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陽炎の夜  作者: 戸坂
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祭り日を彩る鼠達 2

 港から市内への連絡馬車を降りたフランクは、海沿いのカフェへと入った。

 オープンテラスから海岸を望む見晴らしの良いカフェで、夏の陽光を緩和する白い日傘と、時折肌を撫でる潮風が実に開放的な場所だ。今のフランクには大した感慨を生まないが、カーラならきっと気に入っただろう。

 カフェには店の敷地面積相応に数名の客がいて、思い思いに昼下がりを楽しんでいる。ウェイトレスは新たな客に気付くと、すぐに応対します、というジェスチャーを投げた後、大きくアイスの盛られたグラスを女性客の席へ持っていった。一人の客はフランクだけだった。

 ひどく場違いな気がして、他の店へ行こうかとフランクは躊躇したが、今から店を出て先程のウェイトレスを混乱させるのも悪いと思い直して、二人用のテーブルへと腰を下ろした。

 椅子に座ると、知らず息が漏れた。

 カフェへ辿り着くまでに何度か慣らした体は、昔の技術を大分思い出してきている。

 汚れ仕事から足を洗ってもう七年近い為、どうしても往年の動きより鈍っていると感じる部分があるが、感覚はそれらを自覚できない程落ちていない。前線戦闘員ではないにせよ作戦行動中のカーラ達正規軍を襲撃出来るのだから、相手も決して弱くはないだろう。それでも、戦闘面においてフランクが不安に思う事はない。これは軍人同士の戦いではないのだ。

 後は、夜の遊覧船の乗船時刻まで適当に復習をしつつ、時間を潰すだけだった。

 応対にきたウェイトレスにアイスコーヒーと軽食を頼んだ後、フランクは椅子にもたれて目を閉じた。

 カーラが死んでから数週間、碌に飲食をしなかった事による体力低下も、凡そは戻りつつある。復讐という、一時的とはいえ大きな生き甲斐が出来た今では、空腹時に何かを食べようという気になる。ウィンナーやポテトなど、普段の好物であった油ののった重たい物も、難なく消化出来るようになった。

 カーラはよく、フランクの食生活を厳しく注意していた。

 肉物が多すぎる。油物が多すぎる。野菜をもっと摂らないといけない。

 半同棲を始めてからは、彼女が食事を作る日は必ず野菜一色の献立だった。これについては、フランクが当番の日には肉だらけのメニューだったせいもあるだろう。彼女のおかげで緑色の食物が滲ませる、草原で転んだ時の匂いを飲み込めるようになった。そして葉っぱの味に慣れた事で、それまでよりも一層、肉の味を愛せるようになった。

 まだ足りない位よ、と笑う彼女に、うんざりした顔を返していた日々が、胸をよぎった。

 軽く頭を振って、フランクは回想を中断した。夜になるまでに、過度に疲労する訳にはいかない。怒りは力になるが、力は無限ではないのだから。

 過去を思い出す代わりに、注文したメニューが届くまでの間、フランクは集中力のテストをする事にした。目を閉じ視界情報を断った今の状態で、テラスの客の会話を出来る限り聞き分けるという、聴力による認識の確認だ。

 これは人だかりの中から獲物を見つける時や、逃げられた時の追跡に役に立つし、幾人もの声を聞き分け、誰と誰の声が会話をしているのか選別する事は、状況判断の訓練にもなる。遠い昔、汚れ仕事の技術を習っていた頃に毎日やらされていた訓練だ。

 他の客は全員で八人。席二つを挟んだ右斜め後ろに若い女性客の三人組と、その少し後ろに男女二人組、そしてフランクの正面、席三つ分向こうに別の男女の二人組がいる。三人組を若い女性客としたのは、声のトーンや会話内容が若々しい、というより、フランクにとって馬鹿馬鹿しい感じだったからだ。

「でさ、あんまりムカついたから引っ叩いて鼻に指突っ込んでやったの。そしたらとたんに膝ガクガクさせてさ。涙目になって、何すんの! って。ウケる、泣きながら強がってんの」

