04.金髪縦ロール令嬢の嗜好品
カーテンの隙間から射し込む陽光が眩しくて、翔真の意識が覚醒していく。
重い目蓋を無理矢理抉じ開けて、霞む視界で室内を見渡した。
自分はいつの間にベッドで寝たのだろうか。ベッドに入った記憶は無く、翔真は首を傾げた。
昨夜は、喉が渇いて水を飲もうとしたことまでは覚えているが、その後は殆ど覚えていない。
下半身が怪鳥になっている女、肌が鱗に覆われている女に襲われそうになるという、いろんな意味で身の危険を感じる恐ろしい夢をみた気はする。
変な夢のせいかあまり眠った気はしないし、起きて直ぐから頭の右側がずきずき痛む。
上半身を起こして手で触って確認すれば、何処かでぶつけたのか痛む箇所が瘤になっていた。
全く記憶が無いが、寝ている時にでも頭を打ったのだろうか?
ベッドの上で記憶を遡っていた翔真は、ある事を思い出して片手で目元を覆う。
(あれは、夢じゃないよな)
そうだ、魔力が暴走したのだった。
苦しくなって意識を完全に失う前に聴こえてきたのは、ベアトリクスの声だった。
心配そうに顔を覗き込む紫の瞳に、金髪の長い髪。
それ後、両頬を包み込んだやわらかい感触。あれは。
(あれってやっぱり……おっぱ、い?)
二つのマシュマロみたいな感触と質量を思い出して、翔真の顔は真っ赤に染まった。
食堂の椅子に座って朝食を食べていた翔真は、向かいに座るベアトリクスの顔を直視出来ずにいた。
おはようの挨拶をぎこちなく済ませて、その後は無言という緊張した雰囲気が翔真とベアトリクスの間に流れる。
お互いを意識し出した微妙な関係といった二人に、給仕係とメイド達は心配そうにチラチラと見つつ、様子を伺っていた。
「あのさ」
食事が終わったタイミングで口を開いた翔真に、ベアトリクスはビクリッと肩を揺らす。
「な、何ですのっ」
顔を上げた紫色の瞳は僅かに泳いでいた。
「昨日は、あー」
ベアトリクスの顔を見ていられなくて、下げた翔真の視線はつい胸へいってしまう。
自身を抱き締めるように、ベアトリクスの胸の下へと回された腕によってたわわな胸が強調されて見えて、翔真はごくりっ、唾を飲み込む。
「助けてくれて、ありがと、な」
あの魅力的な胸に顔を包まれたのかと思うと、嬉しいような恥ずかしいような気分が込み上げてきて、翔真の頬はほんのり赤く染まっていた。
「れ、礼には及びませんわ。あんな低級な者達に、仮にも勇者ショーマが喰われるのを黙って見ていられませんものっ。貴方もあんなのに負けないように、もっと強い男になりなさい」
ベアトリクスの強気な発言内容だが、彼女の紅潮した頬と上擦った声によって翔真の頭には入っていかない。
仕える令嬢の意外な一面を見てしまい、食後の紅茶を淹れていたメイドは頬を染めた。
「そっか、でも、ありがとう」
「よ、よろしくってよっ」
お互いの存在を妙に意識してしまい、二人の顔が更に赤く染まる。
二人を見守っていた壁際に控えた給仕係とメイド達は、微笑ましい思いで会話を聞いていた。
先程までとは変わり、穏やかな空気が食堂内に漂う。
初々しい反応をする若い二人に、足音をたてないように後ろを向いたライラは、唇の端から堪えきれなかった息をプッと吐き出した。
***
「少し息抜きをされたらいかがですか?」
そうライラに言われ向かった庭園に準備されたガーデンテーブルの上には、ティーセットと焼き菓子が並んでいた。
紅茶の香りに焼き菓子の甘い香りにベアトリクスの頬は緩む。
だが、ガーデンチェアに座っている先客の存在に気付いて表情が固くなる。
一人だったら舌打ちをしていたかも知れない。ライラは何か勘違いをしているのか。
屋敷内へ引き返すのもせっかく用意してくれたメイド達に悪いから、仕方がなくといった体で先客、翔真の向かいへ座った。
ベアトリクスが椅子に座ると、ライラが紅茶を淹れて然り気無く下がる。
異世界から召喚された勇者という珍しい存在。
年若く、外見も整っていて気さくな性格という彼は、魔国へ来てまだ三日なのに屋敷で働く者達から好意的に見られている。
同じ年頃だからか、ベアトリクスとの仲を取り持とうとしているのだろう。
