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「――で、これがその『何とかする』なわけでして?」
ジョウは薄暗がりの中にいた。目の前には闇色の布地、背後には人の体温。ジョウはカステの黒衣の中にいた。ゆったりした袖に地面をすれるほどの裾、そして頭巾。頭から被るかたちの衣装なので、ジョウはどこからも顔を出せない。
「姿も見えなくなるし、俺と一緒なら影に取り込まれない」
「その言葉だけ聞くと妙案に聞こえますけど……どうやって動けばよいので? いっそのこと姿が見えてもいいから、上空を突っ切って街から出てしまえばよろしいかと」
今更だがジョウは気付いた。
「それはできない」
「何故? まだ魂を狩りに行くと?」
カステの注意は足もとに広がる街にあった。
「違う、いや違わないか。なあ、太い……鍛えた男の二の腕よりも太い杭が人間の胸を貫通していたらどうなる?」
「杭……」
ジョウはもぞもぞとカステの黒衣の中、両手の親指と人差し指をめいっぱい広げて輪を作った。
「これくらいかしら……まあ死ぬでしょうね。内臓を避けたとしても、出血もひどいでしょうし……って、アタシの質問は無視ですかしら?」
「そうか。わかった」
「ちょっと、それより質問に答えて下さいまし。街を出られない理由は何ですの?」
「……」
返事はなく、突如ジョウは布越しに物でも扱うかのように脇に抱えられた。カステが鐘楼の屋根を蹴る音がした。
「ちょっと!」
ジョウは急なことに驚きの声をあげる。
「しばらく我慢しろ。こっちだって我慢してるんだから」
カステはそう言うと、地上に降りるまで口を開かなかった。布越しとはいえ、人の感触を嫌う彼がジョウを抱えるのはなかなか忍耐のいることだろう。それを考えるとさすがに文句は言えない。
カステが降り立ったのは土砂崩れの現場の近くらしかった。石畳がなかば泥に隠れている。
カステはジョウを下ろした。彼が歩き始めると、ジョウは追い立てられるように彼の前で歩を進めた。だがそれが歩きにくいと判断すると、ジョウはカステの後方に回り込み、斜め後ろの位置に陣取った。死神の衣はわりと余裕があるものだとはいえ、カステと距離をとってしまうとすっぽりと衣から出てしまう。カステの上衣の裾を握りしめて、離れてしまわぬように努める。
「……」
一向にカステが何も言わぬので、ジョウは脇腹をつねってやった。
「痛いぞ、止めろ」
「ネエ、アナタは自分がアタシの言葉をさっきから無視し続けていることに気付いていまして? アタシ言いましたわ、魂を狩るならちゃんと事前に言って下さいと」
老人の魂を狩ったときや、魂を狩りに行くために窓から飛び出していったとき、魂を狩ることにとらわれると、彼は他の事に無関心になる傾向がある。今を魂からみのことで頭がいっぱいに違いない。
「……太い杭が刺さった人間がいたんだ。その男からは確かに死臭がした。俺は狩ろうとしたが、そのときおまえがかけた術が解けた。そうすると、死臭のかわりにするはずの死すべき魂の気配がその男から感じなくなった」
「それで、狩れたので?」
「いや、狩らなかった。なぜ急に術が解けたのかが気になったし、死すべき魂の気配がしないと、狩れない。というより、狩る気にならない。だからこそ今あの人間を探そうと思って、死臭のするほうへ歩いている」
「ようやく事情がわかりました。まったく、そういう大事なことは早くお言いなさいな」
カステは人で混み合った場所にやってきた。彼は真っ直ぐに進めず、じぐざぐと人の間を縫って行くので、ジョウはカステに着いて行くのが大変だった。しかし混み合っているにもかかわらず、人の声はせず恐ろしいほど静かだった。
足もとを見ながら懸命に歩いていたジョウは、石畳が途切れ敷居をまたいだときに屋内に足を踏み入れたことを知った。扉をカステが後ろ手で閉めた。
「ジョウ、出てきてもいいと思う」
「ここは無人ですの? ちゃんと確認したのでしょうね」
「大丈夫だろう」
「わかりましたわ」
黒衣から出ると、高い天井がジョウを見下ろしていた。ジョウのいる通路を挟んだ両側に木のベンチが並び、最奥には大きな車輪が飾られている。車輪は継ぎ目がないこと、回り続けるものであることから、永遠の存在である天上神の象徴となっている。また中心から放射状に広がる輻は世界をあまねく照らす太陽光線であり、太陽もまた天上神とかかわりが深い。
ここは教会だった。この天井の高さならば、街の中心にある教会だろう。それ以外にこれほど立派な教会はない。
こちらに背を向けて膝を突き、車輪を見上げる男がいた。泥だらけの衣装をまとい、その背中に穴が開いており向こう側にある祭壇が見えている。
ジョウはこの世でない場所で生活をしている。冥界の薄暗さ、果てのない不毛の大地、輝かしい冥界神。人の世にあっては見ることのできぬものを目におさめてきた。だが今は人の世にあって、およそこの世のものとは思えぬ情景に出くわし、ジョウは言葉を失った。
