眠り姫の裏側で
ロアナ視点。 時系列は迷宮編と真相編の間です。
カナデが倒れてサヴァリス殿下に運ばれた後。わたしは虹の公国から空の国に帰国し、迷宮の報告を済ませた。わたしが帰国した頃には月の国からの書状が届いており、眠り続けてはいるがカナデの容体は回復に向かっていることが分かり、心底、安心した。
わたしはあくまでカナデのお目付け役だったので、迷宮の利益関係は他の文官の仕事だ。それに外交官としての地位も新人だったため、特に責任問題は無かった。しかし、カナデが倒れたのはわたしの責任でもある。腹黒い国王と交渉し、どうにかカナデを迎えに行く使節団のメンバーに自分を捻じ込んだ。国王には、必ずカナデを連れ戻すことと、使節団内の士気が下がらないようにして欲しいと言われた。
……前者は国としてカナデを手放せないということでしょうけど、後者はマティアス殿下に気を使えって意味でしょうね。面倒だわ。あの親バカ国王。
マティアス殿下がカナデを心配し、わたしよりも強引に使節団に加わった。王太子と騎士団総長が不在となるのだ。本来は許可できない事項だが、マティアス殿下に甘々な国王が許可した。おかげで、王宮は混乱。警備体制の見直しや、仮の騎士団長に第三王子を置くなど、騎士団内や国務局はかなり忙しいようだった。
……多少マシになったけれど、マティアス殿下が我が儘なのは、昔と変わりないのよね。
そんな訳で、多少のトラブルはあったが、わたしの見える範囲では概ね順調だった。月の国で気を付けるのは、マティアス殿下とサヴァリス殿下の動向ぐらいだろう。わたしはカナデの看病に注力しなくては。そう思っていた。だけど――。
これ、わたしが収拾つけなきゃいけないのかしら!?
「初めまして。私は空の国の王太子、エドガーと申します。カナデの上司にあたりますね。貴方は、カナデの御身内ということですが、詳しく聞いても?」
「ええ、構いませんよ。私の名は、タナカ。種族は神獣で、カナデの兄です」
エドガー王太子殿下とカナデの兄を名乗るタナカという神獣が握手をした。お互いに微笑んではいるが、こちらにも分かるようなピリリとした緊張感がある。
「神獣がカナデの兄!? そんなこと一言も聞いていないぞ!」
前言撤回しよう。マティアス殿下には緊張感なんて伝わらなかったようだ。
……カナデも大概だけど、マティアス殿下も鈍感よね。
「マティアス……自己紹介を」
「す、すみません、兄上。わ、私の名は、マティアス。空の国の第五王子で――」
「うっひゃぁぁああ! サヴァリスちゃんに続いて、イケメンが二人よ! 彼氏はいないの?って聞くと、いつも遠くを見ていたカナデちゃんに春が! 春がきたぁぁああああああ! あ、わたくしのことは、ティッタお姉ちゃんって呼んでね?」
突如、タナカさんの後ろに控えていた華奢な美少女が奇声を上げた。エドガー王太子殿下は少し驚いたようだけど、カナデの奇行に慣れたわたしは動揺しなかった。
……雰囲気がカナデに似ているわね。
10代前半の少女に見えるが、お姉ちゃんと呼んでと言っているところから察するに、彼女も人族ではないのだろう。タナカさんと同じように人化している可能性が高い。
というか、人化なんてできる種族がいるのね。世界って広いわ。
「おい、ババア。初対面でそのノリはきついぜ?」
「お黙り、アイル!」
青髪の青年――アイルさんがティッタさんに割とまともなツッコミを入れたが、女性が言われたら確実に怒る呼び名で呼んだため、吹っ飛ばされた。おそらく、風属性の上級攻撃魔法だろう。アイルさんは壁に打ち付けられ、そのまま外に放り出された。
無詠唱とか色々驚いたことはあるけれど、一番驚いたのは緻密な魔法展開ね。人型の壁穴って初めて見たわ。
「アイル。いい加減、学習しなさい。貴方の頭には何も詰まっていないのですか?」
「……すまねぇ、ナッサン。回復を」
野性的な整った顔を血で染め上げながら、アイルさんは這いあがって来た。体中が土埃塗れで、服はボロボロになっていた。