そんな気遣いなど必要ないのに。
むしろ、昨夜と今朝のやり取りを思い出して気まずいのだけれどと、溜め息混じりでティーカップに口をつけた。
「なぁ、ベアトリクス」
「な、何ですの?」
気まずいという感情を抱いているのを、気付かれたのかとベアトリクスは動揺する。
「何でその髪型にしてるんだ?」
「は?」
質問の意図が分からずに、ベアトリクスは目を瞬かせた。
「いや、その、昨日の髪を下ろしていたベアトリクスは可愛かったからさ。今の髪型は令嬢っぽいけど、俺の世界では一般的ではないから」
気まずさから逃れるために聞いた質問は、昨夜のベアトリクスが別人過ぎて疑問に思っていたことだった。
ぽかんとしたベアトリクスの表情で、翔真はしまったと焦る。
霧がかった視界とはいえ、昨夜のベアトリクスの髪は腰より長い金髪のサラサラのストレートの超絶美少女に見えて、縦ロールにするのは勿体無いと思った。
「いや、変な質問してごめん」
いきなり自分は何を尋ねているんだと、翔真は頭を抱えてしまった。
「ふふふっ」
赤面して頭を抱える翔真が何だか面白くて、クスクス笑ったベアトリクスは縦ロールに巻いた髪に触れる。
「わたくし、悪役令嬢に憧れていますの」
「悪役令嬢?」
ベアトリクスからの意外な答えに、翔真は俯いていた顔を上げた。
「ええ。幼い頃に、伯父様がくださった漫画を読んで嵌まってしまいましたの。当時、侯爵令嬢として相応しい教養と、父から押し付けられた魔王妃候補としての教育に押し潰されそうになっていたわたくしは、何事にも揺るがぬ悪役令嬢の高潔な生き方に感銘を受けたのです」
胸元に両手を当てて、紫色の瞳を潤ませてほんのりと頬を染める。
まるで、恋する乙女みたいなベアトリクスの様子に翔真は目を見張った。
「へ……漫画ねぇ。それって俺の世界の漫画?何てやつ?」
「薔薇とタンポポと冷徹な伯爵、という漫画ですわ。...もしかしてショーマはご存知なの?」
何か思い出そうと首を傾げた翔真に、ベアトリクスは瞳を輝かせる。
「あぁ、その漫画だったら母親が全巻持っていたと思ったけど。じゃあ、魔王が家へ還してくれたら母親に貸してもらえるか聞いてみるよ」
幼い頃に、そんな題名の少女漫画を母親の本棚で見たことがあった。
可愛いものや少女漫画が大好きな母親は、書庫にしている三畳程の納戸に天井まで届く本棚を設置し、大量の少女漫画や有名漫画家のイラスト集を収集しているのだ。
「本当!?」
ガタンッ
勢いよくベアトリクスはテーブルに両手を突いて立ち上がる。
ティーセットが揺れたのを押さえようとした翔真の視界に、豊かな胸がブルリッと揺れたのが入り込み、ごくりっと唾を飲み込んだ。
「か、代わりに、っていう言うか、もしまた俺が魔力に飲み込まれそうになったら……その、ぎゅってしてくれるかな?」
殴られる覚悟で言った台詞の最後の方は、尻窄みになってしまった。
「ぎゅっ? 抱き締めるということですか? ええ、ショーマが暴走しそうになった時は、必ず貴方を止めますわ」
胸を張ったためベアトリクスの胸が揺れて、釦が弾き飛びそうなくらいブラウスの布地が引っ張られる。
「指切りで約束するかー」
眼前へ小指を差し出せば、ベアトリクスは目を丸くした後、顔色を青くした。
「ゆ、指を切るのですか? ショーマの国は恐ろしい事をするのですね……」
「ぶっほぉ」
口元に手を当ててプルプル震えるベアトリクスに、翔真は堪えきれずに吹き出した。
「やべぇ、可愛い過ぎるっ」
「なっ!?」
まさか、見た目は完璧な悪役令嬢が小動物みたいに体を震わせて怯えるだなんて。
肩を震わせて笑う翔真は、熱くなった顔を見られないように片手で顔を覆う。
対するベアトリクスは、訳が分からずに口元に手を当てたまま固まる。
ただ、可愛いと言われた事は頭に入り、ボンッと頬を赤く染めた。
遠巻きから二人を見守っていたライラは、ほんわかした気持ちで微笑んでいた。
ちょっと近付いた二人。
屋敷の使用人達は、「今まで二次元に萌えてたお嬢様が、やっと異性に興味をもったぞー!」てウキウキしながら二人を見守ってるって感じ。