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06.物足りなさの正体

 “やっと会えた”


 そんな思いから、電車内ということを忘れて翔真は目前に立つ理子の両手を勢いよく握る。


「理子さん、俺っ」


 このまま抱き付いて来そうな勢いの翔真に、周囲の視線が気になってチラリと周りを見てから、理子は苦笑いを浮かべた。

 ほぼ満員の電車内の乗客がチラチラ様子を伺っている。まぁ、翔真のこの態度では勘違いされても仕方がない。見た目は爽やか美少年の彼が縋りついているのだ。純情な男子高校生を弄び捨てた悪い女に見られているのか。


「あのさ、翔真君? 家に来る?」


 周囲に誤解されて注視され続けるのが嫌で、顔を近付けた理子が小声で囁くように言えば、翔真は頬を染めてこくんっと頷いた。




(此処が、理子さんの部屋……)


 今まで付き合ったのは年下か同い年の女の子ばかりだったため、年上の一人暮しの女性の部屋へ上がるのは初めてで翔真は疚しい事は何も無いと分かってはいても、緊張で心臓は早鐘を打っていた。



「お邪魔しまーす」


 玄関で靴を脱いで部屋へと上がった翔真はあれっ、と声を漏らした。

 室内には家具が何も置かれて無かったのだ。

 あるのは、窓のカーテンと天井のシーリングライト、床に置かれたハート形のクッションと座布団くらいしか無かった。



「何も無くてごめん。……そこに座ってね」


 年上女性の部屋に少し期待をしていた翔真は、困惑顔のまま促された座布団の上へと座る。

 翔真の向かい側にハート形のクッションを置き、その上へ理子は座った。


「再来週にはこの部屋から引っ越すの。仕事も辞めて魔王様の所へお嫁に行くんだ。今はもう魔国のお城で暮らしているから、家具は必要無いし」


 話しながら理子はガランとした室内を見渡す。

 職場を退職したら直ぐに部屋を引き払えるように、家具は全て処分していたのだ。

 まだ壁越しに魔王と対話していた時、愛用していた座布団とハート形クッションを処分しないでいて良かった。固い床に座ったらお尻が痛くなっていたから。


「理子さんは、この世界から完全に魔国へ行くの?」


「うん、色々あって悩んだけれど……私は、魔王様が好きだから」


 ぽっ、理子の頬がほんのり赤く染まる。

 顔の熱を少しでも冷まそうと、理子はパタパタと手で顔を扇いだ。


「って、私の事はいいから。翔真君はどうしたの? 何かあったの?」


 年上に見えない童顔で小動物っぽい理子の言動が、此処には居ない金髪縦ロールの令嬢と重なって見えて、翔真は目を細めた。


「あ、進路の事で、モヤモヤしていて……あのさ、ベアトリクスは元気?」

「ベアトリクスさん? 体は元気だと思うよ。でも、家の方で色々あるみたい。彼女は侯爵家の後継者だから」


 先日、珍しく家の愚痴を話していたベアトリクスの様子を思い出して、理子は表情を曇らせる。


「そっか、家か。俺もそうかな。俺は、親の言う通りに高校卒業後の進路は大学受験して必要な資格を取って、家を継ぐ兄貴のサポートをして生きていくのが堅実だって分かってはいるんだ。でも、俺は……あっちの世界での半年間剣や魔法の鍛練をしていてすごい楽しかった。勇者になっていた半年間が今までで一番充実していた。魔王に負けて悔しかったし、あっちで鍛えまくって強くなりたいって思いを諦めきれない。自分のやりたい道を歩きたいって思ったら」


 一気に自分の抱えていた思いを吐き出して、漸く翔真は胸の中で燻っていたものが何か分かった。


「俺は、進学より、家の事より、もう一度あの世界へ行きたいんだ」


 口に出してみると、日々感じていた物足りなさの正体も理解できた。

 剣を振るい魔法を放つ高揚感、鍛練後の心地好い疲労感を味わえない平和なこの世界に、物足りなくなっているのだ。


「ベアトリクスさんも、似たような事を言っていたよ? 自分の今後は自分の意思で選ぶ、って」

「ははっ、流石だなー。ベアトリクスだったら俺がウジウジしているのを見て何て言うかな? 叱り飛ばされそう。俺も、理子さんみたいにあっちへ行けたらいいのになぁ」


 煮えきれずに下を向いていた自分を、悪役っぽいキツイ口調になったベアトリクスに叱り飛ばして欲しい。


(ベアトリクスに、逢いたい)


