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二人はテローニ大森林に再び降り立った。森林は木々で日光が遮られてただでさえ暗いのに、空が厚い雲に覆われているために余計に陰鬱だ。
目指す場所はただひとつ、不死神信仰教団の城。護教騎士団に攻められても不法な生者たちがこの森から出ていっていないのは死臭でわかった。それに彼らを取り巻く状況がそれを許していなかった。先日現れた護教騎士団は先発隊でしかなかったのだ。いきなり本隊を帰らずの森に入れるのはためらわれたのだろう。だが異端者たちの存在を確認した今や、彼らは森に恐怖しているわけにはいかなかった。
城門は壊されていた。騎士団がやったのだろう。門の向こうには騎士団の本隊に包囲された城。城は二人が最後に見たときよりも損傷が激しくなっていた。壁に這った蔦は姿を消し、代わりに煤けた大樹が寄りかかっていた。厨房のあたりは崩れ、拷問部屋のあった塔はすでに騎士団に占拠されていた。
カステは死神の黒衣に大鎌をたずさえ、ジョウは人の世の少女がする一般的な装いではなく、冥界にいたときのように赤い衣装を身にまとっていた。
二人は正面から堂々と乗り込むつもりだった。城に入れば教主に気配でわかってしまう。ならばもはや隠れる必要などどこにもない。
「行きましょうか」
「そうするか」
カステは黒衣の頭巾をかぶった。ジョウはカステの黒衣の中に入る。カステは布越しにジョウを抱き上げ、地を蹴り浮かび上がった。
木々の枝から枝に飛び移る二人に気付くものはいない。騎士団には見える体質の者はいないのかもしれない。カステは騎士団を飛び越え、二階の窓から城の中に侵入した。
中に入るとジョウは黒衣から出た。そこはロッソに案内された彼と彼の家族の部屋だった。部屋には剣を受けて床に倒れて動かない女がいた。年は四十過ぎくらいだろうか。もしかしたらロッソの母親かもしれない。
不死の水の恩恵を受けていたあの少年はどうしたのだろうか。ちらとロッソのことが頭によぎったがそれだけだった。遅かれ早かれ彼も死を迎える。それが護教騎士団によってか寿命によってか、はたまたそれ以外の理由かはわからないが、いつか彼は死神に魂を狩られる。ジョウとカステが今度こそ不死の水を根絶すると決めているからだ。
部屋を出ると廊下にも死体が転がっていた。皆一様に剣をその身に受けていた。カステを先頭に二人は強烈な死臭が導くままに死体の間をぬって進む。
「護教騎士団がここまで攻め込んだのに、よくもまあまだ人が残っているものね」
カステに指摘されてからジョウは敬語を使うのをやめた。
「確かにな。しかしもう悪あがきってやつじゃないか。これだけ人が死んでしまって、もう抵抗する力なんてないだろうよ」
「まったくね」
「それに……こんな状況で残っているのは、俺から逃れられると信じている大馬鹿者だけだ。わかりやすくていいな」
死臭に導かれて辿りついたのは祈りの広間だった。祈りの広間の扉には鍵がかかっていた。騎士団が攻めてきたときのことを考えてだろう。
カステは鎌を物体化させると扉を壊しにかかった。鍵が壊れたところで勢いよく扉を蹴飛ばした。扉が開いた瞬間にカステは高く飛んだ。ジョウは中に入らず入口横の壁に張り付いた。ジョウの横を矢が何本も通りすぎる。広間から矢が放たれたのだ。
祈りの広間から数人の悲鳴が聞こえた。カステが魂を狩り始めたのだ。
カステに遅れて広間の中に入ろうとしてジョウはびくりと動かしかけた足を止める。ジョウの鼻先を風がかすめる。最初は広間から飛んで言った矢が戻ってきたのかと思ったが、正面入口から矢が飛んできたのだ。広間には届かなかったが、次々とそれは飛んでくる。しかもそれはただの矢ではなかった。火矢だった。
(騎士団のやつら!?)
