1-82.『精神と心理』
中央階段を上る透たち。一定の高さにとりあえず到達する。螺旋階段を上った寝室が並ぶ所を二階とすると、こちらは実質三階の高さになる。
透たちは、なんとか上の階へとやって来た。
「なんだか……一階とは雰囲気が違うね。オフィス感があるというか……」
「あはっ。本当に事務所っぽいよね!」
「お気楽な奴だ」
「……」
彰人の言葉に反応に困る刻たち。
「それで、どこへ向かえばいいのかな? 透お兄ちゃんを案内するのが光栄なんでしょ? それなら貴方が先頭で歩いてくれないと」
「あ、そうだね。これは失敬したよ」
「わかってるとは思うけど。変な所に連れて行ったら、またあれをするからね」
「も、勿論、わかってるよ……僕だって、早く透君に知ってもらいたくてワクワクしているからね!」
「こいつと一緒にいると、どうも調子が狂う」
「ほんとだよ……なんなの、この人……」
透の言葉に同意する乃之。刻も頷き、燈は居心地悪そうにそわそわしている。
(本当に大丈夫かな……万が一のことが起きたら、私がなんとかしなくちゃ……)
彰人は言わずもがなだが、刻と乃之がまた揉めたりしないかも正直不安だった。
現状の燈にとっては、透の存在だけが唯一の救いだったのである。
そんな中、乃之が突然話題を振る。
「ねえ……あなたがトオくんを転ばせた犯人だってわかった時から疑問だったんだけど。あなたがトオくんを転ばせた現場が、わたしたちのクラスの教室の近くの階段ってことは、あなたはトオくんがどこのクラスなのか知ってたってことでしょ? どうして、トオくんのクラスがわかったの?」
「……」
彰人は沈黙する。しかし、透が代弁するかのように回答する。
「きっと、こいつも学校関係者からクラス表を渡されていたからだろうな」
「え? クラス表?」
透の言葉を聞いて、「あっ!」と納得する燈。「うんうん」と頷く刻。「ふふふ……」と笑う彰人。
彰人の反応を見るに、どうやら透の正解の様子だった。
「透くんが初日から明日花ちゃんに粘着された原因にもなった……あのクラス表だよね」
「え? クラス表でどうして……?」
「どうして透くんが持っていたのか……それが納得いかなかったみたいで不正や窃盗を疑ってたみたいだよ」
「へえ……あの女、そんなことを……」
乃之は微笑むように口角が微妙に上がる。しかし、その表情には明らかに含みがあり、苛立ちを感じられた。乃之は、額を赤くして怒り混じりの熱意が込み上げていたのだ。
「やめてくれ。もう過去のことだ。今更怒ることも無い」
「……トオくんがそう言うのなら」
乃之は沈静化したように大人しくなる。「また余計なことを言っちゃった」と焦ったがなんとか落ち着いてホッとする燈。燈は状況を悪化させかけたことに罪悪感を覚える。
(もう、あまり喋らない方が良さそう……私が何か言うと、直ぐに話が脱線して空気まで変わって透くんの迷惑になるし……)
燈が、額に手を当てて目を瞑っていたその時、意外にも刻が同じ話を続けた。
「ごめん。今はもっと優先するべきことがあるけど、ちょっとこの話を延長させてもらうね。あのクラス表って、なんで生徒全員に配らなかったんだろう? いや、あの人数の生徒全員分を用意するってなると生産も大変だし、朝の時間中に配るのは物理的に間に合わないだろうけど。入学式の準備とか色々大変だろうし、クラス表を配ることの為に、わざわざ教諭のコストをそれに大人数割けないだろうし」
「たしかに、俺もそれは気になっていた。変な夢を立て続けに見すぎていたせいで埋もれがちだったが……海崎。お前は何か知っていたりしないか?」
「うーん。今、最も重要な話以外の話をするのはあまり好きではないんだけど……まぁ、僕に拒否権も無いだろうし話すよ。何より、透君のお願いだから断るわけにはいかないしね!」
「……こいつは俺が関わると、いちいち一言二言三言余計だな」
「あ、あはは……」
苦笑いする燈。
「単刀直入に言わせてもらうと……僕も、まだ現状はハッキリとわかっていないんだ。というか、今この話が出るまで大して気にも留めていなかったんだ。だって僕はもう、透君のことで常に頭がいっぱいだったからさ!」
「最早、隠さなくもなったね。この殺人未遂犯は」
「ほんとほんと……」
「……」
すると、透が話を続けた。
「海崎。お前にクラス表を渡した人物の名前を覚えてるか?」
「んー。覚えていないかな。透君のお役に立てなくて面目無いけど……」
