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「なかなかの役者ですのね。驚きましたわ」
「だろう。父上の口調を真似てみた」
驚きからか見開かれた目をそのままに男は事切れていた。
「たいしたことは聞き出せなかったな」
男の死体を検分するジョウをよそに、カステはぼんやりと狩ったばかりの魂を見ている。
「あの女はたしか腕飾りにだったけど……」
ジョウは死体の両腕を見て、目当ての物がないとわかると首に目をやる。
「ありましたわ」
ジョウは死体の首に光る銀の鎖を手繰り寄せた。鎖に付いていた飾りを手のひらにおさめる。彼女の手のひらに乗っているのはスワンダミリアの象徴である、花びらに噛み付く蛇だ。
「やっぱり持っていましたわね。この男の言葉によれば、スワンダミリア崇拝の布教者がいるようですね」
彼女はスワンダミリアの象徴をぐっと握り締める。
「こんな物まで作って……組織的なものなのかしら」
「どうなんだろうな。とりあえず一度戻るか」
カステは鎌の刃に並んだ魂に目をやった。これを冥界まで持っていかねばならない。
「そうですわね」
天上神の車輪のしたに、冥界の闇へ続く裂け目が口を開けた。。
「冥界神、いらっしゃいまして?」
ジョウは冥界神の居室の一つを訪れた。天井からは大小の鍾乳石が下がり、室内は石筍でぐるりと囲まれている。
石筍に囲まれた自然の椅子に輝く神は座していた。だが冥界神より手前の人物の反応のほうが早かった。太めとはいえ先端が広く平らとはいえない石筍は座りにくいのは明らかだ。だがその者は石筍の上にこともなげに座っていた。
「ああ、君が」
その人物は体の均衡を崩すことなく、くるりと動き、次の瞬間にはふわりとジョウの前に降り立った。
「人かな?」
(似てる……)
男の造作は冥界神とよく似ていた。しかし色味には乏しかった。ばさばさの髪と目は灰色で、着ているもの薄汚れた上下で、外套はところどころほつれていた。
彼の手にある頭蓋骨がカカカと乾いた音で笑う。
「これ、君が作ったんだって?」
男は頭蓋骨の頭を軽く叩いて黙らせ、微笑みの中に好奇心を含ませた。ジョウははっとして口を開いた。
「アタシは……人、ですわ」
「ふうん。でも人っぽくないね」
男はジョウの回りを軽やかな足取りで一周し、次にカステの目の前に立った。ぐいと顔を近づけると、頭蓋骨をカステの顔の横に持ってきた。両方を見比べ。カステの頬を引っ張った。
「よく出来ている」
まぶたを上に引っ張りあげられたり、手の爪を弾いたり、カステは黙って男にされるがままになっている。
「やめてやれ、嫌がっている」
冥界神に言われて男はカステの体のあちらこちらにちょっかいを出すのをやめた。冥界神が言った通り、カステは黙ってはいたが不機嫌な顔は隠さずにいた。
「へえ、嫌がって、ね。取ってつけた肉なはずなのに……肉体と心が繋がっているとは、本当によく出来ている。もちろん目も見えているし、口もきけるんだろう?」
男の質問にカステは溜息をついてから口を開いた。
「はい」
「そうか。じゃあ涙も出るのかい?」
男は頭蓋骨の眼窩の縁を指の腹でなぞる。
「涙? さあ……」
「そう。見たところ感情は顔に出るみたいだし、きっとそのうちわかるだろうね」
カステへの好奇心はおさまったのか、男は冥界神に向き直った。
「さて、私はそろそろおいとまします」
頭蓋骨を石筍に突き刺し、その場で一礼すると、ぱっと姿を消した。そのことにジョウが驚いていると、ジョウとカステの間を風が駆け抜けて行った。巻き上げられた髪に手を添えてポカンとするジョウにカステが教える。
「風神だ」
「風神!? アタシ初めて見ましたわ!」
長らく冥界にいるが、今まで風神の姿を拝んだことはなかった。冥界はいつでも凪いでいるから、風など吹かないものだと思っていた。
「あれは地上を常に駆け抜けている。ここに来ても長くは留まらぬから、おぬしが知らぬのは無理ないことだ」
「冥界神に似ておいでですのね」
