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死神にさよなら  作者: 入江游
5 不法な生者に関する調査
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1

カステの先導で二人は人間世界に戻ってきた。空間の裂け目から出た先は馬車の轍が伸びる街道だった。遠目に見る街は見覚えのある鐘楼を擁しており、イオルの街であることが知れた。

「どこに出るか意識したのでして?」

「いや、特には……前にも言ったが、俺はどこに出たいと考えたことがない」

「では偶然ということなのかしら」

「と思うんだが……」

珍しくカステの物言いは歯切れが悪い。彼もまたイオルに出るとは思わなかったらしく、自分が無意識に行き先を操作した可能性を否定できない様子だ。

「何にせよ、好都合ですわ。あの街で調べたいことがまだありますから」

 ジョウは困惑気味のカステの服の端を引っ張って、イオルの街に向かって歩き出した。


街の中央、尖塔を持つ教会は、二人が一人の人間の魂と共に去った時とは様子が違っていた。

 すでに男の死体はなく、彼がその血で赤黒く染めた石畳は洗われていた。教会の神聖な空間はいつも通りの様相を取り戻していた。ただきつめに焚いた香の匂いが、必死にあの男の死を覆い隠そうとしているようだった。

(香……何かの儀式に使ったはずだけれど……)

単なる消臭が目的ではなかったはずだが思い出せない。

「なんだったかしら……」

ジョウの声が高い天井に昇って反響した。

 顔を上げると、壁を飾る天上神にまつわる神話を描いた絵画が目に入った。絵画は一枚一枚大きな額縁に入れ、壁の両側に飾られている。

「何の絵だ?」

興味深そうに見入るジョウに、カステがどうでもよさそうに訊ねた。

「どのようにして天上神がこの世の混乱を治めたかってやつですわ」

ああ、あれね、と死の神は小馬鹿にした笑みを漏らす。

「人間は天上神以外の神はいないと言っているそうだな」

神はただ一神のみ。という今の世の宗教では冥界神は魔王、死神をはじめとする地下世界の住人たちは総じて悪魔と呼ばれる。また天上に住まう天上神以外の神たちも天使や精霊といった呼び名で讃えられる。

「そうそう、例えばこの絵……アラ、これって冥界神なんでしょうけれども全然似てませんわ」

絵の題名は『魔王を地下世界に閉じ込める神』。後光を背負い、長い髭をたくわえた威厳ある老人姿の神が、割れた大地の狭間に落ちゆく魔王に指を突きつけている。この魔王、つまり冥界神の姿は真っ白な肌に黒髪黒目黒衣だった。

「本当だ。父上はこんなに血色が悪くないし、髪も目も全然違う」

憤慨してカステが言った。凶悪な人相に描かれた冥界神は静かで穏やかな物言いをする彼の父とは似ても似つかない。

「ほーんと、ここまで似ていないと面白いですわねぇ」

ジョウは次の絵に目を移した。題名は『己の姿になぞらえ人間を作る神』。やはり後光を背負った神が描かれている。絵は神が泥から作り出した人間に手を差し伸べているところを描いていた。

 さらにその隣の絵は『知恵を授けられる人間』と題されている。神より使わされた天使が人間に知恵を与えるところを表している。天使は女性で、真っ白な翼が背から生えている。頭を垂れた人間の頭に天使が手を置き、その様を遥か上空から見守る神の姿も見える。

「アタシはこの天使はスワンダミリアが一神教において変化した姿だと思ますの」

「知恵を与える天使が?」

「単純な理由なんですけれども。アタシが人として生きていた頃の考えでは、主になる神として、天上神、冥界神、不死神の三神を敬っておりました。ああ、呼び名はそれぞれ、天空の神、大地の神、水平の神というもう一つの呼び名がありましたわね。魔王と知恵を与える天使は聖典の最初の部分、世界の創造にこの二柱はかかわってくる重要な存在です。それをアタシの時代に重要だった神に当てはめただけですのよ」

「ふうん。世界の創造か。人間はそれをどう伝えているんだ?」

ジョウは『魔王を地下世界に閉じ込める神』の絵の前に戻る。

「神は天上に住まい。魔王は地上を荒らしまわっていた。あまりに魔王が好き放題するものだから、怒った神は大地を裂くと、その割れ目に魔王とその眷属を投げ込んだ。こうして魔王は地上から放逐された。この絵の物語はその様を描いています」

魔王が大地の割れ目に落とされ、行き着いたのが冥界だ。

「悪魔によって蹂躙された世界を、神が天から水を降らせ洪水を起こして清めた。それにより海が生まれた。大地を清めた後、神は地上に緑を芽吹かせ、生けるものを住まわせた。こうして地上には生き物が溢れるようになったのです」

 次にジョウは『悪魔にそそのかされ天上を追われる人間』の絵を指した。男と女が悲しげに顔を伏せ、緑生い茂り泉湧き出る天上の楽園から去ろうとしている。蛇は悪魔を表すときに描かれる動物だが、その蛇が二人の足もとを這っている。彼らの頭上には烏に似た鳥が一羽はばたき、憐れな男女を鋭い嘴で攻撃して天上から追い払う。

