□2場 ユキトという青年、ジョージというスカンク
外に出ると、三人の顔が一際明るくなった。
「うほぉ~! 可愛い姉ちゃんが仰山おるでぇ!」
「こんなところに病院があるんだぁ。あ、あっちには大きい噴水があるよ~」
「ちょ、そっちじゃなくてこっち! 俺はあの店に行きたいの!」
特にアステルのテンションの上がりようは著しく、そのことに本人も気づいたようで、ハッとしたかと思うと、帽子を目深に被り、周囲をキョロキョロと見回す。
アステルは追われる身。それ故に警戒しているのだろうが、昨日の男達のような制服姿の者はいないように見える。
「もしかして、家出のことは公表してないのかなぁ。歌姫が姿を眩ましたなんてスキャンダルだし、内密にする理由には十分だけど」
「せやなぁ。追っ手も昨日はあないにおったのに、今日は全然見ぃひんしな」
「こっちとしては、気兼ねなく外に出れるから助かるんだけどね」
二人の会話を聞いて、心なしかアステルの表情が和らいだようだった。
ユキトはふっと目を細めて笑う。
「楽しい?」
「ばっ、子どもじゃないんだから、このぐらいで楽しいなんて――。ただ、こんな風に街中を自由に見て回るのは、歌姫になってからは無かったから、本当に久しぶりだなっと思っただけだ」
そう語るアステルは感慨深げな面持ちで、今までの苦労を感じさせる。金持ちの家の子になって得たもの、有名になって失ったものが、少なからずあると窺える。
(話を聞く限り、アステルは『かごの鳥』だったんだろうなぁ。あれ、アステルの場合は『水槽の魚』かな?)
ユキトはじっとアステルのことを見る。
その視線に気づいてか、アステルは顔を赤くして何やら怒り始める。
「な、なんかムカつく! 同情とかしたらまた傘で叩くぞ!」
振り上げた傘を見て、ユキトの肩に乗るジョージが訊ねる。
「せや。なんで嬢ちゃん、傘なんて持ってんねん。今日快晴やぞ」
「ん? ああ、これは護身用。いつ雨が降っても大丈夫なように、いつも携帯してるんだよ。俺、雨に濡れると人魚化しちゃうから。ちょっとでも怪しい天気なら、レインコートと長靴も持ち歩くけどな」
そこまで言って、アステルが納得いかない顔をする。
「なんか、いつも俺ばかり話してる気がする。……よし。ユキト、お前の話もしろ」
「僕?」
「これは命令だ。従者なら、主の命令は絶対だぞ」
(いつから僕は従者になったんだろ)
という疑問は口にせず、まあいいかと思いながら、何を話そうか首を傾げ考える。
その間にもアステルは周囲の店を見ていたが、一人の男と目が合いドキリとする。
知らない男だ。いかにも店の親父という風貌で、一見普通の人に見えるが、自分達のことをじっと見つめてくるのが、アステルには気味悪く思えた。
ユキトの袖をそっと引き、小声で話しかける。
「あの親父、俺の存在に気づいたんじゃないか? 妙にこっち見てる……」
「? あの人にバレたってこと? 僕にはそんな風には――」
と、ユキトが言い終わる前に、親父がズンズンとこちらに向かって歩いてきた。
アステルはユキトの袖をぎゅっと握り、思わず強く目を閉じる。
が、何故か親父はユキトの手を取って、強引に握手をしてきた。
「兄ちゃん、そのペンダントしてるっつぅことは、ヤヴァン族だよな!」
満面の笑みで言う親父の言葉を聞いて、アステルは初めてユキトが首飾りをしていることに気づいた。
紺青色のトレンチコートから見える首に、エクリュベージュの短い鎖が掛かっている。服の中に隠れているのでペンダントトップまでは見えない。
親父に手を握られた状態のまま、ユキトがニコリと笑ってみせる。
「この状態でよく気づきましたね~」
「チェーンだけで判るんだ! おらぁ、ヤヴァン族支持派でよ!」
親父が大きい声で喋るので、ユキトの肩にいたジョージがアステルの方に逃げてくる。耳を塞ぎながら「かなわんわ」とこぼす。
ぶんぶんと握手した手を振り、親父は一向にユキトを放そうとしない。
「ヤヴァン族は、俺達にとったぁ英雄だかんな!」
「あ、ははは…………」
ユキトは珍しく困った顔をする。周囲も視線を向けてきているので、アステルは数歩離れちょっと遠巻きにしながら、腕に抱くジョージに訊ねる。
「ジョージ、『ヤヴァン族』ってなんだ?」
「なんや、嬢ちゃん知らんのか? ドーア国の東部に住む民族や。ワイも詳しくないけど、元々は建国者の血筋がどーのこーので、今も独自の文化を残し続けとる。人一倍手先が器用なことで有名で、細工もん作らせたら右に出るもんはおらんそうや。で、その腕を買われて、戦時中は武器やら爆弾やらを仰山作っとったらしい」
