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死神にさよなら  作者: 入江游
3 女神
7/28

3

ほっそりした手首が土から生えていた。そのあたりから死すべき魂の気配はしなかった。さりとて狩られた後でもないことは、カステの死神としての感覚が告げていた。土砂崩れが起きてから結構な時間が経っている。土に埋もれた人間がいまだ生きているものだろうか。いずれ死ぬのだとしても、その時を作り出す死神は、誰もこの手の持ち主に注意を払っていなかった。この人間は死に見放されていた。

カステは大鎌を実体化させて土を掘りおこす。

 少し掘って、見覚えのある衣服の袖が見えた。

(やっぱり……)

彼はさらに掘り進めた。ある程度掘ると、彼は刃に魂を刺した大鎌をそばに突き立てておいて、近くで見つけた木切れで慎重に土を除去していく。

 根気よく掘り進めると、見知った顔が出てきた。泥だらけの顔が雨に洗われていく。

ジョウの顔は土気色で生気がなかったが、掘り起こされてしばらく経つと、浅く呼吸をし始め、やがて目を開けた。顔にも赤みが戻ってきた。

「あらやだ。ひどいことになってましてよ、アナタ。中途半端に術が解けて腐乱死体みたい」

(なかば土に埋もれたおまえが言うか)

嫌味はただの骨の打ち合う音でしか伝えられない。

「早くここから出して下さいまし」

カステは無言で掘り進め、時間はかかったが、ジョウを土から出すことに成功した。その頃になると雨は小降りになっていた。

 土から出るとジョウは文句を言う前に、カステを引っ張って建物の影に隠れた。建物と建物の隙間は、土砂の侵入を免れていた。

「その中途半端な術じゃあ、人に見られちゃかなり不味いでしょう。すぐに直しますわ。この状態ならすぐに直せるはず……」

彼女は手早くカステの身体に付着している肉を整えていく。足りない分は土砂を貼りつけ肉に変えた。

「アア、右目をどこかに落としてきましたのね。探すが面倒ね……仕方ないわ」

ジョウは右手の親指を傷つけ、そこから出てきた血の玉に人差し指の爪先を添える。

「届かないわ、しゃがんでくださらない?」

カステがしゃがむと、彼女は目線よりやや下の位置に来た死神の眼窩に親指の血を爪先ではじくようにして注いだ。血が眼窩に入るやいなや、それは赤い虹彩を持った眼球に変化した。

「カステ」

「なんだ」

ジョウに名前を呼ばれて返事をすると、視界が明澄になった。泥まみれのジョウの姿もよく見えた。


右目の色以外は元通りになった死神は、常人なら死んでしまうような目にあったジョウに淡々と問うた。

「どうしておまえはあんな土の中に埋まっていたんだ?」

 彼は言いながら、ジョウの髪に触れた。撫でるように触れられて、ジョウは目を丸くした。気遣いがない、と内心不満だったが、突然どことなく優しい手付きで触れられるとどうしていいかわからない。

「あ、アナタが急に窓から飛び出すからでしてよ! 探していたら巻き込まれましたの」

すっと後ろに下がり、カステの手から逃れる。

「ふうん。おい、まだ泥がついているぞ」

「わ、わかってますわ! それより、ふうんって何です? アナタが人間の姿をしたまま窓から飛び出したから、アタシは気が気じゃありませんでしたのよ」

「はいはい」

カステはまったく悪びれる様子はない。狩るべき魂を追うことは彼にとって至極自然なことで、例え人間の姿をしていてもそれは変わらない。それゆえに魂を追って飛び出たカステを追いかけて、ジョウが土砂に巻き込まれたとしても謝る必要はないというところだろう。そもそも謝るか否かの選択肢が彼の中にあるか疑問だ。

