蝶 第4翅
学校回。
轟々と降り注ぐ機械音と共に、飛行機雲が空を別つ。昼餉を食べた後の眠気は、いつも別格だった。金曜五限目、現代文。教科書に記された、文字列の朗読。笑うと、目元の小皺がくっきりと浮かぶ、先生の子守唄。狭い教室をぐるりと見渡してみると、頭をがりがりと掻いたり、ペンを延々と回したり。頬杖を付いて、半目になっていたり。皆必死に、睡魔と闘っている。ただ一人、隣人を除いて。
(……また寝てるし)
黄色いマーカーを片手に持ったまま、寝息一つ立てずに眠っている“彼”。あたしは人差し指で、真っ白なシャツの向こう側をつついた。柔らかな二の腕。女の子とは少しだけ違う、男の子の腕。綺麗な形をした細めの眉が、中央に皺を作る。すぅ、と一息。荒い鼻息が聞こえた。降ろされた幕が上がり切って、黒い真珠が現れる。
「おはよ。次指されるの、多分砂貴だよ?」
「……、教科書、……今どこ……」
「左から八行目」
欠伸を噛み締め、頁をめくる。勢い余って、紙がぴりりと破れた音も聞こえた。砂貴は、高校生になってから、いつもこう。授業中に居眠りをして、あたしか先生に起こされる。休み時間も、殆ど机に突っ伏している。友達と一緒に、中庭や体育館で騒ぎ立てたりしない。そもそも、席を立つことが少ない。きっと動きたくないのだろう。かと言って、静かに本を読むことはしない。携帯だって触らない。いつからこんなに、無気力になったんだろう。
「泉君、この問いの答えは」
「……ぇ、っと……」
視線で助けてと訴えてくる。仕方がないから、ノートを見せてあげた。
「……朝鷺さん、ごめん」
「苺ミルクで許してあげよ~う」
「……わかったよ……」
砂貴はまた目を閉じて、電源を落とした機械のように、うんともすんとも言わなくなった。さらさらの黒髪が、重力に従ってかさりと落ちる。
「懲りないねぇ、君」
黒板に向き直る。白いチョークで書かれたあたしの模範解答には、赤い二重丸が着いていた。
「……これ」
帰宅準備の途中、机の右端に、紙パックの苺ミルクが置かれている。
「あれ、ほんとにくれるの?」
「……朝鷺さんが言ったんでしょ」
「まぁね~。さんきゅ!」
ストローを差し込んで吸い上げると、口の中で柔らかい甘さが広がった。すると、背後から服を引っ張られる。通学鞄を提げた奈穂がいた。
「広子、またね」
「奈穂!また明日ねー!」
親友とハグを交わす。少しだけ、ひんやりと冷たい身体をしていた。奈穂はにこりと微笑んで、すぐ教室を出て行った。
「……今日も、月見里さんと帰らないの?」
珍しいと言いたげな面持ちで、砂貴はあたしと奈穂を交互に見る。
「喧嘩した訳じゃないよ?最近気になる子がいて、友達になったの」
「……そう」
「その子がさ、探し物してるんだって。大切な物だから、見つけてあげたいんだけど……もう駄目かもしれないなぁ」
「……優しいんだね。……何を探してるの?」
「銀色のペンダント。家族写真入り」
そう言い放った刹那。
砂貴の表情が凍り付いたように動かなくなった。
「……その子、……もしかして、女の子?」
苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
どうして、わかったんだろう。
「何か知ってるの?」
「知らない」
何となく、言ってみただけ。
「……それじゃあ、俺もう帰るから。それ、全部飲んでね」
砂貴は、くたびれた鞄に参考書を突っ込むと、踵を返して行ってしまった。
もしかして、知り合いだったのかな。
後を追うように、あたしも檻を抜け出した。
登場人物が多いと、自分が何を考えていたかわからなくなりますね!