6日前の2月14日
「ねー?」
「……」
「ねーーー!」
「んー」
可愛い。とにかく可愛い。もふもふの綿みたいな毛。キュートなお尻。まん丸でつぶらな瞳。小さなお口。そしてぷにぷにの肉球。画面越しにでも伝わってきそうな体温と匂い。
こんなに至近距離で観察できてしまって良いのだろうか?映像技術の進歩というのは実に素晴らしい。
はぁ…なんて愛らしいんだろう。見渡す限りの子猫。見上げれば、子猫!目と目が合う。子猫!いえす!子猫!!
「できたよーーー!」
「んー」
ふぅ。楽園に別れを告げおもむろにゴーグルを外す。後ろ髪を引かれる思いだが、そのまま見ていたらスマホごとゴーグルを壊されかねない。
パタパタとスリッパの立てる音に目を向ければ、普段はしないピンクのチェック柄のエプロンが見える。どうやらいつになく気合を入れて取り組んでいたらしい事が伺える。
どや顔でやってきた彼女の左手に乗ったトレーには、さてさて。
「じゃーん!!」
「おお」
今日はバレンタイン。聖ウァレンティヌスさんがどーこーとかいう由来を持つ日であることは我々にはどうでもよくって、愛の告白、日頃の感謝、勲章の数で男たちが見栄を張り合う、などが主となった今、愛を誓う日という名目に則り最愛の人からチョコを貰える僕は間違いなく幸せに違いない。この世界の誰よりも。うん。
「今回はかなり力を入れるからねー、期待して待ってなさい!」
鬼の首でも取りにいかんばかりの気迫でそう言われたのが今朝の話。それからおよそ8時間、日も沈み始める夕刻と相成って、ソファで昨日届いたスマホ用VRゴーグルで遊んでいたところ、ようやく彼女の格闘が終了したようだ。
キッチンからは「ぎゃあああああ!!」とか「このまま刺しちゃえ!」とか「絶対食べてくれる愛があれば大丈夫愛があるから大丈夫なんでも大丈夫」など何やら不穏な呪詛めいた言葉が色々と聞こえていたが、不安に駆られるのも1時間で慣れて、空腹に苛まれながらも愛が潤沢に詰まったチョコレートが完成するのをただ待つだけの身となっていた。
どんなものが出来上がったのかと期待して見れば、そこにはご丁寧にリボンまでつけてラッピングされた小さな箱が一つ。
どこか…いや、かなり抜けてる彼女の事だから、2人でも食べきれないような巨大なホールケーキなど予想していたのだが、どうやら外れらしい。
「開けていい?」
「どーぞどーぞ!」
「それじゃ……おお!……おお??」
ぱっかり開いた箱から出てきたもの。
銀色の厚みのある皿に乗っている。わかる。
外見はチョコの茶色。わかる。
甘い香り。間違いなくチョコだ。わかる。
下から覗く生地はパン、いやシュー生地か。わかる。
おそらくエクレアと呼ばれる洋菓子。わかる。
それが、ひとつだけ皿に乗っている。僕用だ。わかる。
それだけだった。
……うーん、わからない。
もう一度まじまじと観察するが、どうみてもエクレアだ。ちょっとチョコが多めにかかっているくらいか。何だか、嫌な予感がする。
「それじゃ、食べるよ」
「はーい」
満面の笑みだ。よっぽど自信があるのだろう。
彼女はティーセットを用意しぎこちなく紅茶を淹れ始める。この香りはアールグレイか。最高だな。
「いただきまーす」
視界の端で捉えた事実を意図的に受理せず放置し、チョコエクレアを手に取り大きめに口を開けてかぷりと一口。
「ねー、何見てたの」
味は普通。チョコの味だ。香ばしくサクッとした食感のシュー生地と、中からはなめらかなクリーム、
それと……かたい。うん、やっぱ嚙み切れそうにない。
かぶりついたまま手を放す。
ずるりと何かが抜けて、残りは口に収まった。
もぐもぐ。おいしい。
残り半分となったチョコエクレア(仮)の断面部分から棒状の何かがはみ出ている。さっき噛み切れなかったもの。ホットドッグの構図に似ているが、ソーセージは赤い液体を滲ませたりはしない。
もぐもぐ。どうやら予想の本命が当たったみたいだ。愛という名の異物混入。
「あー。ちゃんと食べてよーー」
ごくり。おいしかった。
「子猫の動画、見てたよ」
「ふーん、そうなんだ」
「すごくおいしいよ。ゆび……手が込んでるね、ありがとう!」
「でしょー」
「でもこっちはダメだよ、もったいなくて食べれない」
骨、硬いし。
「えー?そうは言っても、作ったんだから食べてよー?」
「これ、どうやって作ったの?」
「んー、ネットで見かけてね、やってみたかったの!だからチョコに混ぜちゃえ!って。」
「……レシピとかなかった?」
「あー探してない。どうしたの?エクレアのレシピは本があったから見ながら作った!」
まぁ、そんなレシピは無いだろうけど。
んー。何て言おうか。とてもじゃないが硬くて食べられないし、砕くか溶かすかしないと難しいかな。でも、食べてしまうのはもったいない。
ちょうど良いし、長年温めていた計画をここで打ち明けてしまおうか。
「今日バレンタインじゃん?」
「うん。」
「来月は?」
「ホワイトデー?」
「そう。その時のお返しにさ、同じ事を考えてたんだよ。先を越されちゃったけど」
「そうなの!嬉しい!」
「僕も嬉しいよ。でも、あげるというよりも一緒に交換したいなって思うんだ」
「交換…」
「だからね、これは食べない。その代わりに僕のものとして身につけておきたいな」
「本当!?」
「本当。だから、僕のもつけてくれる?」
「いいよ!」
良し。僕の望むべき形になんとか収まりそうだ。
「同じ指がいい!」
「いいよー」
「薬指ね。間違えたらダメだよ」
「任せて」
「ふふふ。何だか、結婚みたいだね!」
「指輪交換ならぬ、」
「「指交換!!」」
「ははははは」
「あはははは」
実は僕も、そう考えていたんだ。ネットのそれ、他の人もやってるみたいだから少し嫌だったけど、でも発想は素敵だし。
だから今回、たまたま薬指でよかった。ほかの指だったら二度手間だったから。
「わー結婚かぁ。結婚だねー」
「そうだねー。結婚しよう。」
「やだー!もっとロマンチックなプロポーズがいい!」
「んー、困ったな。わかった。じゃあ僕にも準備があるから、明日でいいかな?」
「しょうがないですねぇ。いいですとも!」
腕を組み偉そうに、でも満足そうに鷹揚に頷いてみせる彼女。彼女は僕の提案を断ったことがない。
結婚か。正直嬉しい。さっきまでの僕よりも、さらに幸せだ。過去・未来含めたすべての人間の中で一番幸せだ。こんなに幸せで良いのだろうか?
まぁでも、彼女といるんだから、当たり前か。彼女に感謝しなくちゃね。
エクレアから指を引き抜いて皿に置き、残りを口に頬張る。
指、そのまんまじゃん。爪とか、のどに刺さったら痛そうだ。
紅茶は、っと。まだ熱いか。
「ごちそうさまでした。」
疲れたのか、隣で寝息を立て始めた彼女を横目に、僕は考える。
……。
うん。来週くらいに、しようかな。
それまではもうしばらく、子猫の動画でも見ていよう。あんまり見すぎると、彼女が嫉妬しちゃうからほどほどに。
バレンタインを題材にした作品を書きたかったので。3秒で書きました。あの2人のお話です。




