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死神にさよなら  作者: 入江游
8 別の名前
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2

 ジョウは走りながら考えた。

 アタシには大事な人がいた。

 もうずっと前にその人は死んだ。

いいえ、まだよ。アタシがあの人の魂を取り戻すの。

アア、そんなことも考えたこともあった。

時間ならたっぷりある。だってアタシは不死になってしまったから。

きっと彼の魂は真っ白になって、再び新しい人間として生を受けた。アタシを置いて。

ジョウは正面入口を出たところで足を止めた。心臓が早鐘を打ちながらじくじくと痛んだ。

カステに対して理不尽な怒りを感じた。似た姿でほかの娘に口付けなんてしないでと。

(あの人はアタシだけを見ててくれたのに……)

それが無茶な憤りだとジョウはもうわかっている。

(アタシってば……何やってるんだろう…)

カステはあの人の姿をした別人。そうしたのは自分。

 勝手な行動をしてしまったことに気付き、ジョウは中に戻ろうとした。そのとき空気を切る音がして、肩に痛みを感じた。あまりの痛さに声もでなかった。痛みを感じる左肩に目をやると、肩を矢が貫通していた。

 矢が飛んできたほうを見ると、弓矢をつがえた司祭が四五人並んでいた。彼らのそばには護教騎士が何名か死体となって転がっていた。異端者たちの抵抗は無駄に終わらなかったということだ。

その後ろには剣を抜いた司祭。さらに後ろには水の入った硝子の器を抱く教主。カステが壊したものより小さいが、大事そうに抱えているところを見ると中身は間違いなく不死の水だろう。

(予備があったってこと……用意がいいんだから!)

 ジョウは後退しつつ、矢に手をかけた。引き抜こうと矢をぎゅっと握り締めたとき、腹に胸に腕に衝撃が走る。

「あ……」

ジョウは体に生えた矢を抜かなければと考えたが、体が痛みで動かなかった。

「ジョウ!」

彼女を追ってきたカステが素早く状況を察知し、彼女を背後にかばった。

「カステ……」

教主の合図で司祭たちが二人ににじり寄る。

「意識は持ちそうか?」

「なんとか」

「じゃあ少し待っていろ」

 大分状態がよくなったとはいえ、カステのできることは限られていた。飛ぶことができないし、大鎌を出すのがやっとで姿を消すための黒衣を出すことができない。つまりカステは身体能力的にまるきり人間なのだ。大鎌は物体化されていない。ジョウの目には見えているが、この状態の大鎌は人間には見えない。そのため、司祭たちにはカステが素手で立ち向かおうとしているように思えるだろう。

「さあ来いよ。全員地獄に連れていってやる」

カステの挑発の後、城の壁の一部が焼け崩れる音がした。見れば城の左翼から炎を吹き出ている。騎士団が火を放ったのかもしれない。石造りとはいえ、木が使われている部分もあった。そのあたりが崩れたに違いない。

 カステを囲んだ男たちが動いた。

「苦しんで死ぬがいい!!!」

カステが大鎌を一振りすると彼に迫っていた二人の男が叫びながら倒れた。カステの大鎌には淡く光る魂が二つ刺さっていた。死神の大鎌の広い刃はそうやっていちどきに魂を狩るのに適している。魂を抜かれたにもかかわらず、二人の男は苦痛を訴えながら地面をのた打ち回っている。

(あれは……)

よく見ると、魂は完璧には体から抜けきっておらず、カステが魂を刺したまま大鎌をふるうたびに魂が少しずつ抜かれていく。男たちは魂が引き剥がされる痛みを感じているのだ。男たちの苦しみに反して、抜かれかけの魂は大鎌から男たちまで尾を引き、カステが大鎌をふるうたびに美しく輝いた。

 死神の力を振るってはいたが、彼は苦戦を強いられていた。なんとか教主に接近しようとするのだが、それを守る男たちに阻まれる。

重い肉体と本調子でない体調のせいで動きに精彩を欠いている。一度で数人の魂を奪っても、次から次へとやってくる。前後左右囲まれると対応できない。攻撃を完璧にかわすことはできず、かすり傷をいくつも負う。

「後ろ!」

ジョウの声に後ろを振り向くが防御が遅れた。カステは突進してくる刃物を避けることも防ぐこともできなかった。

 カステの左腕に刃が食い込んだ。全体重を一撃にかけた攻撃は、そのままカステの左腕を切断した。

「!」

肉を持つ体には痛覚があり、死神はその慣れない責め苦に顔をしかめた。それでも右手だけで鎌を持ち、標的に近づこうと必死だ。カステの似合っていない白衣がじわりと血で染まる。

「アア……」

ジョウは叫ぶこともなく、ただ諦めが混じったような溜め息を漏らした。彼女は以前、このような光景を見たことがあった。

 あのとき、彼はどうなった?

