08.宰相の駒①
“次は、――駅~、乗り換えは2番ホームの……”
下車する駅へ到着するアナウンスが流れ、翔真は俯いていた顔を上げた。
「あれ……」
不鮮明だった意識が浮上するように、徐々に鮮明なものとなる。
自分の状況が分からず、翔真はチラリと周りを見渡す。
どうやら此処は、帰宅途中の電車の車内で今まで眠っていたようだった。
周りには仕事帰りの理子の姿は無く、彼女が吊革に掴まって立っていた場所には若い男女が寄り添って立ち、談笑をしていた。
「なんなんだよ」
今までのことは夢だったのか。
夢にしては鮮明だったし、キルビスに掴まれて泣きそうになるくらい顎は痛かった。
あれらが夢でなければ、転移魔法を使われて電車内へと戻されたのか?
何となく痛い気がする顎を一擦りして立ち上がると、駅に到着した電車から降りた。
(時間はまだ夕方か……)
夢でなければ、理子と一緒に彼女のマンションへ着いたのは現在時刻より少し遅い時間だった。
時間が戻ったのか? やはりあれは夢だったのか? 翔真は首を傾げる。
足元がふわふわした気分で、改札口を通り抜けてバス乗り場へ向かう。
前方から黒いスーツを着た、癖のある茶髪の背が高く体格も良い白人男性が近付いて来る。
バス乗り場を尋ねられるかもと、身構える翔真の目前まで来た男性は恭しく頭を下げた。
「荻野翔真様、でいらっしゃいますか?」
「は?」
見た目に反して日本語が上手で、自分より体格が良い男性に頭を下げられて、翔真の目が点になってしまった。
「ついてきてください」という男性を断りきれず、翔真は困惑しつつも男性について歩く。
着いた先は、駅ビルの裏手の人目につかない場所で、窓に黒いスモークが貼られた黒光りする高級車が止まっていた。
「お乗りください」
後部座席のドアを開けた男性に促され、翔真は人の気配がする後部座席へと慎重に乗り込んだ。
バタンッ
乗り込むと同時にドアが閉められてしまい、翔真はビクッと体を揺らしてしまった。
「ご無礼を御許し下さい」
明らかに警戒している翔真に向かって、広い後部座席にゆったりと座る女性が頭を下げる。
(うわー、クールビューティ)
柔らかな金髪を後頭部で一纏めにして、新緑のような切れ長の瞳と白い肌。赤いワンピースと白いコートという派手な服装を違和感無く着こなしている、透き通るような美しさを持つ女性。
「私は、魔国宰相キルビス様より此方の世界での翔真殿の事を任されました、オデリア・アルマイヤと申します」
女性、オデリアは艶やかに微笑む。
やはり、タイミング良く現れたこの女性はキルビスの手の者だったか。
車まで翔真を案内した男性は、既に助手席へと乗り込んでいた。
「荻野翔真、です」
軽く頭を下げてから、ふと翔真は違和感に気が付いた。
「オデリアさんは……人、だよな? なのに魔族の気配も混じってる? あれ?」
人である筈のオデリアの中に、異世界で感じた魔族の気配と似たもの、魔力を感じるのだ。
翔真の指摘に、オデリアは嬉しそうに微笑む。
「ふふふっ分かりますか? 流石ですね。私の曾祖父が彼方の世界の魔族なんですよ。曾祖父は戯れに此方の世界へ来て、曾祖母と出逢い恋に落ちたそうです。ただ、私に流れる魔族の血は薄まっていて、大した魔法は使えませんがね」
薔薇色の唇が異世界で、此方の世界の電球代わりに使用されている、灯りの魔法を唱える。
オデリアの手のひらから放たれた淡い光の玉が、車内をふわふわ漂う。
「本来ならばキルビス様から任を承った、我が一族の当主である祖父が此方へ伺うべきなのですが祖父は本国に居るため、ビジネスで日本に滞在していた私が祖父の代理を致します。転移魔方は高度な魔法で、私達は使えなくて……申し訳ありません」
大人の色香を放つオデリアに申し訳そうに言われて、翔真はわたわた慌ててしまった。
「いっいやオデリアさんが謝らなくても、俺も転移魔法は使えないし。って、本国?」