「エグい!」

「何それ、笑える~。じゃああの子さ……」

「どうだろ」

「それでそれで」

「ここは涼しいな。汗が引いていくよ」

 娘達の残酷な笑い話の中に、落ち着いた男の声が被さる。背後の二人組の男女の会話だ。目を閉じる前、席に着いた時にちらりと見た印象通りの、三十代前後に相応しい声色だった。

「そうね、雰囲気も好き。ちょっと……今は、ね……騒々しいけど」

 控えめな女性の声。少し手前の三人を多少迷惑に感じている。

「君もああいう時があったの?」

「どうかしら。そんなつもりはなかったけど、案外わたしも周りから見ればああだったかも」

「その頃にも会ってみたかった」

「恥ずかしい」

「言ってる場合じゃないでしょう。今回はニンジンが届いてる筈なんだから、すぐに出荷してもらわないと困るわ」

 はにかむような女性の声とは対照的なきつめの声が、別方向から聞こえてくる。

 フランクの前方の男女二人組は、目を閉じる前の印象とは裏腹に野菜業者なのか、農作物の話ばかりをしている。

「出来ればやっている。そちらのクワは増やせないのか」

「そちらの問題でしょう。道具の追加はそちらで手配して。出荷が止まるなら付き合いはこれまでよ。私は別の相手を探すだけだから」

「そう簡単に行くか」

「私はね。困るのは貴方でなくて?」

 奇妙な二人組だった。互いに非常に棘のある口調で話しているのだが、内容は何とも平凡な、作物出荷のトラブルに関してだった。

 とはいえ、彼等にとってはその野菜の売り上げこそが生活の基盤なのだろう。家族もあれば、必死になるのは当然だとフランクは思い直した。

 三組が三様の会話を続ける。フランクはそれら全てを同時に聞きつつ、内容把握に努めた。

「もうそれからは大人しいものよ。あたしが何もせずに通り過ぎようとすると、顔を真っ赤にして睨んでくるの」

「そうだ、夜は馬車を使って市内を周回しないか。冷房もあるし、一所に留まらないから色々な角度から空が見えるよ」

「農薬はどの程度撒いてるの。効き過ぎて私にも害が及ぶのは嫌よ」

「ウソ、今度あたしにもやらせてよ。写真撮ってやるわ。とびっきりのやつ」

「馬車は混むって聞いたけれど……うん、それもいいかも。九時過ぎの大きな花火は海沿いで見たい」

「二百と三十、手持ちでは殆ど全部だ。ミミズは見つけたが虫の方はみつかっていない」

「もうあたしがたくさん撮ってるよ。戻ったら掲示板に一枚ずつ、顔を隠して貼ってやるの」

「いいね。夕食は後にする? 部屋に持ち込めるタイプのホテルだから」

「じゃあミミズをさっさと捕まえてしまえばいいでしょう」

 会話は順調に聞き取れている。だからこそ気になる事がある。

 やはりどうにも、農作物取引の二人の会話が妙だった。そもそもこんなカフェで話すような話でないというのも勿論だが、それを差し引いても、会話内容や口調から察する互いの態度に不自然さがある。ミミズを捕まえる事と、滞っている作物の出荷に何の関係があるのか。

 それに女の方は、どうにも話し方が上流気取りで鼻につく。

 男の大きな溜息。

「出来る訳ないだろう、俺の立場を忘れたのか。在庫帳簿が見つかれば……何だったか……ああ、案山子の目からお前を遠ざける事など出来ん」

 違和感の正体をフランクは見た気がした。

 この二人組は、女の方はともかく、男の方は言葉を思い出すように考えながら喋っている。自分達の普段の生活に溶け込んでいる筈の、鍬や案山子といった単語を、何かを言い換えているかのように話しているのだ。そう、何かを言い換えているかのように。フランクは気付く。

 これは暗号会話だ。

 気付いてしまえば、この二人組の会話だけが濁流のようにフランクの鼓膜へ流れ込んできた。

 ここがヴェスティアだという事を思い出す。この手の会話を使っている連中というのは、例外なく何等かの犯罪行為に手を染めている。そして、ヴェスティアは犯罪取引のメッカだ。

 自治会は警備隊を作って対処しているが、四大国の中継点である、つまりは四大国の共同市場であるこの地の圧倒的な利便性を、犯罪者達が逮捕のリスクだけで手放す筈がない。最近は重犯罪に対して、警備隊は現場判断での致死的実力行為を認められているが、それでもならず者達は減らない。奴等は他人同様、自身の命も扱いがぞんざいなのだ。