異端者の処刑は火刑が多い。騎士団は城をまるごと火刑にかけようとしているのだ。やじり部分には油をしみこませた布が巻かれており、そこが燃えているのだ。石造りの城とはいえ、石造りとはいえ木も建材として使用されているし、壁掛けや絨毯などあっという間に炎になめられてしまう。
(まあいいわ。燃え広がる前にカタをつける)
頃合いを見計らって広間に入った。奇襲は成功したらしく床には五人の司祭が倒れている。立っているのは十名程度の司祭姿の男女と護衛、教主そしてカステのみ。教主は水の入った器を持っている。
カステは頭巾を落とした。広間の真ん中、ちょうどレンニャが倒れていたあたりだが彼女の遺体は片付けられていた、に死神の姿が現れる。
目を見開き驚愕する人々は、人でないものを見る目を持っていないからだ。当然、教主だけは先からカステの存在に気付いていたので、驚きもなく手下にカステを攻撃するように命じる。
「懲りないことじゃ」
護教騎士団に囲まれ、火矢まで射込まれた状況にあっても、教主の目は爛々と輝いている。死神を前にしても彼は自分が死ぬとは思っていない。
「その言葉、そのまま返してやろう」
ジョウとカステに矢や剣を向けられた。ジョウが一番近くにいた司祭の剣を見る。刃が濡れているらしく、刃をつたった水が鍔から滴を垂らしている。
(なるほど)
死神の侵入に気付いた時点で、ばっちり対策を取っていたわけだ。カステは少しの傷も負うことは許されない状況にある。
「アンタたち! 大人しく魂を差し出しなさい。そうすればなるべく苦しまずに死なせてあげる。そうよね、カステ?」
カステはその赤い双眸で人間たちを見据える。
「ああそうだ。どうせ死ぬんなら苦痛は少ないほうがいいだろう」
カステは魂を狩られて倒れている司祭たちを見下ろした。
「こうなりたくなけりゃな」
彼らの顔は断末魔の苦しみにゆがんでいる。不死神信仰者たちは目の前で大鎌をふるわれて怖気づいていた。護教騎士団に城を落とされるのも時間の問題とあって、彼らは死が回避できなのではと怯えているのがわかる。
入口からちらと炎が見える。火矢の一本が勢いを失わずに広間まで飛んできた。カステはそれを大鎌で叩き落とした。大鎌が動くと魂を中途半端に引き抜かれた状態の司祭たちが、叫び声を上げて頭や胸を抑えながらのた打ち回った。
「うるさいな」
カステが大鎌を頭上で一回転させると、完全に魂と肉体が離れた。
「おまえたち、こやつらは悪魔だ。悪魔の言葉に耳を傾けるなっ!」
教主が叫んだ。割れてしまわないかと心配になるほど力強くガラスの器を持っている。
「別に傾けてもらわなくても結構よ」
言い捨ててジョウは静かに床に横たわる司祭たちを見下ろした。親指の腹を食い破ると、死体の額にぞんざいに血をなすりつけた。
「ジャーノ、ステロ、アッカ、ショーン、レストロ!」
ジョウが頭にぱっと思いついた名前を並べ立てる。言い終わると、死体がむくりと起き上がった。ジョウは死体を動かすことができる。動かすには名を与えなければならない。カステにかけた術はその応用である。
死体は無表情で司祭や護衛たちに襲い掛かる。死体たちは死亡したときの形相のままであるから、恐怖も倍増だ。
「く、来るなぁ!」
司祭たちは動く死体を前に恐慌状態に陥っている。護衛の後ろに隠れようとするが、護衛も恐怖に襲われている。互いに互いを盾にしようとしながら逃げ回る。勇敢に戦う者もいたが、死体を相手に奮闘している隙を死神につけいられるだけだった。死神の大鎌が自分の首にかけられたと気付いたときにはもう遅い。
そのようにしてカステはさらに三人の魂を狩る。新しく死んだ者に名を付けジョウは動かす。司祭や護衛は七人、動く死体は八人。
腹をくくって死体相手に戦う人々をカステは背後から狩っていく。
「カステ!」
死神を止めねば問題は解決しないと、カステや動く死体から逃げつつ矢を放った者がいた。カステは背後を狙った矢をちらと一瞥すると、さっと大鎌を背に回して盾にした。
「死神の大鎌がなぜ物体化できるか教えてやる」
彼は弓使いの護衛のいるあたりをめがけて大鎌を投げた。大鎌は回転しながら飛び、弓使いの頭上の壁に刺さった。黒い刃が刺さった石壁にはひびが走り、次の瞬間には砕けて弓使いの上に降り注いだ。弓使いはがらがらと崩れた石壁の下敷きになった。カステは地を蹴り、崩れた石壁の上に降り立つ。
「ちょいと死への船出に手を貸してやるためなんだよ」
「ネ、別に耳を傾けていただかなくてもよかったでしょう?」
カステが狩り終えたのを見て、コロコロとジョウは笑った。
「だ、だがわしは死なん!」
