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死神にさよなら  作者: 入江游
9 今をさまよう過去
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1

 カステはジョウの魂の行方を冥界神に相談しようと、暗い地下世界へと戻った。乾いた大地と無骨な岩ばかりの世界で輝く姿を探したが、いつもならその輝きゆえすぐに目につく姿が一向に見つけられない。

そこでカステは地獄の入口までやってきた。白茶けた不毛の地に鎮座する大きな岩、それにぽっかりとあいた穴が地獄への入り口だ。岩はどことなく獅子が大口を開けている姿のように見える。なので、地獄の口は獅子の口とも呼ばれている。

カステは己が身にまとう黒衣と同じくらい濃い闇色をした獅子の口腔へ身を投じた。

塗りつぶしたような暗闇が続いたのはほんの少しの間で、すぐに闇は途切れた。色の乏しい地下世界だが、冥界神とこの地獄だけは違った。

地獄では大地から炎が吹き出ていた。上を見上げても大地から登る炎の色から視界が解放されることはない。地獄は恐ろしいほど赤い空間だ。

この地獄の炎は魂を焼くために存在する。人の魂はそれまで生きてきた記憶や経験といった魂に刻まれたいっさいの情報をここで焼き尽くす。そうしてまっさらになった魂は再び地上で生まれる。

業火の中、きらりと金の筋が光った。

(父上!)

死神の声なき声、その思念は彼の父に伝わった。丈長の白い衣の背に金色の髪を流したその姿は、強烈な炎の赤の中にくっきりと浮かびあがっていた。冥界の薄闇も地獄の業火も彼の存在を霞ませることはできない。

「どうしたのだ」

死神は総じて骸骨に黒衣という姿であるが、冥界神には目の前の死神がカステであるとわかっていた。


(これはどういうことでしょうか、父上)

地獄から出て、獅子の口の前で二人の神は魂を無くしたジョウを囲んでいた。冥界神は地面に横たえられたジョウを覗き込む。その際に地下世界で最も輝けるという金の長髪がさらりと前に流れた。

ジョウの身体から矢は抜かれ、傷もふさがっていた。間違いなく彼女の体は滅んでいない。

「身体から魂が抜け出ておるな」

冥界神は指を鳴らした。するとどこからか巻物が数巻飛んできて、おのずと広がり始めた。巻物は冥界神を囲むようにしてぐるぐると回る。彼は最近死んだ者が名を連ねているあたりに目を通す。

 再び冥界神が指を鳴らすと、巻物はもとのように巻かれ姿を消した。

「不死人とはいえ、死ねば名簿に載るはずだが……ジョウは載っておらん。魂が迷子になっている可能性がある。時折、人は死神の力なしで肉体と魂を引き離す。それは故意であったり偶然であったりする。ジョウの場合がどちらか知らんがな。仕方がない、我が探すとしよう」

 冥界神が中指で額を縦になぞると、そこに第三の目が出現した。他の二つと異なり、それは夜明けの空に似た青い目だった。眼球はせわしなく動きやがて閉じた。

「人間世界、冥界、どこにもおらぬ。ということは……」

冥界神は小さく咳払いした。青い目が閉じて額から姿を消す。

「おそらく天上界」

それは冥界神の兄である天上神が住まう世界。

「探しに行くか」

そう言いながら冥界神は心なしか肩を落とし、荒野に背を向ける。カステはジョウを抱き上げその後を追った。

冥界神は自室の一つである黒水晶の部屋にやって来ると、何もない壁にむかう。黒水晶の壁は冥界神の光を受けて透けて見えた。

「何を見ても驚くのではないぞ」

冥界神はそう言い置くと、壁に手を当てた。すると壁は消えアーチを描いた入り口が出現した。入り口を入るとすぐに階段があった。薄暗い中にあっても恐ろしく白い階段だった。それは暗闇の向こうまで延々と続いているようだった。

「いくぞ」

冥界神に続いてカステは一歩、段に足をかけた。


 カステに今まぶたがあったなら、彼はそれを瞬きする間と表現しただろう。まさに一瞬の出来事だった。一段上がっただけにもかかわらず、もう最上段にいた。そこには入り口と同じように上部がアーチになった出口があった。

 晴れわたった空と緑の大地が広がるそこは冥界のような薄暗さなど欠片も見当たらない。花は咲き乱れ、鳥はさえずり、獣は自由に駆け回る。人間世界で太陽の照りつける夏に香る花も、寒さ厳しい冬に咲く花も、ここでは並んで花びらを開いている。猫のそばにねずみが寄り添い、狼の前でうさぎは憂いなく飛び跳ねる。枯れない花、争わぬ獣、ここには死は存在しない。

「ルーくん!」

冥界神が外に出ると、彼にがばっと抱きついてきた男神がいた。彼は冥界神の首筋に顔を埋める。

「ルーくん! ルーくん、久しぶりー、寂しかったよう」

短いが冥界神と同じ色をした髪で、ぱっと上げた喜色に彩られた顔には緑色の目が輝いている。

(父上と酷似した容姿……まさか!)

冥界神はやれやれといったふうに彼をやんわりと引き離す。

「兄者」

(やっぱり!!)

