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「では得た情報を整理しましょう」
ジョウは不機嫌を隠そうとしない態度で言った。二人は再び街外れの墓地に場所を移していた。カステは前と同じくフォーガ・ビアンケの墓に腰かけ、ジョウは立ったまま腕組をしていた。夜の墓場に人気があろうはずもなく、二人の声は不道徳なほどに静寂を破っていた。
得た情報を総合すると、不死神信仰者にフォーガは献金し、不死の水を貰ったという。水はたった一滴だったが、それが彼の舌に溶けると数日のうちに病からくる症状はおさまった。それからというものの、彼はその異端者を屋敷に留め置き不死神信仰にのめり込むようになったという。その異端者は数か月の滞在の後去っていった。
異端者が去った後も、フォーガの不死神への信心は消えることはなかった。彼は家の者たちへの布教に失敗すると、なじみの娼婦に布教した。そのなじみの娼婦というのがアルバというわけである。アルバを知る娼婦によると、彼女はフォーガと同じく不死神の象徴を持っていたが、それはフォーガが旅先から持って帰ったものだったという。
「その旅先というのがヴァロだって話だ」
ヴァロといえばここから北に位置する地方だ。ここからだと馬車で四日というところだろう。
「そこで彼は森の中で不死の教主と聖女に会った、そう言いましたのね」
「ああ」
「教主……つまり、不死神信仰は組織だったものということですわね。規模はどれほどのものかはわからないですけれど……」
「行けばわかるさ」
「そうですわね」
「は? 馬鹿かおまえ。そんなことできるわけないだろう」
街で地図を買い求め市門出て、さあ出発というときになってカステが放った言葉だった。
「どうしてです。この前は飛んでいたじゃありませんの」
「街の上空をちょっと飛ぶのとヴァロとやらへ行くのとでは違うぞ」
カステは買った地図を広げてジョウに示す。
「こんな距離飛んでいけるか。おまえ、俺が人の世に不案内だからといっていいように使おうと思っているな。俺だって地図を見りゃかなり遠いってことくらいわかる」
ヴァロに行くにあたり、ジョウはカステに飛んで連れっていってもらおうと思っていた。だが直前になって彼はそれは無理だと言う。
「……」
「なんだその目は。そんなに飛んで行きたいなら、俺から今すぐこの重い肉を外せ。そうすれば、おまえを担いで飛んでいくのはわけない」
どうやら人間の姿でいることで飛行に制限がかかっているらしい。
「それは無理でしてよ。死臭がわからなくなるじゃありませんの」
「それじゃあ、歩きでも馬でもいいからそれで行くしかないぞ」
「わかりましたわ」
ジョウは踵を返した。その背にカステがなおも言い募る。
「おまえが飛べりゃあ問題はないんだがね」
「うるさいですわね。アタシはただの人ですもの!」
振り返らずにジョウは返した。
ジョウが用意したのは二頭の馬だった。馬にはちゃんと鞍が付いている。
「アナタ馬には乗れますの?」
「さあ」
するだけ無駄な質問だった。普段は自由に人間世界を飛び回っているのだ、馬に乗ったことなどないに決まっている。ジョウは鐙に足をかけ、ひょいと馬に飛び乗る。
「馬なんて久しぶりですわ」
村では子供の頃から馬に乗る訓練をさせられた。もちろんジョウも例外ではなかった。青い大地を進み、丘陵を駆け登れば、入らずの森がありその向こうには山の稜線が空と接していた。村のそばを流れる川は、あの寝そべり巨人の山から流れてくるのだと教えられたが、ジョウは信じなかった。
『入らずの森よりもっと奥に入って、誰がそれを確認したというの?』
答えに窮し困った様子に、ジョウは声を立てて笑ったのだった。
入らずの森が拓かれたのは随分と前のことだ。寝そべり巨人の山にも道が通り、その向こうの国と物と物を時には刃と刃をやりとりするようになった。イオルの街も山を崩して金に換えていたように、森や山はかつての神聖さを失いつつある。