あの攻撃魔法を近距離で直撃して死んでいないなんて……アイルさんは、ただものじゃないわ。
「それとティッタ、他人の家を壊すんじゃありません」
「はーい。これからは気を付けるわ」
ティッタさんに軽く注意しながら、タナカさんは回復魔法をアイルさんへ展開する。カナデがするように、驚異のスピードで傷が塞がっていく。アイルさんの回復が終わると、タナカさんは破壊された壁の近くへ佇み、手を掲げた。すると辺りに白銀の光が満ち、壁が元通りになる。
「義兄上は、カナデと同じように時間を戻す魔法も使えるのですね」
サヴァリス殿下の言葉にタナカさんは顔を顰める。反対にティッタさんは嬉しそうな顔をしている。そしてマティアス殿下は、1人で顔を真っ赤にしながらボソボソと呟いていた。
「義兄上だと!? もうそこまで……あ、あに、あにう――」
「ぶち殺すぞ、害虫共が」
一瞬にして空気が凍った。
……タイミングとしては、今しかないわね。
「申し遅れました。わたしはロアナ・キャンベル。この度は外交官として派遣されました。カナデとは、学生時代からの友人ですわ」
恐怖と興奮で混沌としたこの場を収めるため、にこやかに言うと、少しだけ空気が和んだように感じる。エドガー王太子殿下が小声で「君もカナデと同じで変わった子だね」と言われた。
心外ね。わたしがあの子みたいな変人なわけがないでしょう!
「貴方がロアナさんですか。カナデからはお話を良く聞いています」
「わたくしはカナデちゃんの姉よ! 妖精だけど」
「俺は兄だぜ! 竜だけどな!」
「きょ、恐縮ですわ」
タナカさんは一瞬にして穏やかで誠実そうな顔つきに戻った。そして握手をすると、ティッタさんとアイルさんが爆弾発言と共に手を重ねてきた。
こんなとんでもない兄弟がいるなんて、カナデに聞いていないわよ! まあ、わたしも兄が二人と弟が一人いるってカナデに話したことないけれど……。
カナデのことは勝手に天涯孤独だと思っていた。だけど、多種族でも家族がいるのは喜ばしいことだ。素直にそう思う。だけど、ひとつだけ疑問が残る。
多種族の家族がいるのに、どうしてカナデは人族の国で生きているのかしら……?
「私たちがカナデの兄弟であることが不思議ですか?」
「いいえ。むしろ、カナデなら納得です。ただ……」
「ただ?」
「聞いてよいことか分かりませんが、どうしてカナデは人族として生きているのかと思って」
わたしの言葉に、カナデの兄弟たちは暗い顔をした。しかし、すぐにそれは立ち消える。
「ポルネリウスの遺言でカナデは人族の学校へ行くことになりました。しかし、それは強制ではありませんでした。あくまでカナデに選択権があり、幼く力の強いカナデを心配した私たちは強く止めました。それでも、カナデは人族として生きることを選んだのです」
「種族というのは、無意識の内に自分の価値観として精神に食い込んでいるわ。ポルネリウスもそうだったもの。どれほど強くなろうと、彼は人族だった。だから……死んでしまったのよ」
ティッタさんは、見ているこちらが胸が張り裂けそうになるほどの沈痛な面持ちだった。
「ポルネリウスが森に引き籠って老けはじめたのは確か……人族の親友の孫が死んだ後だったけな」
「アイルの言う通りですね。人族として生きるのに疲れたと言いながら、彼は親友との思い出の地である空の国を離れませんでした。どれほど人に利用されようとも」
その後のことはよく覚えていない。わたしの存在が後々カナデを苦しめるのではないか。そればかり考えていた。
ティッタさんとアイルさんは、タナカさんによって家に帰らせたらしい。人族に利用されるのを避けるための措置だそうだ。タナカさんは兄としてカナデが目覚めるまで付きそうみたいだが。
「はぁ……」
わたしはカナデの眠る客室で、何度目か分からない溜息を吐く。すると背後から懐かしい声がした。
「ふむ。病人の前で溜息を吐くのは、いささか縁起が悪いのではないか。幸せをおすそ分けしていると言われれば、こちらは何も言えないがな」
「サルバドール。ノックくらいしなさい」
「カナデ以外に人が居ないと思ったのだ」