 冥界神に抱きつくこの男神こそ、唯一人間に神と呼ばれる天上神だ。

「べつに独りきりというわけでもなかろう。ミリアもいるだろう」

冥界神が軽く注意すると、天上神は首を激しく横に振った。

「アーちゃんはずっと寝てるもん。起こすと怒るし。それにルーくんは特別だ。やっぱりルーくんがいないとヤだ」

髪の長さ以外冥界神と瓜二つなのだが、言動がやたらと子供っぽい。冥界神は頭を振りすぎて乱れた金色の髪を直してやる。

「兄者は相変わらずだな」

 弟に会えてご機嫌だった天上神がようやくカステの存在に気付いた。

「ルーくん、誰?」

カステを見るなり、天上神の顔は徐々に曇ってゆく。

「ルーくんが誰か連れてくることなんてなかったじゃん。わかった、僕より彼が大事になっちゃったんだ。だからなかなか会いに来てくれないんだ」

天上神がくしゃくしゃに顔を歪める。

「違う! 我の一番は兄者だっ!」

何事にも動じず、いつも余裕の笑みさえ浮かべている冥界神が珍しく慌てている。

「ホント?」

天上神は今にも泣き出す寸前の子供のような顔だ。。

「本当だ」

その一言で天上神は笑顔になる。そして冥界神は明らかにほっとした表情を浮かべた

(おいおい)

何事にも冷静な己の父はその兄には敵わないらしい。

「良かった!」

兄の機嫌が直ったところで、冥界神は用件をきりだした。

「兄者、我の一番は兄者だが、こやつの一番は今こっちに迷い込んでいるようなのだ。少し探させて欲しいのだが……」

「いいよ」

天上神は機嫌よく即答した。

 天上神がいるからにはここは彼の住まう世界、つまり天上界である。どこまでも緑の芝生が続いていると思えば、対岸が見えない海とも河ともつかぬものが現れる。天上神が軽やかな足取りで水面を渡る。冥界神とカステはそれに続く。水面に足を取られることはなかった。ただ水面に一歩踏み出すごとに波紋が広がった。

 虹色の蝶を追いかけて二人から離れていってしまった天上神に目をやりながら、冥界神が口を開いた。

「驚いたか?」

彼が聞いているのは、天上界にいたる階段でもなく、天上界の景色でもないことがカステにはわかった。カステは頷く。

「まるで子供だろう」

冥界神は蝶と一緒に空に舞い上がって遊んでいる兄に温かな視線を送っている。

「まるで、というよりまるきり子供なのだ。恐ろしく無垢だ。疑うことを知らない。すべてのものに親愛の情を注いでいる。見返りなど求めない、無償の愛を注ぐ」

天上神は空中で蝶を捕まえた。

「だがな、兄者はときおり子供が虫を踏み潰す気安さで、恐ろしいことを平気ですることができる。また、すべてを信じきっているから、裏切られるとその怒りはすさまじい。我は一度その怒りを買った。兄者は無垢で残酷だ。だからこそ人間はその破壊性に恐れを抱き、慈愛にすがろうとするのかもしれん。もっとも、人間が兄者のことをどれほど知っているかは知らんがな」

天上神は無邪気な笑顔で蝶の羽をむしった。そして蝶の羽が元通りにならないと知るや、悲しみの色を表した。カステは肉体があったなら、背筋に冷たいものが走っただろうと思った。冥界神の言う通り、天上神はきっとどこまでも残忍になることができるだろう、とカステは確信した。

蝶の胴体と羽は力なく水面にぷかりと浮いた。だがすぐに一つとなり再び空に羽ばたいて行った。

(そうか、死がないのだから当然か)

 天上神はカステの前まで飛んでくると、カステの肉のない手をとった。

「君の大事な人はどんな人だい? 思い出してごらん」

天上神は慈愛に満ちた眼差しをカステに向ける。カステは素直にジョウのことを考えた。

 きっちり切り揃えた烏の濡れ羽のような髪。大きな黒い目。銀鈴のような笑い声。少女の見た目に反し、落ち着きがあって、カステに対してはどこか優越を感じていたようで、神であるカステに対し非常に偉そうだった。

「その人のことを思いながら、探してごらん。きっと見つかるよ」

僕の大事な人はここ、と言いながら浮いたまま冥界神の首に抱きつく。

 カステは心の中で何度もジョウの名を呼びながら、進んでいく。

(ジョウ、ジョウ、どこにいる?)

 いつしか彼は河を渡り、森に入っていた。ジョウの血で染められて作られた唇はなくなってしまったが、彼は口を開いた。

(ジョウ)

上の歯と下の歯がぶつかりカチリと音がしただけだった。

(出て来いよ、ジョウ!)

音にはならない叫びに反応するように、紅い薔薇が揺れた。

(薔薇?)

森に入ってからは、花など一輪も見なかった。カステは薔薇に手をのばした。花びらが指先に触れた瞬間、その薔薇を中心に一気に景色が変化した。

 あたり一面紅い薔薇だった。薔薇の背丈はカステの膝ほどあり、歩くたびに黒衣の裾が棘に引っかかった。空は厚い雲の覆われていて、なんとも陰気だ。

 やがてカステは、薔薇の茂みで眠るジョウを発見した。一糸まとわぬ姿のジョウの肌に薔薇の棘が刺ささり、細い血流ができている。棘に刺されながら眠る彼女は苦悶の表情を浮かべていた。

(ジョウ……)

薔薇の茂みから彼女を解放しようとするが、薔薇は鋼鉄でできているかのようにびくともしない。それどころか、意思があるかのように動き、押しのけようとすればするほどジョウの周りを厳重に囲んだ。

 それでも黒衣の裾を棘に引っかけながら、薔薇をどかそうとするとまた景色が転じた。


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