2
カステが目覚めると、そこは白い部屋だった。彼は何かにもたれて座っており、そこから背を離そうとしたができない。彼は後ろ手に縛られた上に、体を背後にある何かに縛り付けられているのだ。身をよじって縄から自由になろうとするが不可能だった。
舌打ちして顔を上げたカステを、さきほどの教主と呼ばれていた老人が見下ろしていた。
「死神を見下ろすというのはなかなかよいものじゃ」
カステは唾を飛ばした。骨の身ではできないことなので、肉があることもたまには便利だとカステは思った。
「……糞が。臭いぞ貴様。死体の臭いがする」
教主からは強烈な死臭がした。にもかかわらず、彼は生きている。これだけの死臭がする者は、カステならとっくに魂を狩って、冥界に送っている。しかし周囲には教主を狙う死神はない。つまり死神たちは彼の死すべき人間の気配に気付いていないのだ。となれば、彼が不法な生者であることは間違いない。
「どう言ってもかまわんがの、負け犬の遠吠えにしか聞こえぬのう」
「どうして俺が死神だとわかった?」
教主はカステを一見して、死と呼んだ。カステの中で死と人間は対等な関係ではない。死は人間への恵みであり脅威である。それを自在に操る神は常に人間に対し優越だ。ジョウの態度はやや高慢だが、人は神にかなわないことを知っている。
だがこの老人は違う。彼が死神を呼ぶ声や表情には恐れが一片も含まれていない。
「わしは人より目がよくての。そして特に死の存在には敏感じゃ。おぬしがこの城の内部に入った瞬間に、わしは死が来たことを知った」
「傲慢な人間め。俺はおまえを見つけた、おまえは死なねばらん」
狩られる者であるにもかかわらず、自分を、死を脅かす存在。死神への非礼は、彼の父である冥界神への冒涜である。つまりそれはこの世の理への挑戦であり、思い上がりも甚だしいことだ。カステは今すぐにこの男の肉体と魂を切り離してやりたくなった。しかし身のうちに怒りが這いまわるだけで、彼は行動に移すことができない。
ただ縛られているだけなら、いくらでも抜け出すことはできる。大鎌を出してもいいし、影を使って縄を切ってもいい。だがカステの手には何も現れない。
(何でだ!?)
カステの焦りに気付いたのか、教主はにやりと笑う。
「今まで、わしは死の目を欺いてきた。だが今やわしは死を捕らえることに成功した。ああそうじゃ……」
教主は一度言葉を切った。たっぷりと間をもたせた後、彼は行った。
「死神はどうすれば殺せるのかのう」
カステは怒りで言葉を失った。老人の恐ろしい思い上がりに、咄嗟にどんな言葉が出せたものか。殺すということは死に至らしめるということである。死とは死神が与えるものである。死神が扱う死を人間が扱うことはできない。
「…………おまえはとんだ愚か者だ。どんな死神が俺を殺そうっていうんだ」
「やってみないとわからぬと思わぬか?」
「人間に死は扱えない。神は殺せない」
人間が人間を殺しても、魂を死神が狩らねば死んだことにはならない。カステの肉体の機能を停止させることができても、狩られるべき魂をもたない神を殺すことができまい。死の存在を消すなど、死を作った冥界神ぐらいでなければ不可能だ。
「幸い、時間はたくさんある」
「愚かな」
教主はカステの頭上に手を伸ばした。カステが縛り付けられているものの上に何かあるらしい。見上げると硝子の容器のふちのようなものが見えた。透明なガラスには水がなみなみと注がれている。それを教主がわずかに傾けると。ふちから何か細い筋となって水がこぼれ落ちた。
(!)
地下で教主がカステに水滴を飛ばしたことが思い出された。今もまた水がカステに迫る。額に冷たいものが触れた途端、彼は再び意識を失った。
真っ暗とはいいつつ、扉と床や壁の間には隙間があり、そこから少しだけ光が入ってきていた。暗闇に目が慣れてきたが、見えるのは壁だけだ。ジョウは膝を抱きかかえて座り目を閉じていた。
ここにカステがいたならば、空間を斬ってもらい、冥界への入り口を作ってくれるはずだ。だが彼はここにはいない。どうにかして自分の力でここから脱出せねばならない
扉には小窓があった。おそらく食事などを渡すのに使われるのだろう。ちょうつがいで上部を固定した鉄板が垂らされ、外からは引き上げればあくようになっている。つまり中からは押せば開くのだ。だがその口から腕を出してみたところでどうなるものでもない。
「最低だわ」
呟きは牢内に虚しく響いて消えた。
今できることはただ考えることだけだ。
(なぜ教主はカステの正体を見破ったの? なぜカステはあんなにも早急な行動に出たの?)
教主がカステの正体を見破ったのは、神の気配を感じ取れる人間だからかもしれない。妖精、精霊、死霊そういうたぐいのものが見える人間というのは存在する。ジョウ自身そうだ。彼女は不死人になる前から、そういったものが見えた。
死神を前にして畏れる様子がなかった教主と、初めて冥界神とまみえたときに一歩も引かなかった自分がどこか重なった。
(アイツとアタシ、もしかして一緒なんじゃないの……? でもアタシは不死を許されて、アイツは許されていない)
カステは明らかに怒りをその身に宿していた。そして苦痛ある死を宣告し大鎌を出そうとした。あの男は不死神信仰の首領だ。ただの人間であるはずがない。カステが感じた強烈な死臭はきっとあの男が発していたものに決まっている。教主は不法な生者、死すべき魂の持ち主に違いない。
暗闇の中で成す術なくうずくまっているジョウの耳に靴音が届いた。靴音は段々近くなり、ジョウがいる牢の前でぴたりと止まった。そのまま扉を開けてくれるのかと思ったが、いっこうにそんな気配はない。
「死神が伴った娘よ」
その声は先ほどカステを倒した老人のものだった。
「瞬時に己についた傷を治したという。そなたは不死か。どのようにして不死になった」
なるほど、不死を自分たちの特権と思っていたなら、ジョウの存在は捨て置けないに違いない。
「アンタがよく知っているんじゃなくて? フォーガがこの組織でどの程度の地位にあったから知らないけど、頭のアンタがただの人間ってわけはないもの」
「ほ、おぬしは自分の立場がわかっているのか? 大人しく質問に答えるのじゃ」
「そっちこそ、アタシが不死だってこと忘れてんじゃないの。ずっとここに放り込まれていれていても、アタシは死なないわ。せいぜい気分が滅入るだけよ」
教主の小馬鹿にしたような一笑が扉の向こうから聞こえた。
「いくら再生するとはいえ、肉体を傷つけられれば痛かろう」
「アラやだ。こんないたいけな少女を拷問にでもかけようっていうの?」
「少女? はて、誰のことかの。不死だというなら、おぬしは外見相応の年齢とは思えぬが」
相手に見えるわけでもないが、ジョウは皮肉っぽく口角をあげる。
「年を数えるのはだいぶ前に止めちゃったわ。そっちはおいくつなのかしら。見た目は七十、若く見積もって六十ってとこだけど」
「一三○歳は越えておる」
教主は得意気だが、ジョウは気が抜けた。
(なんだ年下じゃない)
だがジョウより年下とはいえ百歳を過ぎていればやはり常人とは言い難い。
「そっちも不死ってことで確定ね」