 隠語を用いた暗号会話は、フランクも過去の仕事柄一通り覚えた。仕事熱心だった訳ではないが、昔は一所に収まらず各国を放浪していたので、妙に暗号解読のバリエーションが増えてしまった。

 農作物を使った暗号は、確かイズオライドかドットガルで使われる。尤も、ドットガルは他の三国の使う全ての暗号が使用される可能性がある。流石は国内の六割がスラム街を占めるごろつきの国である。

 農作物の暗号会話は、そう難しい部類ではない。フランクは過去の記憶を頼りに、二人の会話を脳内で翻訳した。使われる単語が多少思い出せないが、大した問題ではなかった。

「受け渡しは今夜なのよ。それまでに監視を外すか、鍵を手に入れて」

「三十人が注目してる男から、どうやって全員の目を逸らさせるんだ。予定を変えるしかない。そちらから接触者と、囮を出すんだ。何か他に事件でも起きなきゃ、あの男への監視は外せない」

「貴方が接触するのよ。告発者はまだ特定出来ていないんでしょう。私の仕事は宝物を持って帰るだけ。箱の鍵を手に入れる為の冒険は必要ないの。こちらから人を出して足がつくなんて御免よ」

「どこまで無茶を言う気なんだ、お前……」

 雰囲気で一目瞭然だが、二人は揉めている。取引の品の受け渡しで問題が起きたようだ。だが、おかしな事に男の方は直接の取引人ではなく、女は商品を別の男から受け取る約束らしい。

 当然の事ながら、取引は間に入る人間が多い程手間や金がかかり、問題も多く起こる。余程大きな、そして深刻な闇取引であれば、発注者も受注者も一切不明、直接の現場には取引の内容を全く知らない運び屋しかいない、という事もあるが、どう聴いてもこの二人は取引と直接関係のある立場にある。

 現場であるヴェスティアに、直接の関係者が揃っているのだから、この二人が直に売買を、つまり受け渡しをしてしまうのが一番効率的な筈だ。にも関わらず、何故間に人を挟んでいるのか。

 会話を聞きながら、フランクはその理由を思いつく限りで考える。

 扱う品が余程特殊で、専用の売人を介する必要があるのか……それとも、本当に大きなバックを持つ取引なのか……或いはこいつ等の立場がそれを許さないのか……そうだ、男の方は立場があると言っていた。だが、そもそも違法取引に立場もクソもあるのか?

 所々翻訳し切れない単語が出てくるのも、判断がつかない理由の一つだ。

「ニンジンが腐ったら、面倒になるわよ。もう金は支払っているんだから。私にも立場がある、知ってるでしょう?」

 また「ニンジン」だ。これが翻訳し切れない。フランクは過去を最高深度まで掘り起こす。

 農作物は難しくない。見た目か、もしくは語呂か、とにかく実際の単語と何等かの解分かり易い関連性がある。

「今回を見送るつもりはないんだな?」

「不可能だわ。代金まで支払って持って帰れないだなんて。連中はああいうのを長く新鮮な状態では持っておけない。今日を逃せば、腐らせる前にさっさと別の買い取り手を捜すかも知れない。私はあいつ等の頭の中身を信用していないの」

「だが、明らかに情報は漏れてる。運び手はただでさえ監視が張り付いている上に、どいつが漏らしているかも分からない」

 腐る、という表現。台無しになるという事。そのままの意味で考えて、鮮度がある物か。それとも捻りがあるのか。

 それらを届ける筈の業者には、監視がついている。先程、三十人と言っていた。一人のならず者に三十人もの監視をつけられる組織。かなりの規模。ヴェスティアに根を張っている非合法組織といえば、急にこっそりと出国したくなった時の駆け込み寺である「逃がし屋」だけの筈だ。

 そして、その情報が裏切り者によって外部に漏れている。だが、この場合外部とは何処の事を言うのだろう。少なくともフランクはそんな話は今初めて聞いたし、フランクが最近少しばかり世間に疎かった事情を鑑みても、このヴェスティアを歩いていて、街の人間が祭以外に関心を持っている風には見えなかった。