「魔王は神が己を地下に閉じ込めたことを怨み、手下である悪魔を楽園に忍び込ませた。そして楽園にいる男と女を唆して禁忌を破らせた。禁忌の泉で喉を潤したのです」

「その泉っていうのは……」

「ええ。泉の水が禁止されていたのは、それを口にすると神に匹敵する力、不死と知恵を得ることができるとされていたからですわ。人の身で神に近づこうとしたことを人間は咎められたのです」

追放された人間は地上に住まうことになった。悪魔は人間に恐怖、憎悪、嫉妬、貪欲などあらゆる負の感情を教えた。こうして地上には罪悪がはびこるようになった。

以上が今現在人口に膾炙されている創世神話だ。

「俺は創世に立ち会ったわけじゃないが、その話がてんででたらめだってことはわかる」

「とはいっても、今の人間の世界ではそう言われているんですもの」

「そうだ、俺は? 死神はどうして生まれたことになっているんだ?」

「どうせでたらめだろうって顔してますわね……えっと、死は禁忌を破った罰として人間に課せされた、とされていますわ」

ジョウの説明を聞くや、カステは声を立てて笑い出した。

(マア……)

段々と表情が豊かになってきたと思っていたが、カステが大口を開けて笑う様は初めて見る。幾分馬鹿にするような響きが混じってはいるが、愉快そうに笑う彼はそこらへんにいる人間の若者にしか見えない。

(アタシもうまく作ったものですわね)

「はははっ! とんだ思い違いだ! そんなだから人間は死を嫌がるんだな」

カステの笑顔が見られたのは結構だが、話題はジョウにとっては面白くないものだ。

「……死は恩恵とでも?」

死神自身とその生みの親である冥界神が度々口にする恩恵という言葉。

「もちろんだ。いいか、死は罰なんかじゃない。父上が用意した人間への恩恵だよ」

「……そうですかしら?」

冥界神と言葉を交わし、死神と語らう少女は彼らを悪魔などではなく神だと信じていたが、死の性質については同意しかねた。

「アナタたちは気まぐれにアタシたちから大事な人を奪う」

独り言のように呟いた言葉だったが、静かな教会内にあって、それがカステの耳に届かないわけがなかった。

「おまえも人間だな」

カステは自身への認識の誤りを怒ることも正すこともしない。人間の評価など対して気にすることでもないと考えているに違いない。ジョウはこれ以上この話題をしたくなくて、話を変えようと、『知恵を授けられる人間』の天使を指す。

「ネエ、この絵姿は不死神に似ていますの?」

ジョウが不死神と考えている天使を見て、カステは首を傾げる。

「さあ? 俺は会ったことがないからわからん」

「そうでしたわね。でもどんな姿か冥界神から聞くことはなかったのでして?」

「俺は地下と人間世界を行き来するだけだ。天上のことには興味がない」

「そういうものですか。あら、では天上神にも会ったことがないのでしょうか?」

「ああ」

長い長い時の中で変わらずにあり続ける神々である。活動領域が別でも顔を合わせる機会は、長大な時の流れの中でいくらでもありそうなものだが。

「ああ、そうだ。会ったことはないが、天上神の容姿についてなら、弟である父上とよく似ていると聞く」

「冥界神と……」

天上神と冥界神は太陽に似た輝きを持つ金の髪、新緑の目を持つ兄弟ということになる。

 ジョウは教会を去るとき、もう一度『魔王を地下世界に閉じ込める神』の絵に目をやった。白髪に長髭を蓄えた威厳ある老人の姿をした天上神。病的に白い肌に黒い髪と目の冥界神。

「……人が神について知る得ることなんてどれくらいなのでしょうね」

長年地下世界にいたところで、ジョウが知らないことは山ほどある。

「大概は思い違いだが、たまに知っているから人間には驚くよ」


 外に出てから、香が何のために焚かれたかと、教会内の人気のなさの理由を知った。香は葬儀のときに焚くもので、誰もいないということはここで葬儀が行われ棺桶が墓地に運ばれた後ということだ。

(人が死んだら弔うのが当たりまえじゃないの……どうしてアタシはすぐに気が付かなかったの?)

 ジョウは自分が、人でありながら死と隔たっていることを理解しているつもりだった。だが死に鈍感になっているつもりはなかった。しかし人々が生きて死んでいくこと、残された人々がそれにどう対処するのか、どう嘆くのか、そういった人の営みを忘れてしまっていることに愕然とした。

(だってアタシは……)

 一番弔うべき人の顔が浮かび、ジョウは頭を振ってその像から逃れようとした。

「何やってんだ?」

呆れた声につられて顔をあげると、当然ながらそこにはカステの顔があった。

「何でもないですわ」

「あっそう」

カステはジョウに興味を失って、すぐに視線を別にやってしまう。それをジョウは少し寂しく感じた。


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