1-30.『診察』
「そうか……って、燈。何してる?」
燈の今の体勢の姿に、透は率直な疑問をぶつけられる。燈は、支給されたタオルを片付けて、手で上と下を隠している姿で透の目の前で姿を晒したのである。
「いつまでもこうだと、透くんに申し訳無い気持ちでいっぱいで……私から言い出しておきながら、透くんと合意したことなのに。忙しい中、あれこれ考えてくれて準備までしてくれたのに、このままじゃ、本題にも移れないって思ったの」
「燈……」
燈のセリフに、透は第三者にはどんな感情が含まれているのかわからない声を出す。
燈は、そのポーズを維持しながらも、一歩、そしてまた一歩と透に近づいて歩く。
濡れた床タイルを「ヒタッ、ヒタッ」と裸足で踏みしめる、歩く度に鳴る自身の足音に燈は自分で重く感じていた。
そして、覚悟を決めすぎた燈が自分でも思いもよらないことを透に言い出してしまう。
「透くん……」
「なんだ……」
燈は、息をごくりと呑み込む。
「私の身体を……みてくれないかな」
「…………」
透は、表情が変わらないまま無言で沈黙する。自身も徐々に顔が赤くなりながらも沈黙する燈。
(な、何言い出してるんだろう――――!? 私――――――!!!!)
大人しい性格の燈には、絶対に実際に出せない大きさ声を頭の中で叫ぶように出した。燈は、せっかく覚悟を決めたのにまた振り出しに戻って羞恥心で全身が震え出した。
すると、透は何事も無かったのような、普段と何ら変わらない声で燈の名前を呼んだ。しかし、話の流れ的に燈は透のその声を冷淡に感じる。
「燈」
「は、はい……」
透は、間を置いて再び声を発する。
「心や瑠夏の影響を受けて狂ったか、暑さでおかしくなったかのどっちだ?」
まるで素朴な疑問のように問いかけてくる透に、燈は大慌てで弁明した。
「へ、変な意味じゃないよ!? この前、痩せすぎって言われたから、あれからどうかなと思って……わ、私、透くんが言ってくれた通り、食べられるだけ食べたつもりなんだけど、少しはマシになった…………かな?」
燈の弁明に、透は納得したように間も無く直ぐに返事が来た。
「あぁ、なるほど。そういう意味だったか。そういうことなら……燈の健康問題にも関わるしな」
「そ、そうなの! これは誰にも相談しにくいことだから、親しくて医療の知識も豊富な透くんにしかお願い出来ないから……だ、だから、今、ついでにどうかな……って」
「いや、でもな……それなら訊く相手は刻でもいいんじゃないか? 刻だって、なんでも知ってるからな」
燈は、透の言葉に共感しつつも、更に続けた。
「私の不健康な身体を診れば、透くんが将来お医者さんになる上でのちょっとした練習にもなるんじゃないかな……?」
「……」
燈の言葉に、再び沈黙する透。そして、再び透が言葉を発する。
「……まぁ、たしかにただ調べて勉強するのと実際に人の身体を診るのとではまた違ってはくるな」
「そ、そうだよね!? だ、だから、その……早いうちに、女性の身体を診るのにも抵抗を無くしておいた方がいいんじゃないかなと思って……!」
透は、そんなに間も無く燈に返答する。
「…………話はわかった。ただ、色々とまずい状況だから、二箇所隠しているそのポーズはそのまま維持していてほしい」
「あ、ありがとう……よ、よろしくお願いします…………」
透は無表情のまま、燈の身体の診察を行う。
自身の裸体を見て、何も動じない透の表情に燈はなんだか悔しくなったが、異性の身体に慣れている経験の差と格の違いを改めて痛感させられた。
それに、透が全てにおいて自分より遥かに先を進んでいることも、燈もよく知っていた。
1分少しして、透が言葉を発する。
「……燈」
「は、はい」
「不合格だ」
「…………」
燈は、なんとなく予想通りだった。この前と大して変わっていない。正直ダメな自覚はあったが、それでも頼りになる透だからこそ、改めて透の言葉を聞いて正確な答えを聞いて安心したかったのだ。
