10.利得の一致
ロゼンゼッタ侯爵家侍女のライラは、仕えている令嬢の不機嫌な様子にこっそり溜め息を吐いた。
侍女達に身支度をされながら、ベアトリクス令嬢は眉間に皺を寄せて、鏡に映る自身の姿をチェックする。
「今日は何処の何方がいらっしゃるのかしら」
魔王が寵愛するリコを傍に据て、ベアトリクスが魔王妃候補から完全に外れてから、見合いの申し込みが殺到していた。
ロゼンゼッタ家へ婿入りし縁続きになるため、または魔力の強い子を得て今後誕生するであろう魔王の世継ぎの側近候補にしたいという思惑から、というのはベアトリクスでも分かる。
ただ、貪欲で目敏い父親がこの機を逃すわけはなく、有力魔貴族令息達と連日のように見合いをさせられて、ゴリゴリと忍耐力は磨り減っていた。
腰より長い髪を巻き髪にセットするのすら、今は億劫になっている。
これでは、今日明日は仕事が休みだと言っていたリコと御茶をしに、城へ行く事も出来ない。
侯爵家後継者としての義務とはいえ、ベアトリクスは全てを放棄してしまいたくなっていた。
「お疲れみたいだね」
突然、部屋へ転移してきたキルビスにベアトリクスは眉を吊り上げる。
「連絡無しで、突然女性の部屋へ転移するのはマナー違反ですわよ」
ベアトリクスは鏡越しに、突然現れたキルビスを睨む。
(わたくしに対して過保護でしつこいけれど、キルビス伯父様は優良な相手よね。同じ侯爵位だし宰相だし美男子だし)
親の脛を齧るボンクラに嫁ぐのならば、いっそのことキルビスの妻にしてもらった方がいいかもしれない。
ロゼンゼッタ家は、優秀そうな遠縁の者を養子に迎えればいいだろうし。
不機嫌な顔から一変して思考に耽り出すベアトリクスに、キルビスは苦笑する。
「今日のダルカス伯爵の息子との顔合わせは取り止めにしたから。あの素行が悪い小僧はベアトリクスには相応しくない」
仕事に追われていて手を回すのが遅くなったが、ベアトリクスにちょっかいをかけようとしていた魔貴族達は“宰相の圧力”を使い叩き潰した。
あとは、用意した駒が上手く動いてくれれば良い。
「代わりに、僕が婚約者候補を紹介するよ」
「まぁ、キルビス伯父様が?」
思いもよらない台詞に、ベアトリクスはぱちくりと目蓋を瞬かせた。
魔王妃候補の話が出た幼い頃から、この手の話にあまり乗り気では無かったキルビスから「紹介」するとは、どういった思惑があるのか。
「嫌なら断ればいい。今現在、未婚の魔貴族女性で、ベアトリクスより強い魔力持ちはいないから選び放題だよ」
何か企んでいそうなキルビスに促され、ベアトリクスは応接室へ向かう。
使用人が応接室の扉をゆっくり開いた。
応接室の中央に立つ、黒髪をした少年の後ろ姿にベアトリクスは大きく目を見開いた。
どうして此処に彼が居るのだろう。訳が分からなくて、思考が一瞬停止する。
「ショーマ……?」
漸く出した声は、自分でも間の抜けたものだった。
「ベアトリクス?」
声に反応して、振り向いた翔真も唖然と口を開いたままベアトリクスを見詰める。
「僕の義弟になる予定のショーマだよ。ベアトリクスが気に入ってくれるといいのだけど」
ポカンと口を開けたまま固まる二人とは対照的に、キルビスだけは楽しそうにニッコリと笑った。
***
庭園に設置されたガーデンテーブルの上には、ライラが淹れてくれた紅茶と焼き菓子が並ぶ。
久々に見る、ベアトリクスの愛想笑いではない自然の笑みに、二人の様子を離れた場所から見守るライラはほっと胸を撫で下ろした。
「まさか、キルビス伯父様がショーマを連れてくるとは思わなかったですわ」
暑いし邪魔だからと、屋敷に居た時は襟足の髪を軽く括っていたのに、目前に座る翔真は一ヶ月前より髪が短くなっていて新鮮な気持ちでベアトリクスは彼を見ていた。
一方の翔真は、金髪縦ロールでキツイ印象の令嬢だったベアトリクスが、ストレートのままのサラサラの髪が風に吹かれて片手で押さえる仕草にドキッと胸が高鳴る。
お互いの視線が絡み、気恥ずかしさから咄嗟に二人は目を逸らした。
「もしも、もしもさ、俺が婚約者になったら……ベアトリクスは」
どう思う? という言葉は続けられなかった。
「婚約者? そうだわっ!!」
ガタンッ
勢い良くベアトリクスが立ち上がり、ティーカップが揺れて紅茶がソーサーに溢れる。
「ショーマが婚約者になれば、気が乗らないお茶会などしなくてすみますわ」
たとえ翔真が人だとしても彼は魔王の側近宰相キルビスの庇護を受け、中位魔族に匹敵する魔力を持ち聖剣の使い手という実力者だ。
ボンクラ魔貴族達がどうにかしようと動いても、彼を簡単には潰せないだろう。
「ショーマも魔国での立場が確立出来ますし、わたくしにちょっかいをかけようとする無礼者を牽制出来て一石二鳥ね!」
「俺が婚約者にならなければ、ベアトリクスはまた他の男とお見合いするのか?」
