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陽炎の夜  作者: 戸坂
24/24

そして夏は終わる

 その日、都市国家ヴェスティアで起きた一連の不祥事は、創設者ボルボンド・ゴルドンの逆鱗に触れた。

 他国から持ち込まれた数々の密輸品。それを巡って起きた殺傷事件。そして、それらを取り締まるべく存在する警備隊の隊長の、長年に渡る違法取引への関与。

 商都としての機能を優先させたからこその大らかな入島規制は、彼の一言によって即座に改定され、遊覧船の船長までもが他国の工作員に買収されていた事が発覚すると、ある種不可侵であった観光協会にも、そのメスは容赦無く刺し込まれていった。

 四大国の中継点である以上、裏家業の者達やその取引が飛び交う事は誰もが予想していた事で、それは勿論彼も承知していた。その証拠に、警備隊は毎年三桁に上る国際的違法取引を摘発している。

 それでも尚、今回の件に創設者が激怒した理由は、その不祥事が彼の威信を賭けた慰霊祭の最中に、大勢の旅行者を巻き込んで発生した事。それらの取引に、買収されてはならない筈の者達が関わっていた事。そして何より、取引の内容物が、絶対に許されないものであった事からだった。

 彼が商人としての自らの能力を最大限に発揮し、四大国相手に不干渉を約束させたヴェスティアは、条件として絶対的、恒久的中立地帯であることを義務付けられており、他国間の軍事的中継地点となる事を禁止されている。今回の違法取引は、その中立地帯としての前提を崩すものだった。

 白の大国イズオライドの最新軍事技術を纏めた資料と、その試作品の核。

 湖上遊覧船の特等室のテーブルに転がっていたアメジストと結晶体の中身は、正にヴェスティアの中立を揺るがす毒物だった。イズオライドの研究員が死体となって発見された為隠蔽する事も出来ず、事態は四大国の知る所となった。

 イズオライドは国家としての関与を否定し、以降は頑なに沈黙。サウインとグレーゼンは地理的に取引の相手国をドットガルと見做し、ドットガルもまた当然これを否定。ヴェスティアを中心としたある種の信頼関係は崩れ、長らく小康状態にあった大戦は、再びその火を熾しつつある。

 同じく関与を否定し、変わらぬ相互不可侵を主張するヴェスティアだが、今回の一件によって中立地帯としての庇護を失いかけており、立場は非常に危うい。

 世界一と謳われる大商人の知恵と機転、そして実力が試されている。彼がその手始めに行った大規模な規制強化は、むしろ他国にむけてのパフォーマンスの側面が強い。だがそれでも、パフォーマンスで終わる訳にはいかない。今では、古くからかの地に根を張っていた唯一の裏組織、逃がし屋ですらその活動の縮小を余儀なくされる程の事態となっているらしい。警備隊は一から再編成され、管理官は年度毎の持ち回りとなり、彼等に対する監査機関も設置された。

 いずれそれもまた綻びが生じるだろう。

 全てはあの夏の一日に起きた、取るに足らない感情の連鎖が招いた事件の結果だった。

 そのちっぽけな一幕と、件の当事者達の存在は、まるで幻であったかのように人々の記憶から薄れていった。

 無理からぬ事だ。数百万の命が関わる世界のうねりを前に、たかだか十数人の生死などいつまでも気に留めて置ける筈もない。街を照らす数多の街灯が一つ消えた所で、気にする者がいないように。それが十や二十でも同じ事なのだ。

 民衆が彼等に目を向ける事が出来るようになるのは、自身を炙らんとする戦火が遠のき、その余裕が生まれた時。過去を検証する程の暇が出来た時だ。つまり今ではない。

 そして、それは最早彼にはどうでもいい事だった。



 グレーゼンのベッドタウンにある、こじんまりとした一軒家の前に戻り、フランクは足を止めて母屋を見上げた。

 耐熱と耐寒を兼ねた、赤茶けた魔術塗装の施された屋根と外壁。ほんの二週間前まで入り浸っていた、カーラの両親から彼女が受け継いだその財産に、どこか懐かしさすら覚える。