 となれば、情報の漏れている先はヴェスティア警備隊としか考えられない。それはつまり、ならず者達にとって最悪の事態だ。

 そこでふとフランクは、先程の推測がちぐはぐにかみ合っていくのを感じた。

 待て……という事は、監視についている三十人ってのは、警備隊の事か。

「内部に密告者がいるのは間違いないのね」

「他に考えられん。あの告発状で一つだけ分かった事は、投函者が俺達のやり方を知り尽くしていて、

外部の者では不可能なレベルの証拠隠滅が施されていたって事だ」

「なら、鍵を手に入れるか、少なくとも確認して、先回りで商品をもらうしかないわ……何人くらい居れば、監視の目を逸らせるの」

「同時に何箇所かで問題を起こす必要がある。それでも一人は残るだろうが……そうだな、場所を離してカジノ内外で六……いや、七箇所、各場所に三人以上は必要だ」

「ふざけないで、単純計算で二十一人よ? 今から用意出来ると思っているの」

 フランクも思わず噴出しそうになった。ヴェスティアでいきなり二十人もの逮捕者アルバイトを見繕うのは無理だ。

「周りを巻き込んで人数を増してもいい。とにかく一箇所の取り締まり対象が三人以上ならいいんだ。喧嘩っぱやそうな奴に殴りかかるとかな」

「あらあら、親方様にはあるまじきお言葉ね」

 親方様という単語に覚えはないが、ニュアンスから察するに男のほうが組織で高い地位にあるという事だろう。乱暴な口調と皮肉で解るが、女の方も相当苛立っている。

「今回のニンジンは色が特殊なんだろう。本気でやれ」

 またニンジンだ。新しい判断材料として、ニンジンの色が何かを表している。ニンジンの色は普通に考えれば赤。赤から連想されるものといえば、裏家業の者からすれば一つしかない。

 血。血が関連する商品。そして今回の血は色が特殊。

 いや、まだ血が関係しているのが正解なのかは分からない。ニンジンだ。言葉に意味はないのか。

 フランクは思考をフル回転させる。最早他の二組の会話は耳に入ってこない。

「ええ、新薬の開発の大きな一助になるかも知れないわね……分かるわよね?」

「勿論俺も限界まで協力する」

「仮に監視の目を外せたとして、その後は?」

「俺が運び屋に接触して鍵を受け取り、鍵穴の場所を聞く」

「運び屋はあなたの事をいつまでも秘密にしておけるかしら」

「取引が終わった後で始末すればいい。問題は鍵をあいつが持っている事と、それが何処の鍵なのかが分からない事だ。それが分かった後はどのタイミングでも構わない。今夜でなくてもいい」

 おいおいとフランクは心中で嘆息する。運び屋を殺すような相手と取引をしたがる運び屋はいない。彼等の情報網は侮れず、自分達に危害を加える相手とは以後一切の交渉を受け付けない。殺せば、今回はそれで乗り切ったとして、次回以降の取引が絶望的になるのは間違いない。

 会話を聞くに、二人はそんな事も知らない馬鹿のようには思えなかった。となると、やはり男の方は相当にまずい立場にある人間だ。以降の取引に重大なペナルティを覚悟してなお、自身を隠匿したい程に。女も、男に異論をはさむつもりはないらしい。

 恐らくは立場だけでなく、商品も危険なものだ。発覚すれば問答無用で重大な罰が下るレベルの。それが「ニンジン」。

 頭の中に単語が瞬いては消える。

 ニンジン……色……鍵……血……運び屋…………ニンジ……――――人間

 突然フランクの視界に光が飛び込んでくる。思わず目を開いて立ち上がってしまっていた。

 椅子が木床を擦る音が響く。立ち上がりきるより早くフランクは失敗に気付いていた。

 前方の二人組が、こちらを振り返ろうとしている。注意を引いてしまっている。直感が危険を知らせる。この二人を相手には、ただ立ち上がっただけなどという平凡な言い逃れは通用しない。