目前のベアトリクスが他の男と見合いをして相手に微笑みかけるのを想像して、翔真は渋面になる。
「ええ、そうね。お父様は魔王妃になれないのならば有力な貴族から婿を、と考えているでしょうから。貴族の婚姻は、家のための政略結婚が殆どだもの」
何てことはない様に言うベアトリクスに、翔真は衝撃を受けた。
今まで翔真が付き合ってきた女子は恋愛脳というか、恋愛最優先で恋人が一番で家などと関係ない、という考えばかりだったから。
この間別れたマミはそれが顕著で、彼氏彼女の関係になった途端、蕩けた甘い色を瞳に浮かべて翔真に擦り寄ってきた。友達、勉強より恋人という考えなのか、四六時中傍に居たがってかわすのが面倒だった。
妙案ね、と嬉しそうに言うわりに、ベアトリクスの冷静な紫色の瞳は浮かれることない。
「俺で、いいのか?」
恋愛感情の有無は関係無く、こんなに綺麗な女の子の婚約者になれるのは嬉しいような恐ろしいような、自分の感情はどちらなのか分からない。
「ええ。立場に甘えているような軟弱な男より、自分を高めようとしている勇者の方がいいですもの。キルビス伯父様の紹介なら、お父様は何も言えないわ」
男に媚びる事も無く何時も強気なベアトリクスが、打算や利害の一致からだとしても、自分を必要としてくれている。
純粋にその事実が嬉しくて、翔真はくしゃりと笑った。
「俺は、こうやってベアトリクスとまた逢って話せるなら、友達でも婚約者でもどっちでもいい。改めて婚約者って言われるのは、恋人みたいで嬉しいしちょっと照れるけど……」
笑顔で言う翔真だったが、終わりの方の台詞は尻窄みになった。
驚きに目を見開いたベアトリクスに、翔真が自分が告白めいたことを言ってしまった事に気付いたのだ。
「あ、いや、」
何を言ってしまったんだ?と焦っても、今更誤魔化すのも取り消すわけにもいかず、翔真の顔に熱が集中する。
「ショーマ?」
ずっと困惑して眉を下げていた翔真が、嬉しいと言うなんて。
顔を真っ赤にして焦る翔真を見て、みるみるうちにベアトリクスの頬が紅潮していく。
お互い顔を真っ赤に染めて視線を逸らせずに固まったまま、甘酸っぱくも気まずい空気が流れる。
離れて様子を伺っていた者達も、固唾を飲んで二人を見ていた。
「そろそろ話は纏まったかな?」
気まずい空気に終止符を打ったのは、キルビスの一声だった。
声をかけるまで気配を消していたらしいキルビスの登場に、翔真とベアトリクスはビクリッと肩を揺らした。
「君達の利得は一致したようだし、僕の方で話を進めておくからね」
ぷぷぷっと、笑いを堪えながらキルビスは言う。
やり取りは全て聞かれていたと理解した二人は、羞恥で顔を真っ赤にして頷いた。
***
養子や婚約の手続きのため、城ではなく屋敷へ戻るというキルビスに連れられて翔真はモルガン侯爵家へと向かった。
モルガン侯爵家の屋敷はロゼンゼッタ家と同等だったが、華やかな雰囲気のロゼンゼッタ家より落ち着いた機能性重視の内装は、屋敷の主人の性格を表しているようだった。
屋敷内へ足を踏み入れると、執事とメイド達が整列して出迎える。
養子の話は周知されているらしく、整列した使用人達に頭を下げられた翔真は戸惑いを隠せなかった。
「キルビスさんは、もしかしてベアトリクスの見合いを止めるために、俺を養子にすることにしたのか?」
執務机に向かい、書類を作成していたキルビスのペンを持つ手が止まる。
「お前の世話をしろという魔王の命令があったから、手っ取り早く僕の庇護下へ置くため養子に迎えるだけだ。まぁ、ショーマをベアトリクスの婚約者にするのは大事な姪を腑抜けた小僧にくれたくは無かったからな。可能ならば、僕が娶りたいくらい大事な娘なのに」
伯父のキルビスでは、血が濃くなるため子を成してもベアトリクスの胎の中で魔力が爆発してしまう可能性がある。
魔族の近親婚の結果生じた濃い血を持つ胎児は、奇形や胎内で育つことが出来ない。
ギリッと奥歯を鳴らせば、翔真は「へっ?」と間の抜けた声をあげる。
「ショーマはベアトリクスから魔力を貰っているだろう? いちいち言わなくても、お前から感じる魔力だけで周りを黙らせることは出来る」
魔力の譲渡は、高位魔族が下位の者を配偶者として迎え入れる場合によく行われる行為。
ベアトリクスにそんな意図は無かっただろうが、これで二人が恋仲だと疑う者はいないだろう。
「あくまでショーマとベアトリクスは仮初めの婚約者だ。二、三年この関係を、お互いに恋人ができた場合は、いつでも解消は可能だからね」
「こ、恋人なんか作るわけないだろっ俺はっ、あっ」
危うく、好意を示す言葉を言いそうになって、翔真は顔を赤くする。
ロゼンゼッタ家での若い二人のやり取りを思い起こして、キルビスはニヤリと嗤った。
翔真君とベアトリクスさんは婚約者(仮)になりました。




