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冥界に戻り冥界神に名簿を確認してもらったところ、空欄はすべて埋められていた。
「よくやった。二人とも」
冥界神はそれだけ言うと、二人に興味をなくしたのかさっさと冥界の闇の中に消えようとする。彼はもう二人がどのような結論を出しているかお見通しなのだろう。
冥界神の輝く髪が闇に完全に溶け込む前にジョウはその輝きに向かって叫んだ。
「冥界神! お礼申し上げますわ!」
「なんのことか。我は知らぬ」
そらとぼけた言葉を残して、最後の金色の筋が闇に消えた。もうあの地下世界の太陽を拝むことはない。
「終わったわね」
「終わったな」
残された二人はそれからしばらく口を開かなかった。
二人を出会わせた事件が終わってしまった。これからまた出会う以前に戻るのは可能だ。カステは魂を狩り、ジョウは冥界に留まり続けるなど。
冥界に留まりたいと言えば、カステはジョウの魂を狩らぬだろうし、冥界神もそれを許すだろう。しかしこれ以上長いときを生きるのは、人間にとって苦痛だ。レンニャも長い生の終わりに、やっと、という言葉を残した。ジョウも心は人間だ。神の時間軸に知らずに身をゆだねていたが、それに気付いたからにはもう果てのない時間を生きることはできない。
だからその選択肢はなかった。
「ネエ、どうして冥界神は不法な生者の探索にアタシを使ったと思う?」
それは冥界神に感謝する理由に繋がる。
「アタシに人間世界を見て回らせて、不法に生きる人間を見せ、不死人のアタシに考えさせたかったんだと思うの。人は生きて死ぬ存在、魂は洗われまた生を得て死ぬ。その循環からアタシが取り残されていることを教えたかったのよ。永く生きすぎたアタシの生は惰性みたいなものになっていたから。人は限りがあるから全力で生きることができるのに」
カステもジョウを見た。
「約束よ。アタシを殺してくれるんでしょう」
「…………」
死神は発声器官があることを忘れてしまったのか何も言わない。
「ネエ……」
約束を違えないでくれと、ジョウは目で訴える。カステは瞑目した。
「死を受け入れたおまえからは、死臭がする。おまえは死すべき存在だ」
ジョウはその言葉に嬉しそうに微笑む。魂を狩ることは死神の本能。それに反する想いがカステの中にあることはごまかしようがない。ジョウが死ねば彼女の魂は地獄の炎で洗われ人間世界に生まれる。しかしそれはこのジョウではないし、カステは語りかける口も声を聞く耳も失っているはずだ。目の前の黒い髪の気の強い少女には二度と会えない。
『死よ、それはそなたの名。そなたは人間への恵み、それをゆめゆめ忘れるな』
天上の湖で聞いた不死神の言葉が思い悩む頭に響いた。彼女はカステがこうして思い悩むことを見越してその言葉を残したのか。
(ああ……そうだった。死は人間への恩恵……)
ジョウの望むこと、カステがすべきこと。
カステは目を開けた。ジョウの血で染められた両眼は穏やかだった。カステは大鎌を出す。
「生まれ変わったら、今度は冥界に迷い込まないで、自分の人生をまっとうするわ」
親しい人の死を受け入れず、生に迷うことは二度とするまい。
「そうだな……おまえが今度また死ぬとき、俺は魂を狩りに現れよう」
「それは神の予言それとも約束?」
「さあ。ただ必ずそうなるから、予言でも約束でもどちらでもいいだろう」
「楽しみにしているわ」
ふふ、とジョウは嬉しそうに笑った。
「口付けしてやろうか?」
死神の口付けがもたらす眠りのうちで魂を狩られると、安らかに死ぬことができる。
「お願いしようかしら」
カステはジョウを抱き寄せる。
「おまえといるのはなかなか楽しかったぞ」
「アタシもよ」
これ以上互いのことをどう思っているかなど、今更言葉を重ねてもしょうがないことだ。二人はただ微笑みあった。
カステがジョウの唇に己のそれを重ねた。ジョウはその感触を得ると同時に心地よい眠りについた。カステは己の腕の中で眠りについてジョウを静かに横たえる。
鎌を振り上げ、おろす。物体化されていない鎌はジョウの魂だけを取り出した。
ジョウの体から魂が離れると同時に、カステの体は腐食し、ずるりと肉が落ち始めた。指先、足先から落ち、腕の肉がとれていく。肩から肉がごそり落ち、耳がぽとりと削げる。
眼球が落ちる前、彼は最初で最後の涙を流したが、本人はそのことに気づいていなかった。
アタシには大事な人がいた。
その人はもういない。
でもアタシは彼を探し続けている。
長い間
長い間
いつか見つかると信じて
だから、これはほんの戯れだった。
その人が見つかるまでの暇つぶし。
寂しいアタシの虚しい遊びのはずだった。
アタシには大事な人がいた。
その人はもういない。
でもアタシは彼を見つけた。