サルバドールはテキパキとカナデの手首に巻かれた布を外す。そこには複雑な魔法陣が描かれており、なんらかの効果があるようだ。
「それ、どんな効果があるのかしら。ああ、機密に関わるなら言わなくていいわ」
「機密というほどではない。これは生命維持の魔法陣だ」
空の国でも聞いたことがないわ。本当に天才ね。これで私生活が少しでもまともだったら……。
「カナデが生きていられるのは、それのおかげなのね」
「あまりこれは役に立っていないと思うぞ。応急処置のようなもので、5日ほど意識不明でも生命活動を行えるようにしているのだ。だがカナデは何週間も眠っている。さすがに栄養不足で死んでもおかしくないのだが、筋肉が落ちる様子すらない。まるでお伽噺の姫だな」
それは本当に人の身体なのだろうか。カナデもポルネリウス様と同じで親しい人族を失い、取り残されてしまうのだろうか。色々な考えが頭を巡る。しばし黙考した後、わたしはサルバドールに問いかける。
「ねぇ、サルバドール。カナデは、本当に人族なの?」
「カナデが仮に人族ではなかったとして、ロアナにとってのカナデが変わるのか?」
「変わらないわ。あの子はわたしの親友よ」
それは絶対に変わらない。わたしはカナデに2度救われた。だから、わたしからあの子を見捨てたりしない。それにあの子と過ごす日々は、とても楽しい。きっとカナデと出会わなければ、わたしはただの貧乏子爵令嬢として、つまらない人生を送っていただろう。
……とんでもない騒動に巻き込まれることもあるけど、カナデといると楽しいのよね。
「やっと笑ったな。目覚めた時にロアナが笑っていなければ、カナデだって悲しむ。カナデにとっても、ロアナは親友だろうしな」
「……サルバドール」
異世界人召喚で月の国に来た時に見たサルバドールは、昔と一切変わらず、どうしようもない魔法陣馬鹿だったけれど、少し見ない内に変わったのかしら? 男子は3日見ない内に成長するって言うこともあるぐらいだもの。そうかもしれないわ。
寂しい気持ちとそれ以上の嬉しさを感じていると、カナデに新しい魔法陣の布を巻きつけたサルバドールが、わたしにゆっくりと歩み寄る。
「な、何かしら?」
「ロアナ!」
「ひゃう!?」
動揺するわたしの両手を、サルバドールはガシッと包み込む。眼鏡の分厚いレンズから覗くサルバドールの瞳は、鋭く理知的だった。今までにない状況にわたしの鼓動は早まる。
「ロアナ」
「な、なによ。サルバドール」
「お願いだ! 私をカナデの兄たちに会わせてくれ!」
「はぁぁあああ!?」
訳の分からなさに、わたしは思わず令嬢らしからぬ声を上げる。
「将軍に会うのを止められているのだ!」
「貴方……何をやったの?」
呆れた目で見ると、サルバドールはこてんと首を傾げる。
「いや、神獣殿に解析させてほしいと足に纏わりついただけなのだが……」
「理由なんて明白じゃない! この馬鹿者!」
「ぐふるぁっ!」
サルバドールの腹に膝蹴りをかます。
もう、何をやっているの! 相手は神獣に妖精に竜よ。人族に悪印象を抱いたらどうするの! 国際問題どころじゃないわ。人族領すべてを巻き込んだ問題になるのよ。この馬鹿!馬鹿!
「ティッタさんとアイルさんは、この王宮にいないらしいわ」
「くっ……やはり、将軍の命令など無視すればよかった」
「少しは自省しなさい! 貴方を見直したわたしが馬鹿だったわ」
「見直したのか?」
わたしはジロリとサルバドールを睨みつけ、大きく息を吸い込んだ。
「人族すべてを巻き込んだ粗相を犯さないように、より厳重に貴方を閉じ込めておくことをサヴァリス殿下に進言してくるわ!」
「待ってくれ、ロアナ! これは魔法陣の発展に必要な事なんだ! お前なら分かるだろう!?」
「お黙りなさい、サルバドール!」
「かふぇっ」
トドメの一撃をサルバドールにお見舞いし、部屋を出た。部屋の外で控えていた侍女に驚かれたが、無視して、わたしはサヴァリス殿下へ報告に向かう。
回廊の空気は涼やかで、わたしの火照り紅潮した頬を冷やしていく――――