だがそれでも森はまだ人間に屈したわけではなかった。
テローニ大森林。人を寄せ付けず、帰らずの森とも呼ばれているが、それには理由がある。この森を突っ切れば、西の大国セリセラへの近道になる。しかし抜けるには何日もかかる広い森には、獰猛な獣が多く生息する。狼や熊ならよそにもいるし、盗賊もまた然り。だがそれらの危険を回避したとして、森の奥には馬狼という固有種が存在する。名前の通り馬ほどの大きさでその凶暴さたるや他の獣以上という。その恐怖に身をさらすくらいなら、と人々は迂回路を取っている。
そういうわけで、テローニ大森林にはセリセラへの道は通っておらず、無理をして森の道なき道を進めば、あっという間に迷子になり、果てには獣の胃袋に入っておしまいとなる。だから帰らずの森なのだ。
そんな森の中を行く人影が二つ。
「森に隠れれば、確かに教会には見つかりにくいでしょうけど、まあ陰気なところに」
大地に一条たりとも光を入れまいと木々が枝を広げ、そのおかげで地面は常にしっとりとしていた。馬に乗っているので問題ないが、そうでなければ歩く度にぬっちゃぬっちゃと泥を踏むはめになる。
「まだお昼ですのに、薄暗さは冥界と良い勝負ですわね」
ジョウの言葉に、前を行くカステが反応した。
「ここと父上の照らす冥界を一緒にするな」
「アラ、失礼しました」
彼は馬に乗っているようではあるが、良く見ると彼の尻は馬の背から離れていた。両の内腿の筋肉痛と鞍から伝わる振動が気に入らず、極力乗らないようにしているのだ。今の彼は手綱を持った馬にふわふわと引っ張られている状態だ。
情報ではフォーガが教主と聖女に出会ったのはこの大森林だったという。帰らずの森は地元の猟師や木こり以外は足を踏み入れない。彼らとて深く立ち入ろうとはしない森だ。隠れるにはうってつけだが、テローニ大森林は住まうには厳しい場所である。果たしてここに教主と聖女が隠れ住んでいるのか、はたまたここで落ち合っただけか。
「住んでいるとしたら、そんな人間の気が知れませんわ」
と言いつつ、二人は奥へと進む。何にせよ、この森の奥から死臭がすれば当たりだ。
「つまりそれは俺たちが探すのにも骨が折れるということか」
「そうかもしれませんわね」
二人とも食べることはできるが、それは必要な行為ではない。荷物の中には食糧はなく、雨具や野宿の際に使う毛布などを持っているだけだ。狼だろうが馬狼だろうが、食らいつかれてもジョウは死なないし、カステは言うまでもない。野の獣であれ死神が彼らによる死を呼んでいなければ、そもそも襲ってこない。姿を見せた獣もいたが、死神の一瞥で森の奥へと消えた。
そうして二人は丸五日、馬を休ませながら森の奥へ奥へと進んで、ようやく変化が訪れた。
「かすかだが死臭が……」
前を行くカステが呟いた。死臭をとらえた死神は止まるということを知らなかった。彼は本能のままに死臭のするほうへ馬を駆った。
「待ちなさいよォ!」
とは言ったものの、死すべき者の気配をとらえたカステが人の話を聞かないことを知っているので、仕方なく後を追い馬を並べる。
「近いの?」
「わからん」
倒木やすべりやすい土に馬は速度を上げられない。しかしカステはかまわすに急がせる。
「カステ、馬に無理をさせないで! でないとかえってたどり着くのが遅くなりましてよ!」
カステは素直に馬を止めたが、ふわりと浮きあがるとつま先で蔵を蹴る。追いついたジョウは彼の外套の裾を掴んで引き止めた。
「落ち着いて下さるかしら。そして状況を説明していただけて?」
カステは物言いたげな表情のまま、馬上に戻った。
「段々強くなっている。フォーガよりもきつい臭いだ」
「その臭いをたどれば迷わなくて済みそうね。心強いわ」
しばらくの休息の後、二人を乗せた馬は落ち着いたしっかりとした足取りで森の奥へと進んだ。




