□2場 邂逅一晩
雨は急に降ってきた。
瞬く間に雨脚は強くなり、気づいた時には土砂降りになっていた。
酒場を出てようやくそのことを知り、ユキトはほとほと困っていた。
酒を強引に勧めてくる客の男達を、何とか振り切って店を出たのに、また店内に戻るのも嫌だった。なので、酒場と隣の店の間にある細い道を少しいったところで、酒場の屋根の下に入り雨宿りをしていたのだが、一向に止むどころか弱まる気配すら無い。
そんな状態のまま三十分ほど経ち、気温が下がっているせいもあって、少々寒さを感じて腕を擦っていると、
「せやから言うたんや。もうちょっと飲んでいけばええって」
ユキトの肩の上に乗り、自らの尻尾を抱きかかえているスカンクのジョージが、ぐちぐちと不平を漏らし始めた。
いくら魂を“喰う”ような動物がいるドーア国でも、人の言葉を喋る動物はそうそういるものではない。誰かに見咎められて騒がれても仕方がない状況だが、幸い周りに人はいないようだった。
安心してそっと息を吐くと、そんなユキトの取り越し苦労を知ってか知らずか、ジョージは黒と白の毛で覆われた顔を掻きながら文句を続ける。
「良い子ちゃんぶって、早めに帰ろうとするから、こんないな目に遭うんや。それに巻き込まれるワイの身にもなれ!」
「別にそんなつもり――――わっ!?」
ユキトは思わず言葉を切る。
メインストリートから急に曲がってきた人物とぶつかった。痛かったというより、こんな人一人やっと通れるぐらいの狭い場所に入ってくる人がいるとは思っていなかったのと、相手に付いていた水滴で濡れたのとで驚いたことの方が大きかった。
相手はユキトより明らかに小さく、まだ子どものようだ。
長靴を履いてレインコートも着ているのに、その上何故か傘まで差している。妙といえば妙だが、この大雨ならそこまでしてもおかしくはないかもしれない。
(あ、でも急に降ってきたのに、こんなに準備いいのは変か? でも近所の子どもかもしれないし。けどこんな夜遅くに外にいるのは、それはそれでやっぱり変だよなぁ)
などと思い、子どもの顔を窺おうとすると、相手の方もぶつかった鼻を押さえながら、ユキトのことを見上げてきて、二人は目が合った。
ユキトはその顔に覚えがあった。直接会ったことがあるわけではないが、つい最近見た記憶がある。
レインコートのフードから覗く、赤みのピンクの髪を見て確信を持つ。
(この薔薇色の髪は、あの紙に描いてあった。えーっと――)
「そうだ、『アステル嬢』だ」
そうユキトが言った直後、メインストリートから数人分の慌ただしい足音が、遠くの方からだんだん近づいてくるのが聞こえてきて、アステルはそちらを振り向く。
「くっ、もう追っ手が……」
絵で見た柔らかく笑った可愛い顔は、今は忌々しげに歪められている。
それを見て、事情は分からないが、アステルの中で何か問題が生じていることだけは察することが出来た。
そのしばらく後に、足音の主――何かの制服らしき同じ格好をした三人の男が、路地に姿を現す。
「おい。ここにパープルのレインコートを着た少女は来なかったか」
「ああ、それならここを真っ直ぐ通り過ぎて行きましたよ」
「そうか。ご協力感謝する」
「いえいえ~」
手をひらひらと振り、三人がメインストリートの向こうに消えるまで見送る。
ユキトは木箱に座っていた。その場に、ユキトとジョージ以外の動くものの姿は見えない。男達もここには彼ら以外誰もいないと思ったのだろう。
しばらくして木箱から降り、蓋をコンコンと叩くと、それは独りでに開いた。
「……どうして助けたの?」
中から出てきたのはアステルだ。アステルは見ず知らずのユキトがした行動に納得がいかないのか、あからさまに訝しんだ目で見てくる。
「あなた、この町の人間じゃないでしょう。もしそうなら、迷わずあの人達に私を差し出しているもの。その関係の無いよそ者が、こんなことをする理由が分からない。目的はお金? それとも、私の体なんて言わないでしょうね」
「そんなことは言わないけど。そう改めて訊かれると、僕もはっきりと答えられないなぁ」
へらへら笑うユキトの態度が気に入らないのか、アステルは一層鋭く睨みつける。
だが、唐突にその場が少し明るくなり、二人は同時に振り返る。
「いたぞぉっ!」
さっきやり過ごした男達と同じ制服を着た、別の男二人がメインストリートと路地の間に立っている。ランプを掲げ、僅かな光でアステルの顔を照らす。
「アステル様! お戻り下さい!」
「い、嫌に決まっているでしょう……!」
そう言いながら、じりじり迫ってくる男達とは反対に、アステルは後退りしていく。
様子を見ていたユキトは、肩に乗るジョージに小声で話すと、「しょあないな」と溜め息を吐かれる。ジョージはひらりと、傍にあった樽の上に降り立つ。そこで大きく息を吸うと、男二人に聞こえるように言い放つ。
「女の子に無理矢理手を出したらあかんねんでぇーっ!」
男達だけでなくアステルも驚いた顔をするが、声の主がスカンクであるとは気づいていない。その隙に、ユキトはアステルを担ぐようにして抱きかかえる。
「ちょっ、何する――」
「ジョージ、後のことはお願い」
「あいよ~」
ユキトはアステルを連れて路地の奥に走り去る。それを追おうとする男達の前に、ジョージが立ちはだかり、後を向いて尻尾を立てる。
「一発大きいのいきまっせ~!」
その数秒後、周囲は異臭に包まれた。