教主は硝子の器を片手に持ち、護衛の手から離れて床に転がっている剣を拾う。二人はそれを止めることもなく冷ややかに見つめていた。ジョウは死体を動かし教主をぐるりと囲んだ。ゆっくりと死体たちは教主に迫る。
「近づくな……近づくな近づくな!」
教主の言葉が届いたのか、死体はぴたりと止まった。
「どうして怖がるの? アンタは不死なんでしょう? なら怖がる必要なんてないじゃない。この死体たちにも、死神にも……まあ、その水がなくなったら不死が保てないものね、そりゃあ不安よね」
「水はおまえらの生への執着で増えているんだろう。不死への渇望、死への恐怖、そんな感情で増える水はもはや聖なる水とは呼べまいよ。俺は不死神の水ではなく、おまえたちの妄執が加わった得体の知れぬ水だからこそ被害を受ける。神は不浄を嫌う。だから見えていなかった。死神はおまえらに近づきたくなかったんだよ。俺たちは繊細なんだ」
カステは清浄な天上の湖に思いを馳せた。不死神の本質は生死をも包括する世界の存続。人間に扱える代物ではない。
「不死の水は生への妄執。それがもともと真に不死の水だったとしても、生への妄執により、その神聖さは失われた」
死体が動き教主の持つ器を奪おうとする。教主は剣を捨て両腕で必死に器を守る。
「やめろ、やめろ、やめろやめろ」
だが死体は動きをやめない。腕をこじ開けようと、何本もの手が教主に伸びる。死体といえど、その力は強い。
「ああああああッ!」
死体にもみくちゃにされ、手から器が離れた。
カチャン、と澄んだ音がして硝子は割れた。水は石畳に広がり吸い込まれていく。膝をつき、そのさまを絶望的な面持ちで見ている教主。その様からもう予備はないとわかる。
「アンタはアタシがどうやって不死を保つのかと聞いたわね。教えてあげる」
教主は石畳を見つめたままで、ジョウの話を聞いているのかどうかわからなかったが、かまわずに彼女は話し始めた。
「神の世界に足を踏み入れた人間は不死になる。それはね、人間の世界を捨てるという意味なのよ。アタシはかつて冥界に入り、冥界にとどまることを望んだ。その時はいずれ人間の世に戻るつもりがあったけれど、冥界にとどまることを望んだ時点でアタシは不死になったのよ。アンタは人の世に戻ることを望んだのでしょう? だからここにいる」
教主は固まったままだ。
「……不死には代償が必要なのよ。人の世を捨てるっていうね。そうして得た不死は本当に生きているといえるかしらね」
ジョウはカステに向かって頷いた。カステは頷き返し教主に近づく。ジョウは死体の操作を打ち切る。死体はバタバタと床に倒れる。
「そんな……馬鹿な……わしは神に選ばれて……」
「選ばれる? 何を言っているの? 神がアンタを選んでどうしようっていうのよ。その勘違いがアンタをそんなふうにしたのね。不死を許されたと、神に等しくなれると。愚かね」
「天上にわしは招かれた……」
教主がふいに柔らかな表情になった。きっと迷い込んだ天上世界を思い出しているのだろう。そこには冥界神と同じ金色の神がいて、不死の湖が広がるのだろう。地下世界しか知らぬジョウは想像することしかできないが、そこは地下と違って青い空に覆われ、あらゆる獣が歌い駆けているのだろう。
「アンタの不幸は迷い込んだのが天上だったことね。そこはきっと過ぎた夢を見てしまうような世界だったんでしょうね。同情するわ」
不死を願う教主と使者の蘇りを望んだジョウ。不相応な願いを持ったのはジョウも同じだ。この男は街を殺した疫病の中で、ジョウと同じように死を憎んだのだろう。過去との対話を終えた今、ジョウはほんの少しだけこの男を憐れんだ。
ジョウの言葉は彼に聞こえていているのかはわからない。
カステは教主の首に鎌を引っ掛けた。天上世界の思い出に逃避していた教主は、目の前に現れた大鎌によやく我を取り戻した。彼は震えながら刃を見、柄を見、それを握る手を見、その先にいる赤目の死神を見た。
「かつて俺はおまえに言ったな。おまえには断末魔の苦しみをともなう死を与えると」
現実に引き戻された教主の目が大きく恐怖に見開かれた。そこにはかつて見せた傲慢な光は一片もなかった。
「い、嫌だ……!!」
「苦しんで死ね」
残酷に笑うと、カステは思い切り黒い刃を引いた。
護教騎士団は城の周りに油を染みこませた藁を積み上げ、火を放つ作業に勤しんでいた。そんな彼らの耳にこの世のものとは思えぬほどの悲鳴が飛び込んできた。騎士団の者たちは悪魔の悲鳴だとして、それを聞いてしまった自分たちを守ってくれるよう天上の神に祈った。
炎は城を呑み込み、異端者たちの遺体を焼き尽くした。