 今でも、夏の日差しのその向こうから、笑いながら彼を迎える彼女の姿が思い浮かぶ。白昼夢のような一瞬を、フランクは軽く首を振って払う。カーラはもういない。

 だというのに、彼は戻ってきた。この場所へ。

「……まさか帰ってくる事になるとはな……それも」

 フランクは右隣でじっと自分の動向を見守る、小さな背丈へ目をやる。

 真っ白なワンピースと境界が見分けられない程の白い肌。つばの広い麦わら帽子で隠した長い耳が、不安げに下を向いている。その帽子が少しだけ上を向き、薄緑の瞳が遠慮がちにフランクを見上げてくる。あの日、フランクが最愛の人の復讐を失敗した日に、彼が助け出したエルフの少女だった。

 仇敵との死闘に敗れ、致命傷を負って倒れていたフランクは、それでもしぶとく死の淵にしがみついて耐えていた。戦闘途中で服用した回復薬の効果もあっただろう。命を失いゆく体は生と死の領域を行き来し、寸前の所で天秤は拮抗した。

 それも薬の効果が続く間の話。奈落への落下が千切れかけのロープで少し延びたというだけの事。腹部から漏れ出る血に沈んだフランクの意識が、戻る事はない筈だった。

 だが、その後警備隊の落下乗船と共にフランクは発見され、危険な重傷者として緊急処置を受けて死への猶予を更に広げた。そして彼が意識を取り戻した時、その体は一握りの余力を蓄えた状態で、担架に乗せられて下船させられている所だった。

 恐らくは重要参考人として馬車で病院へ搬送されている途中、フランクはその小さな生命力を使い尽くして担架から抜け出し、最後の心残りを解消しに少女の待つ倉庫街へと向かった。

 敵は皆殺しにし、檻の中の彼女だけは何としても解放する。既にその分の力が自分に残っていない事を承知の上で、それでも倉庫へ踏み込んだフランクだが、ナイフを握ろうと手を伸ばしたその内ポケットの中には、深い傷と共に七桁の番号を彫り込まれた銀のプレートが入っていた。

 少女の世話役が殺されていた事に気付き集まっていた三人の男達は、警備隊が取引に勘付いてもうすぐ踏み込んでくる、というフランクの言葉と、その体に負った傷を見てすぐさま少女を引き渡し、二人を待たずに撤収していった。

 一切のエネルギーを使い切り、今度こそ死に向かって倒れこむフランクに少女は這いより、折り重なるようにその体を預けた。地面に流れている血が自分のものでないとフランクが気付いたのは、それから十分以上経った後だった。エルフの少女がフランクの懐のナイフを使って切り裂いた自分の手首から血が溢れ、二人の体の間に広がっていた。エルフの血には癒しの力がある――その噂を、フランクは自身で体験する事となった。

 当然ながら流れる血に少女自身を癒す効果はないらしく、衰弱激しい彼女にフランクは予備の回復薬を飲ませ、肩を抱き合いながら立ち上がった。警備隊は彼女を探しており、その隊長は彼女を売人に売り渡そうとしている。実際にはその時点でウォルターという脅威はなくなっていたのだが、自身が敗北した後の状況を把握出来ていなかったフランクにとって、少女をここに置いていく選択肢はなかった。

 元々ヴェスティアを脱出する算段に当てはなかった為、半ば諦めながらもルビーの指輪で逃がし屋……何でも屋に連絡をつけたフランクに、珍しく幸運が舞い降りた。

『あんたは運がいいよ、丁度客の乗り遅れでキャンセルになったルートがある……そうだな、もしかしたら店仕舞いになるかも知れないし、今日は大サービスといこうじゃないか』

 昼の依頼で預金の全額を使っていたフランクに、男は群島経由南方行きの鉄道予約番号を提供した。

 檻の中の木箱に残されていたカムフラージュ用の衣服に少女を着替えさせ、自分はライオンの着ぐるみの中の死体から服を剥ぎ取って、フランクは馬車を捕まえて南港区の乗り場へと向かった。鉄道員はフランクの書き込んだ予約番号を見ると、受付口横の扉を開いて、警備隊の立つ乗客用ゲートではなく従業員通路から列車内に案内した。

 そうして二人で倒れこむようにコンパートメント席に着き、殆ど丸一日食事も摂らずに眠りこけて最低限の体力を取り戻すと、二日後にドットガル方面の最寄群島で降りて、そこからグレーゼンの国境へと向かった。

