11.婚約者(仮)になりました
PiPiPiPi~♪
枕元に置いたスマートフォンから、アラーム音とは異なる音が鳴り響く。
「う……」
音に急かされるように、翔真の意識は眠りの世界から呼び起こされる。
無理矢理覚醒させられた脳は、まだ半分眠った状態で朦朧とした意識のまま、手探りで携帯電話を掴んだ。
「おはようございます、翔真殿」
通話マークを押すと朝だからか、女性にしては少し低音な声が携帯電話から聞こえた。
「おはよう、ござい、ます?」
声の感じから大人の女性だろうか。
電話をかけてきたのは誰か分からず、挨拶を返した翔真の声は寝起きのため掠れていた。
「私の祖父と妹の都合がつきましたので、今週末の夕方にご両親にお会いしにうかがいます。本日、翔真殿が学校へ行かれた後にご両親宛に連絡させていたします。翔真殿も、今週末の夕方の予定を空けておいてくださいね。では、失礼いたします。お勉強、頑張ってください」
「……はい?」
一気に女性から言われ、返事をする翔真の脳裏はクエスチョンマークが浮かぶ。
理解が追い付かないままの翔真が口を開く前に、女性は電話を切ってしまった。
「祖父と妹……?」
一方的に終了した通話に、首を傾げた翔真はたっぷり数十秒考え……ハタッと女性の台詞を理解した。
「ベアトリクスが来る?」
この世界に? 家に?
ガバッ
ベッドで横になったままの翔真は、勢い良く上半身を起き上がらせた。
部活引退前はほぼ毎朝練習があり、起床後は身支度を整えて直ぐ家を出ていた。
家族と顔を合わせることも家で朝食を食べることも無く、部活引退後も朝食はコンビニで買ったパンを電車待ちの駅のホームで食べていた。
半年間異世界で過ごして、以前よりは物事を客観的に見られるようになると、自分は甘ったれた子どもだったと思う。
魔物も戦争も身近にある異世界と比べ、平和なこの世界で反発していても親に庇護されて、死の恐怖も知らずに生きてきたのだから。
制服に着替えた翔真は、朝の挨拶をするために高校へ入学してから初めて、家族が朝食を食べているダイニングへ向かった。
「おはよう」
朝の挨拶をしてダイニングへ顔を出した翔真に、両親と兄は箸を持つ手を止める。
早朝にオデリアから連絡があった事を伝えれば、両親は驚きに目を丸くした。
「また急にそんな事を……」
週末はゴルフだと呟いて、父親は渋面となる。
「僕は実習があるから、同席するのは無理だよ」
弟の事情を両親から聞いているだろう兄は、無表情のまま感情がこもらない声で言う。
何時も、エリート顔をしている兄の銀縁眼鏡を翔真は奪い取ってやりたくなったが、母親が五月蝿いから関わらないように兄の存在を無視した。
「学校優先でいいのよ。無理はしないでね」
空になった兄の湯飲みに、母親は笑顔でお茶を注ぐ。
弟の今後より、兄と母親は学校優先か。
ダイニングへ来たのに、自分の朝御飯は用意されないし母親と兄は声すらかけて来ない。
期待はしてないが、翔真は溜め息を吐いた。
味噌汁を啜った後、口元を拭くティッシュを一枚ずつ箱から出して兄に手渡したりと、母親は甲斐甲斐しく世話を焼く。
諦めた様に半目となって、二人の様子を見ていた父親と目が合う。
「……分かった。俺だけでもその日は空けておこう」
「ありがと、父さん」
素直にそう伝えれば、父親はハッと顔を上げた。
(やはり、此処に俺の居場所は無いな)
足早にダイニングを出た翔真は、自室へ戻ると通学鞄を掴んで玄関へ向かった。
***
「はじめまして、君が翔真君かい?」
==国大使館の応接室でにこやかに握手を求めてきたのは、上品で仕立ての良いスーツを着た中年男性だった。
白髪など見当たらない見事な金髪に、彫りが深く若い頃はさぞかしモテただろう整った顔立ちで皺もあまり無く、見ようによっては40代後半くらいに見える。
