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初めての別れ

死に関しての話です。

苦手な方は飛ばして下さい。

レイ、4歳の誕生日は、私がレイや夫との生活を始めて1年経ったときだった。

この時は、近くの義父母や義祖父母と一緒に誕生日会をして、義父に自転車のプレゼントをもらって、ご満悦で義祖父母に乗って見せていたレイ。

この頃のレイは、義祖父母と一緒にいる時間が多く、オヤツも義祖母が食べさせていた。

レイも「しいばぁちゃん」と呼んで、保育園から帰ると義祖母のいる家に行ってあそんでいたり、本を読んでもらって過ごしていた。


だから、私達夫婦や義父母の誰もがこの状態が続くと思っていた。


レイの誕生日会の1週間後、私とレイは車で2時間かかる実家に遊びに行っていた。

この頃のレイは、実家に行くと必ず、「泊まる。」

と、帰りたがらない為、眠くなるまで待って、夜連れて帰ったり、弟が、1つ向こうの自宅方面の高速乗り口まで30分くらいドライブして連れて行ってくれたりして帰るようにしていた。

この日も、レイに帰るように話をしながら、その気になるのを待っていた時、夫からの電話が、

「今、帰って来て。おばあちゃんが、、、」


夫の話では、自宅で発作を起こしてダメかもしれないから早く帰って来て。ってことだった。

実家の父や弟に手伝ってもらって、荷物とレイを車に乗せて、かなり急ぎで義祖母宅に行ったら、義祖母の兄妹や近くの親族がきていた。

夫からは、「もう、おばあちゃんは、病院に搬送して、警察の現場検証も済んでるから。取り敢えず、レイは母屋で寝かせて。」って、言われ、寝てるレイを布団に入れてから義父と義祖母の帰宅を待ちながら、義母達と掃除や葬儀屋さんへの手配をした。


翌朝、義祖母の弔問や色々な雑務をしている私達夫婦と義母。義父は、患者さんの予約や振り分けのために仕事に行ってた。

いつもと違う様子にレイは、どうしていいのかわからず、騒いでいた。

なだめようとしたけど、どうにもならなくて、義母が、レイを義祖母の前に連れて行き、これから、義祖母とお別れしなければいけないことを説明した。

大好きなしいばあちゃんとのお別れが悲しくなったレイは、泣きながら自転車で飛び出し、しばらくして、カゴいっぱいの野花を摘んで帰ってきた。

「このお花、しいばあちゃんにあげるの。」

それを聞いて思わず義母と、一緒に泣いた。


お通夜やお葬式は人の多さで騒いで、義兄や私が交代で付き添い席を外しては落ち着かせていた。


レイには、義祖母の死は難しいことだけど、乗り越えなければいけない大事なことだった。

義祖母がお骨になったこともレイには理解できず、ずっと義祖母を探していたので、レイには、ひいばあちゃんとはもう一緒にいられないけど、お星様になってずっとレイを見てくれてるよ。と説明した。


この頃から、突然義祖母を思い出しては泣くことが、2年続いた。

幼い子に遺体を見せることについて、嫌悪される方もいるかとはおもいますが、レイは、言葉では本当には理解できないことがあります。

実際に目で見ることで、理解するので、そうせざるをえませんでした。



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