「==国のアルマイヤ公爵が私の祖父です」
「==国って、北欧の?」
北欧の、冬は雪で閉ざされるが街並みや自然はまるでお伽噺の世界のような美しい国。
北欧の国から来たオデリアが、透明感ある美人なのも納得できた。
「ええ。我が公爵家直系の者達には、曾祖父の魔族の血が流れていますゆえに、私達は魔王陛下に忠誠を誓っております。我が一族が世界で平穏に暮らしていられるのは、魔王陛下の庇護のお陰ですからね。因みに、私と翔真殿がスムーズに会話が出来ているのは、前魔王様が赤子の祖父に授けた意志疎通の魔法によるものらしいです」
そう言われて、翔真は「なるほど」と呟いた。
難しい言い回しやイントネーションも完璧で、オデリアが日本語ペラペラなのかと思っていたが意志疎通の魔法だったのか。
祖父が受けた魔法の影響が孫の代まで続くとは、やはり魔王の力は計り知れない。
「よく分からないけど、魔王様って凄いんだな」
「ええ、我が一族と魔王様の間には血の契約がありますからね。血が薄まろうと、絶えなければ契約は有効です」
魔族は魔力の強い者に従うと聞いた事がある。
人の血が混ざろうが、彼女の一族は魔族の性には逆らえないのだろうか。血の契約というか、血に組み込まれた呪いみたいだ。
「あら、話が脱線してしまいましたね。では、翔真殿。これからの確認をしながら御自宅へ向かいましょう」
その言葉を合図に、運転席に座る初老のスーツを着た男性は車を発進させる。
「キルビス様より、御両親を説得するように言付けられておりますが、魔貴族の養子になると伝えても一般の方は混乱されるだけです。御両親には、我が公爵家の一員として学校を卒業された後に翔真殿をお迎えする、という話を御伝えします。よろしいでしょうか」
オデリアからの提案に、翔真はへっ?という声を出してしまった。
異世界では魔貴族の養子で、この世界では公爵家の養子になるのか。
短時間で色々な事があって翔真の思考はついていかず、頭を抱えてしまった。
「いや、説明上だけでも、オデリアさんの家が俺を養子に迎える理由は無いんじゃないか?」
どう頑張っても、北欧の国の公爵家と日本在住の高校生の接点は作れないだろう。
「養子という形でなくともかまいません。私には年の離れた妹がおりますから、妹と翔真様が恋人で何れ我が公爵家へ婿入りしていただく、という話にしましょうか。御両親には、婿入りと本国の大学へ留学する事を許してもらいましょう」
「ちょっ、オデリアさん、話の中だけでも妹さんと恋人とか妹さんは迷惑じゃないかな」
恋人関係の事実では無くても、知らない相手に恋人だと言われるのは嫌だろう。
自分だったら、可愛い子ならラッキーと思うけれど、もしも意中の相手がいたら困る。
「いえいえ迷惑どころか、彼女は喜ぶと思いますよ」
言いきってオデリアはニッコリと微笑んだ。
「そうそう、既に御両親には我々が伺うことは御伝えしてあります。急だと申し訳無いので、今朝、翔真様が学校へ向かわれた頃に連絡いたしました」
「今朝って……俺がキルビスさんに会ったのはさっきだったのに?」
翔真を取り巻く時間の流れではキルビスとの邂逅は先程の出来事だったのに、駅から出て直ぐにオデリアが迎えに来たのが不思議だった。
今朝はまだキルビスにも理子にも会っていない。
よって、オデリアが両親へ連絡は出来ないのに。
どういうことだ。これではまるで時間を巻き戻したみたいではないか。
「私は、時間を操る時空魔法を使える高位魔族の方を心底羨ましいと思うわ。この世界で時間を操れればとても便利だものね」
「時空、魔法?」
急に砕けた口調になったオデリアは、大きく見開かれた翔真の目をまっすぐに見詰めながら、ふふっと笑った。
==国は北欧の国を当てはめてみてください。
オデリアさんは日本で働いてる、透明感ある美人さんです。