 フランクは顔を店内へ向けて怒鳴った。

「いつまで待たせるんだ! コーヒー一杯すぐに出せないのか!」

 オープンテラスから会話が消える。通りを歩いていた人々も含めて、辺り一帯の目が全てフランクへと向く。

 咄嗟の、苦肉の策だった。二人組に気付かれてしまうのなら、いっそ他の全員にも迷惑客として気付かれたほうがいい。

「すぐにお持ちします」

 店内の方から、感情の見抜けない早口の返事がきた。

 フランクは苦々しげに舌打ちをした後、さも今気付いたとばかりに前方の二人の視線に応えた。

「なんだよ」

 品のない男を演じるのは簡単だった。過去の自分の振る舞いを思い出すだけだからだ。

 攻撃的な表情とは裏腹に、背筋に冷たいものが落ちる。今彼等と揉め事を起こせば、本来の目的に支障が出兼ねない。だが騒ぎになりたくないのは二人と手同じ筈だ。

 男が値踏みをするようにフランクをねめつけ、女は無表情の観察を早々に終えて、興味なさげに視線を自身のグラスへ向けた。

「あまり騒がない方が良いんじゃないかしら」

 ストローを咥える口からは侮蔑が溢れ出ている。

「彼の昼休みが無くなってしまうわよ」

 次の演技を考えていたフランクは、男がテーブル下から取り出したものを見てぎくりと顔を引き攣らせた。ヴェスティア警備隊の制服。

 冗談だろ。

 目の前の状況よりも、目にした物の意味するところにフランクは愕然とする。

 ヴェスティア警備隊の、恐らくは隊長格に当たるであろう人物が、こんな裏取引に関与しているとは。フランクがこちら側の仕事をしていた時にはまず考えられなかった事だ。職務に忠実で、厳格であること。それこそが、ヴェスティア警備隊が恐れられる一番の理由だったというのに。

 演技の必要がないのは不幸中の幸いだった。こんな時に警備隊に睨まれて硬直しない者はいない。

 言葉を失ったフランクを見て、男は鼻を鳴らした。

「大人しくしていろ。見逃すのはこの一度だけだ」

 無言で顎を引いてフランクは腰を下ろした。後ろの娘三人組がくすくすと笑っている。

 窮地を脱した事をよしとし、思考を切り替えかけたところで、テーブルにアイスグラスが叩き付けられた。ウェイトレスが物も言わずに店内へと戻っていく。衝撃の勢いで、コーヒーがテーブルに零れ出ていた。去り行く後ろ姿に心中で詫びつつ、フランクはそれを啜った。

 喉を潤しながら、情報を整理する。

 裏取引の片方はヴェスティア警備隊の役職持ちで、今夜行われる取り引きに問題が生じている。

 出所不明の告発で取り引きが警備隊に知られ、既に運び屋まで割り出されている。

 商品の保管場所は鍵を持つ運び屋しか知らず、このままでは受け渡しが成立しない。

 そして肝心の商品「ニンジン」は人間だ。それも奴隷のような、ドットガル辺りで未だに公然と行われている人身売買ではない。その場合はわざわざヴェスティアなど通さない。

 これは人を部品として扱う、いわば人体売買だ。

 グレーゼン連邦国がシンタリア帝国を征服したと同時に第一級国際犯罪と認定され、四国条約内で頻繁に定義が更新される方の売買だ。

 恐らく商品の人間は何等かの特異体質を持っており、売買後は生きながらにして細切れにされるだろう。人としての人生はおろか、人としての形すら保てない可能性が高い。或いは、もう既に保っていないかも知れない。

 外道の極みだな。

 知らず、焦燥や安堵は憤怒へと変わっていた。

 徐々に湧き上がる感情にフランクは戸惑う。元々、正義感とは程遠い人格の彼が今怒りを覚えているのは、間違いなくカーラの影響だった。

 外道の世界を歩いていた彼に、表通りの生活を取り戻させてくれた恋人。世話好きで、子供が大好きだった彼女が軍人としての顔で、フランクの内側から二人を睨みつけている。

 ここで殺すか。

 いやに苦味の強いコーヒーをストローで吸い上げながらフランクは黙考する。

 一人はヴェスティア警備隊隊長格で、場所は通りに面したカフェテラス。出来るか否かで問われれば可能にする自信はあるが、その後本命の方、復讐を達成する事は出来なくなるだろう。それは今彼が生きている意味を放棄するも同然の暴挙だ。

 それに、ここで二人を始末したところでどこかに保管されている商品が救われる訳でもない。

 いや、さっきあの女は鮮度と言っていた。まだ生きているのか。

 先までの二人の会話を記憶から掘り出し、フランクは情報を補完し続ける。

 まだ商品は生きている。ヴェスティアに到着している。保管場所が分からない。あの男は大々的に警備隊を動かせない。

 だからどうした、と脳裏で自分が叫ぶ。

 そんな事に首を突っ込んでいる余裕があるのか?これが俺のしたい事なのか?