「ああ、それで『英雄』か」
「それが恐ろしゅうて『ヤヴァン族は戦争の道具』言うて非難するもんとか、他にもヤヴァン族に対して色々思うところがあるもんもおるらしいけどな。ま、技術が認められてることは確かや。良い腕してんねん」
「ユキトがそのヤヴァン族なのか。見た目、普通のドーア人と違いが判らないけど」
「そりゃ、ドーア人であることには変わりないからな~。ただ、ヤヴァン族はみんな同じ首飾りつけとんねん。ヤヴァン族にしか作れへん、一族の証っちゅうやつや。唐草模様のペンダントで、鎖はオリハルコンで出来とるって噂で、絶対切れへんし、付け外しする金具も無いから、一生したままなんやてユキトが言うとった」
アステルは「ふーん」と言いながら視線を戻す。
見ると、親父はようやく手を放してくれたが、まだユキトに話をしようと迫っている。いつも呑気そうなユキトも、流石にこれ以上付き纏われるのは嫌だったようで、後歩きしながら断っている。
だが親父の方も相当しつこく、ユキトは堪えきれず急に駆け出した。
「わっ」
逃げる途中でアステルの手を掴み、そのまま親父の視界から消えるまで走る。その最中ずっと、アステルは繋がれたユキトの手を見ていた。
建物の裏手で立ち止まったところで、アステルが呟く。
「ユキト、ヤヴァン族なんだ」
「うん。そうだよ~」
ヤヴァン族であることを気にしているわけでも無いので、ユキトははっきりと頷く。
その反応を見て、何故かアステルは少しだけ笑った。それから傍にあった階段に腰掛けると、ユキトの顔を見上げる。
「なるほど。その手先の器用さで、ジョージを作ったのか」
「えーっと…………なんのこと?」
「何って、ジョージって喋る人形だろ? というか、ぬいぐるみ?」
「ちゃうわああぁぁぁあっ!!」
ジョージの絶叫がその場に響いた。すかさずアステルに詰め寄る。
「嬢ちゃん、ワイが喋っても驚かんな~思っとったけど、そういう目で見とったんか!? だいたい、ワイのこのカッチョイイ毛が、作りもんなわけないやろ! よう見てみぃ!」
と言って、自分の尻尾を持って、アステルの目の前で振ってみせる。
だがアステルはそれには目もくれず、やはりユキトの方を見る。
「違うんだ?」
「正真正銘、ジョージはスカンクだよ。初めて会ったのは一年ぐらい前かな? その時から、もうこんな風に喋ってたよ」
「当然や! ワイは天才スカンクやからな! 人間の言葉も理解しとるし、なんと言ってもイケメンや! こない優秀なワイやから、どうあっても後世に種を残さなあかん! せやから、ユキトに近づいたんや!」
「言ってる意味解んないんだけど」
「う~んとね。つまり、ジョージは最初、僕のことを“喰おう”としていたんだよ」
思わぬ話に、アステルはしばし頭がついていけなかったが、ようやく理解した時には、ジョージの首輪を掴んで吊り上げていた。
「ちょっ、何しようとしてんだ! 人間様をなんだと思ってるわけ!? 人の物盗ろうとはいい度胸だなーっ!」
「じょ、嬢ちゃん! 首絞まっとる~……」
「まあまあ、大丈夫だよ~。結局未遂に終わったから。――と言いたいところだけど、一応被害者はいたんだよね……」
「それは言わんといてー……」
仲裁に入ろうとしたユキトが漏らした一言で、ジョージの顔色がますます悪くなる。
「どういうこと?」
「ジョージが言うところの『ワイの一生の汚点』なんだけど。早い話が、僕を“喰おう”として失敗。でも僕の魂に潜り込もうとして、もう霊魂の状態になっちゃってたから、早くしないと消滅しちゃう。そこで傍にいた九官鳥を代わりに“喰った”の。“喰う”側からしたら、自分より強い生き物じゃないと意味ないんだけどね」
「つまりジョージ的には、助かったはいいけど、大失敗したってわけか。……ぷっ」
アステルは手を離すが、ジョージに嘲笑を込めた視線を送る。
「嬢ちゃん、笑わんといてぇ! ワイの心に受けた傷は、まだ癒えてないんやから!」
「ぷくくくく……べ、別に他人の恥が愉快だとか思ってないから」
「それは思ってるもんの言い方や~!」
「あーはいはい。でも、なんでユキトを“喰う”のに失敗したわけ?」
「それやねん! ユキトの奴が美味しそ~な魂しとったから、ワイも“喰おう”としたのに、こいつときたらもう――もげもが!」
突然ユキトに口を塞がれ、それと同時にジョージは顔を打たれて涙目になった。
「あまりうるさい男は、女の子に嫌われちゃうよ?」
そう言って、ユキトはさらりと笑った。