 既に路銀は尽きていた為、全く褒められたものではない方法を何度か使って資金を工面したが、少女がそれについて口を挟む事は一度もなかった。そもそも初対面から人を殺して見せたので印象など良い訳がなく、彼女はただ、時折悲しげな表情で目を伏せるだけだった。ただそれだけの事が、無性にフランクを焦らせた。

 お互いに口を利くことはなく、余計な事に割く気力も体力もなかった為、食事を買い与えながらフランクは黙々と足を進めた。そうして、どこかで別れようと思いながらもタイミングを逃し続け、とうとう少女は彼の目的地までついてきた。

 彼女が人間達に捕らえられた経緯はまるで分っていないが、フランクの半分程しかない背丈から想像するに、年齢はせいぜい十代前半といった風に見える。親の庇護なしで生きていくには幼過ぎる年だ。そんな少女があのような目に合っている時点で、碌な背景など望めない。元々他に頼る当てもなかったのだろう。

 当のフランク自身も、どこに向かうべきなのか深く考える事が出来ずに、気付けばこの場所を一直線に目指していた。結局十日程をかけて、ここに戻ってきた。

 何をするにしても、お互い今は疲労困憊状態だった。

 まだ生きるつもりなのか、俺は。

 少女の眼差しを受けながら、フランクはぼんやりと視線を彷徨わせる。もう理由はないはずだった。あるとすれば、失敗した復讐劇を続けるだけ。だがそれはもう無理だろうと自覚している。ただ一度きりのチャンスを逃した今、本当の名前すら知らないあの陽炎使いの女をフランクが再び探し出せる可能性はないに等しい。闇取引で犠牲になりかけた少女にしても、檻からは救い出した。これ以上は、もうしてやれる事などない。

 だというのに

「カーラ……」

 何故彼女は、彼の目の前で微笑みながら、首を横に振っているのか。全ては彼女に焦がれるフランクが、自身に見せている幻想だ。その筈なのに、何故。

「折角なんだからさ、もう少し頑張ってよ」

 二度と聞くことの出来ないその声が、確かにフランクの耳に届く。彼女の口癖だ。折角なんだから、と何かにつけてカーラは恋人に行動を促した。

 もう終わりたい、と思っていた。だからこそ、全てに決着をつけるつもりでヴェスティアに向かった。

 だが、この地にはまだ彼女との思い出が残っている。思わず帰ってきたしまった程に。

 この胸の内には、まだ彼女が残っている。生きる事から逃げようとするフランクを窘める程に。

 何と厳しい恋人なんだろう、とフランクは苦笑する。だが、そんな彼女だからこそ、フランクは恋に落ちた。そんな、眩しい程に前を向く彼女だからこそ。

 ならば、せめて。

「俺の恋人の家なんだ。もう、今はいないんだが……」

 独り言のように呟いた後、フランクは少女に顔を向けた。

「言葉……通じてるか。俺の名前はフランク。お互いフラフラだよな、休んでいくか?」

 麦わら帽子の下で、瞳が少し見開かれる。

「フランク……」

 掠れた小さな声が、確認するように少女の口から漏れた。

 カーラなら、この少女をこのままにはしておかないだろう。折角なんだから、と色々なお節介を焼いたに違いない。

 助けたいというその感情はフランク自身から出たものではないが、それでも、今暫し生きる理由には成り得る。それは偽善ですらないが、それでも。

 フランクは真っ青な昼の空を一度仰ぎ、目の前で笑う彼女に情けない笑顔を返す。

 それでもきっと、今まで選び続けてきたどの間違いよりも、正解に近い。

「落ち着いたら、お前の家族を探さなきゃな」

 顎で指し示し、玄関へとゆっくり歩いていくフランクを、一拍の後に少女が小走りで追いかけて、おずおずと手を繋ぐ。ぎこちないその仕草にフランクは少し驚き、少しだけ力を込めて指を握り返す。

 夏の終わりを予感させる、少し熱の下がった昼下がり。

 それでも降り注ぐ光はまだ強く、少し雑草の伸びた白い石畳に反射して輝く。二人はその輝きの中を、支え合いながら歩いていく。

「……わたしの、名前は――」

 それは家族と呼ぼうにも他人過ぎて、絆と呼ぶにはあまりに脆く、知り合いと呼ぶ程単純な関係ではなく、けれど。

 その夏の出会いは、幻ではない。

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