一杯なのかもしれない」
燈は、また透が気遣ってくれているのを感じた。親を庇ってくれることで、自分のことを安心させようとしてくれている透の優しさに燈はしみじみする。燈は、涙声で透にお礼を言う。
「……既に医師レベルの知識がある透くんが言うのなら、間違いは無さそうだね。本当に、ありがとう……何から何まで」
「俺は何も。落ち着いたか?」
「うん、おかげさまで。ありがとうございました、先生」
燈は、目元と頬が赤いまま、涙を流しながら笑顔で透にお礼を言った。
すると、透が何故か固まってしまった。燈は、その時微かに透の表情が揺らいだ気がした。




