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夜でも賑やかな通りで娼館『青い夜』の場所を聞くと、すぐにどこにあるかわかった。安い店とはいえ知名度はそこそこらしい。大通りから路地にはいってすぐの場所で、緑青色の看板が軒先にさがっていた。
ジョウは店から少し離れたところで立ち止まると、それまで後ろについてきていたカステを自分の前に押し出した。
「さあカステ、行って来て下さいまし」
ジョウは店の戸口をびしっと指差す。
「俺が? なぜ? 人間との交渉はおまえの仕事だ」
まるきりわかっていないカステの返答にジョウは顔をしかめる。
「アナタ……娼館がどういう所か知っていまして……?」
「馬鹿にするなよ。それくらい知っている。男が金で女を買うところだろう」
憤然とするカステの様子にジョウは呆れたように息を吐いた。
「……わかっているなら、アナタひとりでお行きなさいな」
「……」
ジョウは自分に顔を向けたままきょとんとするカステを見て、こちらの言いたいことが伝わっていないことを悟った。
「よくお考えなさい。よく考えなくてもわかることなんですけどね。男が女を買う店に、アタシみたいなうら若き乙女が行く理由がないでしょう」
「だが俺たちは――」
「殺された娼婦について聞きに行くだけですけれど……」
言うつもりだった台詞を取られて、カステは不機嫌そうな顔をしたが、ジョウは無視する。
「聞き方ってものがありましてよ。この場合、アタシだけで行くのと二人で行くのとアナタだけで行くのではどれがいいかというと、アナタが行くのに決まってるでしょ! いい、良くお聞きなさい!」
ジョウは手を伸ばすと、カステの耳を引っ張った。
娼館『青い夜』は落日の名残が消え、薄青の空が広がる頃に店を開ける。今夜は開店と同時に入ってくる客があった。
「いらっしゃいな」
出迎えた女将のにこやかな顔は客の容貌を見て一瞬固まる。客は若い男で、女将が驚いたのはその青年の左右色違いの目だった。一方が黒でもう一方が赤なのだ。驚いたのは束の間で、様々な人間を見てきた女将はすぐに容姿のことなど意識の外にやってしまった。その反応は女将の後ろに待機している女たちも同じだった。
青年はおもむろに硬貨の入った袋を取り出すと、女将に手渡した。女将は中身をあらためると、この青年はなかなかの客だと内心にやりとした。
「お客さんどんな娘がお好みですか? 気に入った娘がいたら私に声をかけてくださいな」
青年は娘たちには目もくれない。
「それはアルバへの弔い金だ」
女将は首をひねる。アルバの客に、いや『青い夜』にこの青年が訪れたことがあっただろか。一度来たことがあったとして、左右目の色が違う、しかも右目は乾く前の血のように赤いという特徴を持つこの青年を簡単に忘れるだろうか。ちらりと娼婦たちに目配せすると、彼女たちは首を小さく横に振るか、肩をすくめて見せた。
「アルバとは店の外で一度だけ会ったことがあってな、今度会うときは店でと約束したのだが……約束を果たす前に残念な結果になってしまったようだ」
死んだ娼婦の名はアルバといった。彼女を殺した男は客の一人だった。男は彼女に入れあげていたが、金持ちの上客、つまりフォーガ・ビアンケである、がいるアルバの態度はそっけなかった。ある日、その男とフォーガが店で鉢合わせした。アルバは当然フォーガを優先した。そのことを怨みに思った男が後日、アルバと言い争いになり挙句の果てには彼女を刺してしまったという。この界隈で聞き込めばすぐに得られた。
ジョウに言われた通りに、カステは生前に娼婦と顔見知りだった男を演じている。ジョウの言う通りにするというのがなんとなく癪だったが、人間社会に不案内なカステはもと人間の彼女の案に乗るのが最善だと理解していた。
「まあ、そうでしたのアルバと約束を……こうやって来ていただいてあの子も喜びますよ」
「アルバはなぜ殺されたんだ?」
「お恥ずかしい話じゃございますけどね、痴情のもつれですよ。こんな商売でございますからね。口論の末に刃物を持ち出してきて……あの娘は外に逃げ出したんですよ、あいつはそれを追って……」
「わかった。もういい」
既知の情報に興味はない。カステは女将を黙らせると、新たに金の入った袋を取り出した。
ジョウは店の外で落ち着かない様子でカステが出てくるのを待っていた。娼館の前にひとりで突っ立っているせいか、男に声をかけられる。客引きに出ている娼婦と勘違いされ、そのたびにジョウはピシャリとはねつけた。
(遅すぎない?)