 見過ごせる訳がない、とそんな自分をカーラが怒鳴りつける。彼女ならば、こんな非道を看過する筈がない。もしもこれを見なかった事にするのであれば、それは彼女と過ごした全ての時間を無かった事にするようなものに思えた。

 だが、ならば自分に何が出来ると言うのか。

 フランクはグラスを空けて席を立ち、カウンターでそそくさと支払いをした。勿論、まだ届いていない軽食分も込みだ。ウェイトレスの冷え切った視線が、熱され始めていたフランクの胸の内を幾分かましにしてくれた。例の二人組はもう、フランクを意識していなかった。それでも、出来る限りしみったれた雰囲気を醸した足取りで店から離れた。

 通りを歩く足はカフェを離れる程に速くなっていく。

 出来ることならば、ある。ろくでなしの世界にどっぷりと漬かっていたフランクだからこそやれる事はある。

 ヴェスティアは犯罪者共の大市場で、警備隊が未だ把握出来ていないルールやルートが山程ある。だからこそあの男は商品の場所に検討すらつかない。そしてフランクにはその検討がついている。

 生きている物を取り引きする場合、必ず商品の世話係が必要になる。それを一番簡単にこなすには、別の生き物の皮を被せて持ち込めばいい。それも、商品だけでなく、世話係も含めて。

 時折服飾品や食料の木箱の中で見つかる事がある為、全ての港の倉庫に可能性があると思われているが、

あれは検査撹乱の為の餌であり、本当に売買する為の生物は必ず大型の動物の中に入れて持ち込まれる。

 通りを早足で抜けながら、フランクは小路を見つけては度々覗き込む。四度目で目的のものを見つけた。

 小さなオーク樽の上に無造作に積まれている汚らしい巾着。その中に手を突っ込み、荒削りな小指大の石を一つ取り出す。全く研磨されていないサンストーンの原石を掌で転がしながら、フランクは最後の自己問答をした。

 本当にやるのか? 何の得もないのに?

 日はまだ高い。遊覧船の出航時間は午後七時だ。最低でも六時半には乗り場へ着いておきたい。逆に言えば、それまでの間なら動ける。

 調べるだけ。それで時間がなくなれば、それまで。商品の保管場所が分かっても、救出の目処が立たないならば、手は出さない。自分に言い聞かせて、フランクは石を摘んで呟く。

「救援要請」

『はいこちらピットニィ用品店』

 やる気のなさそうな声が返ってくる。ヴェスティアの駆け込み寺。逃がし屋。

 しかし実際には、情報の売買から探し物も手伝ってくれる万屋。大体の者が逃がし屋専門と勘違いしているのは、他の依頼に必要な合言葉を知らないからだ。

「酒を呑み過ぎて野良犬が人に見えてきた。俺を殴ってくれ」

『……ええっと、了解。凄いねあんた、そういうの久しぶりだよ、でも高いよ』

 フランクは必要な暗号を思い出す。探し物に必要な暗号会話を。

「多分一昨日か、昨日なんだが、俺の姪が誕生日プレゼントを持って逃げたんだ。それで一晩中呑んじまった。あんなのは友人が死んだ時ぶりだ、頼むよ」

『まあ……あんたの誠意が見れたらな』

「分かった」

 会話を終えてフランクはヴェスティア国際銀行を目指す。大陸中に支店を広げるこの銀行の、彼等の秘密口座に金を振り込めば、依頼の申し込みは完了だ。

 彼等は依頼料を指定しない。料金は前払いで、支払いに応じた働きをする。

 どうせなら残っている有り金をつぎ込んでしまえ、とフランクは思う。復讐が終わった後には必要のないものだ。最後に、カーラの喜びそうな事に全部使ってしまいたい。

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