(剣が、沢山の剣が……)

古い記憶が呼び覚まされる。彼女は全身の痛みを忘れていた。

「いやあァァァァァ」

ジョウの悲鳴を聞きつけ、カステが振り返った。ジョウのよく知った顔が心配そうにこちらを見ている。

(アタシのことはいいから逃げて!)

 それは過去に彼女が行った言葉。

 よそ見をするカステに敵の攻撃が迫る。

「……ダルンカステッ!」

名を呼んでジョウは注意したつもりだった。だが、カステの注意は戦闘にではなくジョウから動かなかった。ジョウは先ほど、自分が何と叫んだか思い出した。

(違う、ここにいるのは彼じゃない)

混乱する頭で考えるうちに、目の前でカステが脇腹をえぐられた。

「きゃあああァァァ」

人の死に常に冷静でいつづけたジョウは、このときばかりは平静ではいられなかった。そもそも死に動じずにいられたのは、死にゆく人々が彼女とは関係のない人物たちだったからだ。彼女が知る人たちはもうこの世からはとっくの昔に去ってしまっている。

(ダルンカステ、ダルンカステが死んでしまう……)

彼女の頭の中にもはや死神カステは存在しなくなった。ひたすら一人の名前を心の中で連呼する。

「ジョウ!?」

ジョウの上体がぐらりと傾ぎ、そのまま地に倒れた。


 ジョウが意識を失うと、カステの体に変化が起こった。

「おい……なんだよ」

急速に皮膚が肉が腐りだした。ジョウの術が解けていく。骨となった身体は以前のように軽くなった。嗅覚、聴覚が弱まった。かわりにそこここから死の気配がした。しかし、鼻を失い強烈な死臭が感じられなくなる。術が解けたことで、彼は教主の気配を完璧に感じることができなくなった。敵の人数に対して魂の気配が少ない。つまり、教主以外にも不法な生者がいるのだ。

(ちくしょう! どこにいる!)

声を失ったため、思考で思い切り罵倒する。

必死で探し回る自分をどこかで相手は嘲っているのだろう。

カステはとにかくジョウのもとへ行こうとした。司祭たちがそうやすやすと通してはくれないだろうと思ったが、そうでもなかった。術が完璧に解けると同時に影が彼の呼びかけに応じた。黒衣があれば死神の姿は人間には見えない。こうなれば、おそらく見えているのは教主のみ。

(ジョウ?)

ジョウは意識を失って倒れていた。弱い視力でもぐったりとして顔も青ざめているのがわかった。

(息を……してない)

カステはジョウの身体に魂が宿ってないことに気付いた。だが魂というものは死神が狩らない限り、その身体から引き離されることはまずない。カステはジョウの魂を狩っていないし、さきほどのどさくさに紛れて他の死神が彼女の魂を奪った可能性も低い。

(他の死神の気配はしなかったはずだ……ならなぜ?)

考えるカステの横を不穏な気配が通り過ぎた。それはカステの横を行き過ぎ、木の幹に刺さった。矢だった。それからは嫌な気配がした。不死の水のそれと同じだ。やじりに不死の水が塗ってあるのかもしれない。それが来た方角に首を回すがぼんやりと数人の人間の姿が見えるだけで、気配の発生もとが断定できない。

 よく見えない敵と戦うのは得策ではない。こちらは教主の気配が感じ取れないのだから分が悪い。それにジョウの異変が気にかかる。

カステはジョウを抱き上げると、白く細い指で己の前にある空間を斬る動作をした。

(頼む。開け……!)

カステの願いが通じたのか、ばっくりと空間が裂けた。術が解けると同時に不死の水の効力も薄れたのかもしれないが、今のカステにはその理由などどうでもよかった。

 裂け目が塞がらぬうちに彼はその向こうの空間に身を投じた。


(アタシはどこにいるの?)

 ジョウは不思議な浮遊感に包まれていた。タンポポの綿毛が風に乗るのはこんな気分なのだろうか。

(アタシはさっき誰かが傷つくのを見た)

それは誰だったろう。いや考えるまでもない。

(ダルンカステが死んだ……そしてアタシも……)

でも何かが違う気がする。



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