「……じゃあ、質問を重ねる。その人物は、学校の副学長で佐賀井と名乗る人物じゃなかったか?」
「……」
彰人がわざとらしく閃いたような口ぶりで言う。
「……あぁ! 思い出したよ! そうそう、たしかそういう人物だったね! なんだか背が高い、執事みたいな人だったよね!」
「貴方、絶対忘れてなかったでしょ」
「あ、バレた?」
「聞く前から、こいつは忘れたフリをしてるなって思ったから俺が先に答えを出した。もう、こいつに合わせるのも面倒だから」
刻は呆れて溜め息を小さく吐く。乃之は半目で彰人を見つめる。そんな中で、燈だけが彰人が覚えていないフリをしていることを見抜けなかった。透や刻の洞察力に驚かされる。
燈は純粋でよく人に騙されやすい傾向にある。そんな自分は、なんだか勝手に騙されたような気分になっていて悔しくなる燈。
(私……ダメだな。全然わからなかった。どうしてだろう……あの透くんを、一回でも陥れたような狡猾な人物なのに……)
燈は、とても優しく誰も傷つけたくない性格から彰人のような人物でさえ疑うことを出来なかったのである。人間を傷つけるどころか、その辺の虫すらも傷つけたくない燈。家に現れた虫は殺さずに、必ず外へ逃がしてあげるようにしている。
過去には、小動物が怪我しているところを見かけて自身の知識じゃ何を正確にすればいいのかわからないことを、獣医としての知識もある透を呼んで一緒に助けたこともある。誰かが苦痛を感じていると、放っておけないのだ。
しかし、蜘蛛の巣に引っかかった獲物や集団の蟻に襲われている獲物は助けることは出来ない。自然の摂理と考えているので、人間の手で関与したくはなかった。
前述の怪我をしている動物も、誰かに捕食されていれば同じように助けることはしない。それも同様に自然の摂理だからである。生き物たちが生きる権利を邪魔することは燈には決して出来ないことだった。
彰人は話を続ける。
「流石は透君だよね! 人の考えていることは簡単に読めちゃう、まるでエスパーだね! 君にはやっぱり敵わないなぁ」
「初めて会った時点でお前が怪しいと思ってても、初対面の人間を証拠も無しに疑うのは人としてどうかと思うからあの時何も言わなかったとはいえ、俺は一度お前にやられてるからそれは煽っているとしか受け止められないぞ。相手が俺だからいいけど、他の人には絶対言わないようにな」
「まぁ、透お兄ちゃんが許しても私が許しませんけどね」
「あ、これは申し訳無いね。僕としたことが、透君になんて無礼を……本当に君を不愉快にさせるつもりは無かったんだよ」
その時、乃之の頭の中の何かが切れたのか彰人に怒鳴る。
「怪我なら不愉快にならないと思ってるの!?」
しかし、それは直ぐに透によって止められる。
「大丈夫だ、乃之。もう終わったことだから。それに、俺は今はこうして結果的に平気だし」
「で、でも……」
「あれ? そういえば、君も透君を怪我させたんじゃなかったっけ? なら、僕に同じことを言える筋合いはあるのかな?」
「そ、それは……。う、うるさい! 怪我は怪我でも度合いが違うでしょ!? 怪我じゃすまなかったかもしれないことを仕出かしたあなたこそ、わたしにとやかく言える資格はあるの!? それに……自分でこんなこと言うつもりは無いけど、わたしの場合は事故だし、あなたの場合は故意でしょ!? 結果的には一緒でも一緒にしないで!」
「やめて。気持ちはわかるけど、今は糾弾してる場合じゃないでしょ」
「……ごめん」
刻の静止によって怒りを抑える乃之。
そんな中、燈は昨日透が話していたことを思い出す。
自分以外の女子と話していた「俺は医療の知識は大体の分野を身に付けたんだが、精神関連だけが難しくてな。目に見えるものじゃないから難易度がどうしても高く感じるんだ」という話。
透は、苦手分野であるにも拘らず彰人の悪意を見破っていた事実に凄さを感じて感心する。
(透くんはどこまでも凄いな……)
そして、冷静になった乃之も燈と同様に昨日の透の言葉を思い出して驚愕していた。
(トオくんは、苦手なことにも対応出来るんだ。かっこいいなぁ……)
数秒前まで機嫌悪かった乃之。透のことを考えていたら自然と頬が桜色に染まっていて笑顔になっていた。
透の存在が皆を支える精神安定剤という事実を改めて実感する。
そんな透を計画的にハメて怪我させた彰人。自身は勿論、皆からも憎悪の対象になるのは当然のことだと乃之は思った。




