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羽化を拒む蛹  作者: Yuu
3/6

蝶 第2翅

お待たせ致しました。

「ぁ、あの…ありがとう、ございました」


浴室で、湯の流れる音が止む。


「おかえり。少しは温まった?」

「は、はい。と、ても」


上気する頬。

女の子の少し傷んだ黒髪が、水を含んで艶々と光っていた。少し大きめのレギンスと、ふんわりとした柔らかいニットに着替えている。

あたしのお古だ。

女の子を椅子に座らせ、髪を乾かしていく。

身体を冷やして、風邪を引かないように。

微かなシャンプーの匂いがした。ドライヤーの温風に、杏の香りが乗って、鼻を打つ。


名前も知らない子を道端で拾って、あたしは何をしているのだろう。流石に、やり過ぎただろうか?善意とはいえ、家に上がらせてしまったのはまずかっただろうか。


女の子は、されるがままだ。

着せ替え人形のように、微動だにしない。

あたしの手を拒むこともしない。

ただ、緊張しているのか、落ち着かないのか。

透徹した青い瞳だけが、左右に揺れ動いている。


「ごめんね、急にこんなことして」

「…大、丈夫、です」


足の指を擦り合わせながら、か細い声で答える。この子は、あの公園で何をしていたのだろう。


「ねえ、聞いてもいい?」


指通りの良くなった髪を梳かす。


──傍から見れば、あたしはただの野次馬なんだろう。





携帯に浮かび上がる数字は夕暮れ時を示す。

間もなく、辺りは暗闇に包まれようとしていた。町中の街灯は、あたし達の進む歩道を薄い橙色に照らしている。強く降り続けた雨は、いつの間にか小雨になっていた。


名前は?

何処から来たの。

傘も差さずに、何をしていたの?


答えを聞いて、相槌を打って。また一つ、探る。

一問一答式の参考書のような、稚拙な会話。

それでも女の子は、(ども)りながら答えてくれた。


「傘がないから、雨が降っていても、差せなくて」


女の子──(りん)は、道端の砂利に残った誰かの足跡を、自分のものに上書きしながらそう言った。家に傘がないのは、少し妙だと思う。壊した、ということだろうか。


「傘がないのに、雨の中外へ出たの?」

「このくらいなら、大丈夫かなって、」

「…あたしの傘、一つあげよっか?」


鞄から折りたたみ傘を取り出すと、凜は慌てて首を横に振る。別に悪いと思わなくていいのに。


「…結局、見つからなかったな」


桃色の唇が、小さな不満を漏らす。

凜は、宝物を探していた。家族写真が入った、銀色のペンダント。何処かで落としてしまい、心当たりのある場所をその小さな足で駆けては探し回ったようだ。


「いや、誰かが拾ってくれたかもしれないよ。交番、行ってみれば?」

「こ、交番…」

「うん。見つからなかったら、あたしも探すし」


凜の目が、一瞬大きく開く。

青い双眸(そうぼう)の丸みが、はっきりとわかった。


「ひ、ひろこ、ちゃん。そこまでしなくても、いいよ…?」

「別にいいよ?何か、ここまでやっちゃったし。最後まで付き合う」


警戒されているのは、わかっているつもりだ。これも、当然の反応だと思う。でも。この子を見ていると、何か心が騒めくのだ。


傘の滑らかな柄が、生物のような体温を秘めた時。小さな青い屋根の家へと辿り着いて、凜の足がぴたりと止まった。

表札には、“風原(かざはら)”と書かれている。

この子の家だ。


「これ、あたしの番号ね」


別れ際に、筆箱に入っていた小さな蛍光色の付箋を白い掌に乗せる。


「ひろこちゃん…!わ、私、ママに、」

「怒られないよ。友達って言えば」


そう。あたし達は、友達。


「あたしが友達じゃ、嫌?」

「…、…嫌じゃ、ないよ」


便宜上、それでいい。

宝物が見つかるまでで、いい。


「明日は晴れるといいね」


もしこの子が拒むなら、後はもう自分が関わらないようにすればいいのだから。

いつものように、寝具の中で。

明日の朝日を待ち望んでいればいい。


後ろで、扉の開く乾いた音が聞こえた。

蛹【さなぎ】pupa

完全変態を行う昆虫類で、幼虫から成虫に移る直前に形態を変え、食物をとらずに静止状態となったもの。ガ・ハチのように繭の中にこもるもの、チョウ・カブトムシのように裸のものがある。

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