オデリアの祖父というより父親といった方がしっくりくる位、若々しい外見をしていた。
週末、来日したオデリアの祖父、オデッセイを一目見た翔真は彼の若さは魔族の血の成せるものかと「すげぇ」と感嘆の息を吐く。
「これでも魔法で外見を老けさせていてね、魔法を解除すれば20代の若い外見になるんだよ」
それでは都合が悪いだろ? とオデッセイは豪快に笑った。
因みに、彼の息子であるオデリアの父親は殆ど魔力を持っておらず、体の強さは一般の人と変わらなかったため交通事故で大怪我を負って亡くなったらしい。
「ベアトリクス……」
挨拶もそこそこに、翔真はオデッセイの後ろで興味深そうに窓の外を見ているベアトリクスに目を奪われていた。
輝く長い金髪は毛先だけを巻き、ほんのり化粧をして白地にピンクのリボンが付いたワンピースを着た彼女は、清楚な花を彷彿させる完璧なお嬢様。
「何ですの? わたくしもこの格好は似合わないと、ちゃんと分かっていますから」
翔真の視線に気付いたベアトリクスは唇を尖らす。
「凄い、可愛い」
唇を尖らして膨れる彼女は、何時ものツンとした令嬢の仕草とは違い可愛らしく見えて、素直な感想を翔真は口にする。
「は?」
口を開いて頬を赤く染めたベアトリクスの表情から、意識せず言った自分の発言を理解して、翔真の顔も真っ赤になる。
真っ赤になって見詰め合ったままの二人に、応接室に居る者達は微笑ましい気持ちで「あらあら」と笑った。
***
黒塗りの高級外車に乗せられた翔真は、オデッセイ、オデリア、ベアトリクスと共に自宅へ向かった。
「ようこそいらっしゃいました」
自宅玄関を開けて直ぐに、母親が小走りでやって来る。
家に居て対応するのは父親だけかと思っていた翔真は、表には出さなかったが内心驚いていた。
「初めまして、オデッセイ・ルア・アルマイヤと申します。こちらが私の孫、ベアトリクスです。この度は、急な話で申し訳ありませんでした」
玄関先で頭を下げたオデッセイは、静かながら威厳ある口調で自己紹介をする。
外国とはいえ、身分が高い公爵が頭を下げたのだ。
さすがの両親も萎縮して頭を下げる。
「ベアトリクスですわ。どうぞお見知りおきください」
「まぁ」
オデッセイの横に立ち、綺麗な会釈をしたベアトリクスに母親は目を輝かせた。
少女漫画が好きな母親は、見た目が少女漫画のヒロインのような可憐なベアトリクスと好みが合致したようだ。
応接間へ移動し、オデッセイとオデリアは今後の手続きについて父親と話を進めているのを、翔真は横で相槌を打って聞いていた。
「お義母様は素晴らしいコレクションをお持ちだと、翔真様からうかがっております。実はわたくし、油良淋先生の描かれる物語が大好きなのです」
「まぁ、ベアトリクスさんは油良淋先生の本をお読みになるの?」
嬉しそうな母親の声は、聞いたことがないくらい弾んでいた。
「はい。幼い頃に読んだ“花畑と氷の王子様”に感銘を受けまして、わたくしはヒロインのライバルであるタチアナ様のような完璧な淑女を目指しました。実は、髪も普段は巻いていますの」
いたずらっ子のような笑みを浮かべたベアトリクスは、人差し指にくるくると髪を巻き付ける。
「まぁ! “花畑と氷の王子様”をご存知なのね?」
「もし、お義母様が御許しくださるなら、わたくしにコレクションを見せて頂けないでしょうか?」
「ええ、好きなだけ見てちょうだい! 息子達は全く興味を持ってくれなかったから、嬉しいわ」
見た目少女漫画のヒロインのようなベアトリクスが、自分の趣味に理解を示した事を知り、興奮した母親の頬はほのかに紅潮していた。
「ベアトリクス……凄いな」
まるで少女みたいにはしゃぐ初めて見る母親の姿を、翔真はもとより父親も唖然と見詰めてしまった。
婚約者(仮)になりました。
この後、ベアトリクスは母親のコレクションを満喫してバッチリ漫画の続きを借りました。