「肉体を作る際、水に移る我の姿を手本にしたゆえ似ているのだろう。死神が自分と同じように肉体を持ったのが興味を引いたに違いない」
「……重くないのでしょうか」
カステは肉体の感触を確かめるように、手と手を擦り合わせた。
「肉体を持つのはあやつが望んだことだ。それよりどうした。また体のことで文句を言いたいわけではあるまい。ジョウ、おぬしは何を持っている? ミリア……? いやミリアではない、しかし……」
ジョウは冥界神に歩み寄り、彼の困惑のもとを取り出した。死んだ娼婦と男の持っていた不死神の象徴だ。
「……かすかだがミリアの気配がする」
「それはこれに不死神の力が宿っているということですの?」
冥界神は首を横に振る。
「宿るというほどたいしたものではない。日があたれば消えてしまう影のように、ふとしたことで消えてしまいそうだ。そして正しくはミリアに似た気配だ」
「似た気配?」
「ああ、似ている。だが似ていない」
「似ているけれど似ていない……?」
彼は象徴に目を奪われたまま、ゆっくりと手を動かす。
「こちらだ。これから気配がする」
冥界神が手に取ったのは銀の鎖にぶら下がる象徴。教会で死んだ男のものだ。象徴を手にとるやいなや、彼は眉を寄せた。
「これは……嫌な気配だな。似ているが、本質はミリアに似ても似つかぬ」
「似ていないとしても、冥界神、これに不死神が直接関係しているということはあるのでしょうか? でしたらアタシに何ができましょうか」
冥界神に匹敵する力を持つという不死神。彼女が関与しているとなると、ジョウや格下である死神ではどうしようもない。
「いや。風神からは何も聞いていない。あやつは天上からこちらに吹き降りてきたところだったのだ。天上は変わりないというから、ミリアは眠ったままであろう。それより、これは死神には触らせぬほうがよいな」
「どういうことでございましょう」
「……」
返却された象徴を手に、ジョウは問うたが冥界神は答えない。ジョウは神の若葉色の目を探るようにのぞきこんだ。彼は何か知っている。
「おのずと知れよう」
言うつもりはないようだ。ジョウは押し黙る冥界神から言葉を引き出す術を知らない。
「わかりましたわ。ではこれを手がかりにすることにしますわ」
「して、用はこれだけか?」
「いいえ。名簿を確認していただきたいのですけれど、よろしゅうございます?」
「うむ」
冥界神が頷くと、即座にどこからか巻物が飛んできた。彼の周りで巻物はするするとひとりでに解けた。
「名簿の空欄が一つ埋まっている。フォーガ・ビアンケ、死亡日は今日、死因は胸部に負った外傷、か」
冥界神は己を螺旋状になって囲む巻物の間からジョウを見た。彼女もまた彼を見た。
「見つけたのか」
「一人だけですけれど。なかなか興味深いことがわかりましてよ」
ジョウはカステが本来の姿に戻ると、死すべき魂を感じられなくなってしまったことを話した。
「死神が本来の姿で感知できぬものが、血肉を得た死神には察せられるとな。ジョウよ、そなたがどのようなつもりで、死神に血肉を与えたのかは知らぬが、思わぬ効果があったようだな」
ちらりと死神に目をやり微笑を浮かべる冥界神に、ジョウも笑んで言い返す。
「アタシはいつも独りでしたから、連れがあるのはなかなか楽しゅうございますわ。貴方様が何をお考えでアタシを使うのかはわかりかねますけれどもね」
冥界神と別れた後、冥界の薄暗い廊下を歩きながら、神と不死人は今後の方針を話し合っていた。空間には彼らが歩く音しかしなかった。
「あの男が持っていたほうにしか不死神の力はないのだろう?」
「そうですわ。あの男は胸に大穴が開いても死ねずにいた……でも女のほうはどうだでした? 取り立てて異常な様子はありませんでしたわ」
「つまりおまえは、男が死ななかったのは象徴に宿る不死神の力、いや不死神に似た力のせいだと言いたいわけだろう」
ジョウは頷いた。
「父上は俺に触らせるなと言ったが……」
カステはジョウの手にある不死神の象徴に手をのばした。掴みあげたと思ったら、すぐにジョウの手に戻す。彼は珍しく深刻そうな顔をした。
「嫌な感じだ。それはおまえが持っていろ。俺に渡すなよ」