夜の街は昼間とは違う種の賑わいを見せ始め、『青い夜』にも数人の客が入っていってしばらく経つ。不死ゆえに時間の感覚などとうに失くしていたジョウだったが、人間世界で活動するようになって、感覚が人間に近くなってきたようだ。今までなら、これくらいの待ち時間は気にならなかったものだった。
(……)
嫌な予感がした。カステは金を持っている。店の者は金を持った客には優しい。必死で引き止めて、さらに金を落としていってもらおうとするだろう。引き止めるというのは、この場合は女に相手をさせるという意味以外考えられない。
(お金を持たせすぎたかしら?)
相場がわからないので多めに持たせたのが不味かったか。
(……きっと話が長引いているのよ)
自分に言い聞かせているだけという自覚はある。店の中に入って確認すれば話は早いが、さすがにそれはどうかと躊躇していた。だがチラチラと光の漏れる娼館の窓を見ているうちに気持ちが変化した。
(いい加減もういいでしょう!!)
ジョウは娼館の扉に手をかけた。
娼館にひとりでずかずかと入ってきた少女を見て、女将や娼婦たちはぽかんとしていた。ジョウは部屋をぐるりと見回して、カステがいないことを認めると言った。
「ここに左右色違いの目の男が来たでしょう」
ぽかんとしていた娼婦の一人が笑って答えた。
「お嬢ちゃんが来るようなところじゃないわ。お帰りなさいよ」
「うるさいわね。質問に答えなさいよ」
いきり立つジョウをよそに、笑いは伝染しクスクス笑いで部屋は満たされる。
「あらあら、一人前に嫉妬?」
いくら不死でどんな長いときを過ごしていようと、人から見ればジョウは十四歳の外見の少女に過ぎない。娼館に乗り込んで修羅場を繰り広げるにはまだ幼く見えるのだろう。
「もういい!」
ジョウは部屋の奥にある階段に目をとめた。おそらく二階が仕事部屋だ。だが階段を上がる前に娼婦や女将に制止されるだろう。
どうすればすんなりいくかと考えていると、客が入ってきた。ジョウと客、娼婦たちの天秤が客に傾くのは当然だった。娼婦たちが客に気取られている隙にジョウは二階へ上がった。
二階には廊下の両側にいくつか扉が並んでいた。ジョウはそれを片っ端から開けていった。間違えて怒鳴られてもどこ吹く風だ。
「カステ!」
四つ目の部屋を開けると、薄暗がりの中に浮かぶ一つの赤い目がジョウを見た。カステは粗末な寝台の上に座っており、腰帯がほどけていた。あられもない格好をした娼婦が体を横たえ眠っている。
ジョウは責めるような眼差しをカステに向けた。
「うら若き乙女はこんなところには来ないんじゃなかったのか?」
カステが心底不思議そうに問う。それがジョウの苛立ちに油を注いだ。
「アンタねぇっ……!」
ジョウはつかつかと部屋に足を踏み入れると、床の上に放り出された腰帯を拾いつつカステの前に立ちはだかる。
「アンタはここに何をしに来たんだっけ?」
こめかみに青筋さえ立てながら、しかし笑顔でジョウは問う。怒りに敬語はすっ飛んでしまった。
「アルバについての情報を聞きに来た」
「そうよ。じゃあなんで娼婦と一つの寝台の上で、なおかつ腰帯なんてほどいてしまっているのかしら?」
「その女がアルバのことについて話すと言って、この部屋に連れてきたんだ。妙に近くで話すし、腰帯まで取ってきてうるさかったから眠らせた」
よくよく考えれば、ことを成す前に娼婦が寝入ってしまっているという状態もおかしな話である。世間知らずのカステがちゃんと保身できたこと、己の意志で女の誘いを拒否したことにジョウは安堵の息をもらした。彼がこの状況を的確に理解しているとは言い難い。彼は娼館を男が女を金で買うところだと知っていても、それがどういう意味かわかっていないことがこの発言でわかろうものだ。もしくは理解していても、自分が人間の女に迫られることなどないと思っているのか。
「……おまえは何を怒っているんだ? ちゃんとアルバについての情報は得たぞ」
とは言うが、いらぬ心配をさせられたジョウの怒りの炎は鎮火せずにくすぶっていた。
「何がって! それは……」
言いかけてはっとした。
(な、アタシは何を心配してたっていうのよ…)
「それは……その娼婦と……それにアンタは…………」
結局彼女はもごもごと言葉を口の中で転がした。いつもはうるさいくらいにハッキリと意見を述べるジョウの歯切れの悪さを疑問に思ったものの、カステは珍しく自分が言い合いでジョウより優位な立場にいることを察した。
「何だって? 聞こえないぞ」
自分が作った男の顔に楽しげな笑みが浮かんだのを見ることができたのは結構なことだ。だが笑われているのは自分であるので、ジョウは素直に喜べなかった。
「な、何よ、何笑ってんのよ。もう! 今すぐここから出るわよ!」
ジョウはカステに腰帯を押し付けるように渡すと、さっさと部屋の戸口に向かう。カステはその後を追いながら身支度を整えた。彼はまだにやにやと笑っていた。