それにも関わらず、燈は透に改めて訊いてしまう。完全に考えと行動がリンクしていない燈。まだ落ち着きを取り戻せておらず、パニック状態が続いてるのだと燈は実感する。
「レッドゾーン……ですか……?」
「レッドゾーンだ」
「う、うぅ……」
燈は、自分ではわかっていても、透に改めて言われると落胆してしまう。上と下を隠すことも忘れて、その場で崩れるように前傾の姿勢になる。
「まだまだ痩せすぎてる。本当に栄養失調で倒れてしまわないか心配だ。今日の御飯、絶対にちゃんと食べるんだぞ? 食欲旺盛な瑠夏や直輝に取られる前に、燈用の御飯は特別に他で用意するか?」
「え、ええ!? そ、それは申し訳無いよ!」
燈は、罪悪感でつい見上げて透と目が合う。
「あっ……」
燈は止まらない赤面が更に加速する。
「多分だけど、自宅で御飯にする時、燈は今でも妹たちにおかずを横取りされて長女として妹たちに遠慮してしまってるんじゃないか? 燈の性格を考えたら、皆に強気で踏み込めずにおかずを取られるがままの状態が尚更続いてしまってたりしないか?」
「う、ううう……仰る通りで、す…………」
燈は、透の推理が100%当たっていて、完全に図星だった。何も言い返せずぐうの音も出ない。
「透くんも察しているかもしれないけど……私と仲の悪い意地悪な妹がいるでしょ? おかずを譲らないのは一番上の姉としてどうなのってその子が皆の前で責めてきて……それで、皆を扇動してそういう空気を作られて、いつも言いくるめられちゃうの」
「……」
燈が、悲しそうなトーンで透に話し始める。
「お兄ちゃんがいた頃は、私を庇ってくれたこともあったけど……4月に入ってから、私のお兄ちゃんは透くんのお兄さんと一緒に家を出て引っ越したでしょ? だから、私が実質的に文字通りの長女になって、これからは一人でそんな殺伐とした状況に耐えなくちゃいけないんだ。お父さんは、仕事でいつも帰る時間が遅いし、お母さんは先に子どもたちに早い時間に食事取らせることを優先して、御飯を一通り作り終わって私たちが食べている間は別の部屋で休憩してるから……」
「……」
燈は、相手が誰よりも心配かけたくない透だというのに、無意識に深刻そうに話していた。本人は無自覚だったが、本能的に透に一番助けてほしかったのだ。
そんな燈に、透は燈が自分に助けを求めていることを理解し、燈が話し終わるまで静かに聞き続けた。
「だから、基本的には兄弟姉妹間で食事を取ってるの。それをお父さんやお母さんに相談しても、妹たちが多数派で立場上だけは下だからそっちの意見に流されがちだし……お父さんやお母さんと一緒の時間に御飯を食べたいって言っても、いつも遅い時間だから子どもの成長に身体に悪いって理由で拒否されちゃうし…………」
燈は、思い返せば思い返すほど、その時の心の傷を思い出して再び身に沁みてくように胸が痛くなってくる。無意識に目に溜まっていた涙が溢れ出ていた。
透が燈の涙とシャワーで濡れた水滴との区別が出来てしまうくらいに、わかりやすい涙の出方だった。
「……俺の知らない所でそんな苦労をしていたのか。幼馴染みとして、面目無いな。そんな事情も知らずに、あれこれ厳しいことを言ってしまってごめんな」
「……え!? あ、いや、大丈夫だよ! これを誰かに話したのは、透くんに今話したのが初めてだから……他所の家のことだし、知らなくて当然だから……」
「あまり人の親のことを、それも燈のご両親のことを悪くは言いたく無いんだが。余所の家の事情とはいえ、おじさんもおばさんも公平性に欠けていて正直幻滅したな。忙しくて大変で疲れているのかもしれないが、そういった放任主義に近い行為は親として良くないことだと思う。限界はあるにしても、子どもたちの事情は出来れば親がより正確且つ確実に把握するべきだ」
「透くん…………」
燈の涙が止まり、透を見つめていた。