「何ですの。その口調」

「べっつに」

「もう最悪でしてよ」

ぶつぶつと文句を言いながら、彼女は髪や衣服についた泥を手で拭う。

「アラァ、もとが白地の布だなんてわからないくらいね。洗濯しないと」

「じゃあ宿に戻ってろよ」

そう言ってカステは地面に刺したままにした大鎌のもとへ向かった。大鎌のそばには別の死神が、持ち主不在の大鎌の前にたたずんでいた。カステが大鎌を引き抜くと、死神はすぐにカステの大鎌に興味を失くして飛んでいった。

「魂をくっつけたまま放っておいたから、職務放棄かと思われたぞ。さて、俺は魂を狩りに行く。ちゃんと言ったからな」

ジョウを一瞥してからカステは地を蹴った。ふわりと浮いたカステの足にジョウは抱きつくようにして、彼がそれ以上飛ぶのを阻む。

「言ったからいいというわけではありませんわ! アタシはその姿で飛んだり大鎌を振り回したりしないでと言ってますの!」

 カステはしぶしぶ足裏を地に着けた。

「……くそっ、面倒くさいな。それならいっそ目を抉って肉を剥いでしまえばよかったな」

「何てことを! そんな――」

「なあそれより」

「それよりですって!?」

「これはあれだろう。やばいんだろう」

ほら、とカステが指差す先には、こちらを見て呆然と突っ立っている人間が一人。

「え……」

 土砂は多くの人を呑み込んだが、それを救助するために多くの人がこの場に集まっていた。その人々の目に二人の姿がとらえられてしまうことはなんら不思議ではない。カステがそこらへんを飛び回っていたことに関しても然りだ。街の人々もいつまでも混乱しているわけではない。

 二人に注意を止めたのは一人だけではなかった。一人の困惑が他者に伝染し、人間たちは声もなく二人を凝視している。その眼差しが友好的なものでないのは確かな事実だ。

「……どのあたりを見られたのでしょう」

「さあ」

「どこを見られていてもまずいことは確かですわね」

「ああ、そうかもな。おい、面倒だからもう上でいいだろう」

ジョウは空を見上げて溜息をついた。

「もうそれでいいですわ」

ジョウが言い終わる前にカステは浮き上がっていた。人々がどよめきとともに後ずさる。ジョウは慌ててカステの腕にしがみ付いた。彼女は飛ぶことはできない。カステはその事実に気付いて右腕でジョウを抱き込む。ジョウはその腕にしっかりとつかまった。三階建ての建物よりも高い位置まで上がり、その高度でカステは飛行する。

人々はあんぐりと口を開けていたが、やがて騒ぎ始める。ジョウはその様を見下ろしながら呟いた。

「この街からは退散するしかなさそうですわね」

 カステは大鎌を持った左手の人差し指で文字を書くような動作をした。すると街中の地面に張り付く影が生き物のようにうごめき、カステに向かって躍りかかってきた。カステの全身を影たちが覆ったかと思うと、それは死神の黒衣となった。

「アア、これで人間には見えないってわけですのね。はやくそうしていただければよかったのに」

「……おまえは見られているかもしれないけどな」

カステの姿が人に見えないということは、人間にはジョウだけが空をふわふわ浮いているように見えているのだろう。

「何よそれ! 自分だけですの!? どうせならアタシも見えないようにして下さいまし! その術はアタシにもかけられないので?」

「冥界で長いときを過ごしているといっても、おまえは人だろう。人のくせに俺の術に耐えることができるわけがないだろうが」

「耐えられない? それって死ぬってことですの?」

不死の少女は訊ねた。

「いや。影に呑み込まれるんだよ。死ねずにずっと影の中を漂うことになる」

「影の中って何です?」

ぴくり、とカステの眉が動いた。

「ああもう、うるさいな。気になるなら今すぐ影の中に送ってやるよ。そうすりゃ、おまえの姿だって人間に見えなくなるし好都合だろう」

下を見れば、ジョウを見上げる人々の顔があった。

「……」

カステは珍しく黙り込んだジョウに面白いものを見るような目を向けたが、彼女は気付いていなかった。

「まあ、何とかするから」

そう言って彼は高度を上げ、鐘楼の屋根の上に降りた。


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