その男からジョウたちの足もとまで血の道が出来ていた。ジョウはその道を目でたどった。血の道は教会の外へと続いているようだ。ようだ、というのも外へと続く扉は閉まっているので確認しようがない。
男はぴくりとも動かないでいたが、死んでいるのではなかった。息をするごとに肩が動き、荒い息が響く。
ジョウは外の静けさの理由を察した。即死してもおかしくない怪我をしているにもかかわらず、男は血を流しつつ教会まで移動してきた。人々はその異様さに手を出しかねて教会の外でたむろしているのだろう。妙に静かだったのも、恐ろしさと緊張感のために違いない。
ジョウとカステは目を合わせ頷きあった。
ゆっくりと男に近づく。男はジョウたちが背後に来てもまったく気付いた様子はない。男の横には僧侶が倒れていた。一見したところ外傷はなく、おそらく男の壮絶な姿を見て気絶したと思われる。
男は何か呟いていた。
「そんな……確かに私は…………水を……なのに、どうして……ああ、ああ、これは……罰、なのですか……? 天に、おわす偉大な主……よ」
男の喉はシューシューと苦しそうな呼吸を絞り出す。
「異教の神の、教えに耳を傾け……たから……ああ…………神は天におわす主のみ! 不死神とは悪魔の名……主よ……赦したまえ……どうか、神よ、私に死を………痛い、苦しい、死を…………」
男はひたすら懺悔し、死を求め続ける。ジョウとカステは男が不死神という単語を口にしたのを聞き逃してはいなかった。
「ジョウ、俺が行く」
カステはジョウの耳に口を近づけ小さな声で言った。ジョウは頷くとベンチに座り、カステの動向を見ることにした。
カステは男のすぐ前に立った。ただし黒衣に身を包んだカステは人の目には見えていない。彼がどのような目で男を見下ろしているのかは、頭巾の影になってわからない。
「赦しが欲しいか?」
姿は見えずともカステの声は空間いっぱいに響いた。男は近くからする声に、僧侶が喋ったのだろうかとかたわらを見るが、僧侶はのびたままだ。
「だ、誰だ…? どこにいる……?」
きょろきょろと男が首を動かすが、当然誰も彼の目には映らない。
「目の前だ」
男は声が降ってくるのが、自分の前方からという事実を認識した。彼の視線の先には神の象徴、車輪がある。
「……まさか……」
男は畏怖の念にかられ、その次の言葉が言えなかった。ジョウはカステの意図が呑み込めた。
(お手並み拝見といきましょうか)
「見えぬならそれはおまえの不徳ゆえ。さあ、赦しが欲しければ話すがよい、己の罪を」
男は頭を垂れた。
「大病、を……患い…………助からぬ、と…………巡礼者に身をやつした異端者が私に、言ったの……です。不死神を信ず……れば……死を、避け、られる……と。どうかして……いたので……す。死ぬのが……怖く…………異端者の言う通り、不死神……に祈りを…………よこした、不死の水、を…………私は……口に……」
男の呼吸は相変わらず苦しげだったが、彼は懸命に言葉を紡ぎ出す。言葉ににじみでるのは悔恨と畏怖。
「……病は、治りまし、た。傷も…………すぐ、治るよう、になり。私は、悪魔、の力……を信奉する……ように………ああ……! お赦しを………!」
男の声が尻すぼみになる。唯一の神の前で悪魔信仰を告白している気になっているのだ、当然と言えば当然だ。
「おまえに水を与えたその不届きな異端者は何者か?」
「……詳し、いことは……わかりません。ただ…スワンダミリアとやらの、教えを……解いてまわっている、のだ、と」
「わかった、続けよ」
「は、はい……ですが、今度ばかり……は一向に治りま…………せん。あいた傷口……がふさがらない……の、で、す。主よ! 痛い……! 苦しい……傷が治る……こと、なく、死に……至るこ、ともでき……ずに!」
「…………」
カステが黙っていると、男は額の前で手を組み合わせて祈りの姿勢をとり、どこにそんな元気があったのか狂ったように叫んだ。
「主よ! 主よ! どうかお赦しを!! この苦しみから……解き放って、下さい!! お赦しを! ……私に……死を、お与え……下……さ…………い……」
男が喀血したらしい。体の穴の向こうで吐き出された血が滴るのが見えた。
「死を、と言うか。いいだろう、死を与える。しかしおまえは人間に付与された宿命たる死を避けようとした。それは我に対する冒涜である。その罪ゆえ、おまえは安らかに逝くことが許されぬ。しかし悪行を悔いたおまえに、断末魔の苦しみを味あわせるのも酷といえよう。おまえは俺の姿を見て死ね!」
言うやいなや、カステは頭巾を取って姿を現した。
男の目に映ったのは、絵姿に描かれるような威厳ある老人姿の天上神ではなく、左右色違いの目をらんらんと輝かせる、手に大鎌を持つ黒衣の神――。
男の顔が驚愕に染まるのを見ると、カステは嘲笑い、鎌を振り下ろした。