 本音をさらけ出した今、金髪縦ロールの気位の高く可愛らしい令嬢に、逢いたいかった。



 自嘲の笑いを浮かべる翔真をじっと見詰めていた理子は、暫時思案して口を開いた。


「ねぇ……翔真君は、こっちの世界でやりたいことは無いの? 御家族は?」

「部活引退してからは、此方ではやりたいことは何も無いし、家は兄貴がいれば俺は必要無いかな。彼女とは此方に還ってきて直ぐ別れたし」


 付き合っていたマミとは、此方へ還ってきた翌日の放課後に別れ話をした。散々罵られたし、彼女の友人達には悪口を言われまくって絡まれたが全て返り討ちにして、何とか別れることが出来た、と思う。


「そっか。じゃあ、魔王様に相談してみる?」


 言い終わるや否や、立ち上がった理子は、黒のビジネスバッグから手のひらサイズのコンパクトを取り出す。


「翔真君、手を握って」


 差し出された手を座ったままで翔真が握ると、理子は片手でコンパクトを開く。



パアアー!!


コンパクトが開くと同時に、彼方の世界へ渡る道も開かれていった。




 ***




 熱したカールアイロンを髪に当てようとした侍女を、ベアトリクスは手で制止した。


「お嬢様?」

「今日は、巻かなくてもいいわ。そんな気分じゃないの」


 壁に掛けられた鏡に映った自分は、吊り目のきつい顔立ちをしていて巻き髪の方が似合っている筈なのに、最近は巻き髪にしても気分が晴れない。


“髪の毛を下ろしたベアトリクスは可愛かったから”


 照れた笑いを浮かべてそう言った翔真の声が脳裏に甦って、何故か胸が苦しくなる。


(わたくし、どうしたのかしら)


 コルセットのせいだろうか、ベアトリクスは息苦しさを訴える胸を押さえた。



「普段の巻き髪も素敵ですが、下ろしたままですとお嬢様の美しさが際立ちますわ~」


 ヘアブラシを手にした侍女は、鏡に映るベアトリクスを見詰めてうっとりと頬を染める。


「今日いらっしゃいますフリッツ様も、お嬢様の美しさに魅了されてしまいますわね。先日いらっしゃったバルト様も毎日お花を届けてくださいますし」


 称賛しながら化粧と髪を整える侍女達に、ベアトリクスは醒めた気持ちを隠した愛想笑いを返した。


「わたくしには、婚約者など必要無いですわ」


 溜め息混じりで呟けば、侍女達は困ったように眉を下げて顔を見合わせた。


 先日、顔合わせをした伯爵家次男や今日顔合わせをする侯爵家次男は、家柄も外見も魔力の強さもベアトリクスの相手としては申し分無い相手だ。

 だが、外見にとらわれて媚びへりくだる者、ロゼンゼッタ家の権力と財産目当ての者などベアトリクスには必要無かった。

 この世界では、種族関係無く強い魔力を持つ者は長い時を生きる。

 家柄や魔力の強さではなく、長い時を、横に並んで共に歩んで行けるような者しか伴侶として必要じゃないのに。


 ふと、黒髪に焦げ茶色の瞳をした少年の顔が浮かぶ。

 こんな下らない事で思い悩む姿を彼が見たら何と言うだろうか。

「嫌なら嫌って言えばいいじゃん」と、白い歯を見せて笑うだろうか。


(まだ、漫画の続きを借りて無かったわね。ショーマは向こうで何をしているのかしら。元の生活が楽しくて、約束は忘れられているのかも……)


 遠い異界の地にいる少年を脳裏に思い描いて、ベアトリクスは目蓋を閉じた。

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