□2場 本当のこと
エルキン領を出る為、北西に流れる川を目印に明月の下、ユキトは夜空を飛んでいた。
やがて、ユキトは川辺に降り立ち、アステルが地面に足をつけたのを見届けてから、自身は草むらに尻もちをついた。それと同時に、ユキトの背にあった翼が引っ込む。
ジョージは肩から身体を伝って着地すると、ユキトの顔を覗き込む。力無く笑うユキトに、呆れたように嘆息する。
「なんや、もう力尽きたんか。まだここエルキン領内やないか。だらしないやっちゃな~」
「あ、ははは…………面目ない」
ユキトは伊達眼鏡を外し、濡れた髪を手櫛で軽く直すと、アステルのことを見上げる。
「大丈夫だった?」
「べ、別に俺、高いところ平気だし。その、ユキトの方が――っくしゅ!」
夜とはいえ、風が当たっていたことで身体は乾き、アステルの足は元に戻っていた。その代わり、完全に冷えてしまっている。ドレス一枚のアステルは尚更だろう。
くしゃみをしたアステルを見て、「これ、まだ湿ってるけど」と言って、ユキトは上着を脱ぐとアステルの肩にそっと掛ける。
「ふ、ふん! 余計なことを――って、おい。ユキト、顔色悪いぞ」
「ああ、うん。肩の傷がちょっとね……」
「ヨルムにやられた――」
アステルが表情を曇らせるのを見て、ユキトは慌てて補足する。
「それは、そんなに酷くないんだけど。むしろこの顔色は、翼出したからで……」
「そうだよ、それ! まだ説明してもらってない。一体どういう仕組みなんだ?」
「見て分かったと思うけど、僕を“喰った”チスイコウモリの翼だよ。空が飛べてとても便利なんだけど、出す代償に僕の中の血が必要で、使う度に貧血になっちゃうんだ……」
「なるほど。そういう理由があって、極力使いたく無かったから『最終手段』なわけか」
アステルは上着を深く着込む。上着の後ろに二つの穴が開いていることに気づく。
そこに翼が生えていたのだと思いながら、ユキトに視線を向ける。
青白い顔で微笑するのを見て、ユキトもこの上着が必要なのではと思うが、一度受け取った物を今更つき返したところでユキトはきかなそうなので、素直に好意に甘えることにする。
代わりに、何も言わずユキトにくっつくように隣に座ると、薔薇色の長い髪を軽く絞っていたが、しばらくして動きを止め、ぽつりと呟く。
「俺の言葉……父様に通じなかったのかな」
先刻のことを思い返して、柄にもなくしゅんとするアステルの頭を、ユキトが軽く叩く。
「他人の考えてることは、真には分からないよ。あんなこと言ってたけど、本当は理解していたのかもしれないじゃない。それでも、例えアステルの為になることだろうと自分のエゴが働いて、どうしても否定したかったとも考えられるでしょ?」
「せやなぁ。ま、ワイは他人の考えを察して行動出来る、空気の読めるええ子やけどな! どやどや? 褒めてもええで?」
「あーはいはい――――ん?」
どうでもよさそうな目で見ていたアステルだが、ふとジョージの方を改めて見る。
「良い子のジョージには、ヨルムの考えも分かってたってことか? ヨルムが動揺するところを始めて見たぞ。というか、そもそも言っている意味が分からなかったんだけど」
「意味て……あの兄ちゃん、シャオン姉ちゃんのこと好いとるやろ」
「「え…………ええええええええぇぇぇぇ!?」」
アステルだけでなくユキトも驚きの声を上げ、ジョージが耳を塞ぎ、顔をしかめる。
「なんや、嬢ちゃん。ホンマに気づいてなかったんか? ニブチンなユキトが気づかないんは分かるけど」
「いや、だって……ええ?」
「だって、ホーストン駅で会った時、姉ちゃんを押しのけることも出来たはずやのに、兄ちゃんはそうせんかった。その時、恋の伝道師ジョージ様の頭の中で『ピピピピーン!』ときたんや! ま、姉ちゃんの方がどう思ってるんかは知らんけどな~」
ジョージは「よっこいしょ」と言って胡坐をかくと、尻尾を毛づくろいしながら気取った顔で溜め息を吐く。
「せやけど、あないな態度じゃ、女の子のハートはゲット出来へんやろな~。姉ちゃんの『嬢ちゃんを守りたい』ゆー願いを、素直に叶えてあげられへんようじゃあかん」
「シャオンの願い、か――。でもまあ、ヨルムもなかなか女を見る目があるじゃないか」
そんなことを言って、アステルはアステルでつんと澄ました顔で、指の先で髪の毛を弄る。
そうしながら、思考は別のところへ行っていた。
マーメイド・コンサート公演直前、メロウ劇場へ向かうべく準備をし、もうすぐ屋敷を出るというところで、屋敷に残るというシャオンに言われた――のちに、似たようなことをユキトにも言われた――言葉が甦る。
「アステル様は、誰の為でもない、アステル様の為の人生を送っていいのですよ。アステル様が思うままの人生を生きて下さい。それが私の、唯一の願いです」
その時は、何故そんなことを言われたのか、アステルには分からなかった。だが、今なら少しだけ分かる気がした。
(きっとシャオンには、俺の気持ちなんてお見通しだったんだ。シャオンをこれ以上傷つけないように、俺が何かを諦めようとしてるって気づいたから――)
「――敵わないな」
アステルは、困ったように眉間に皺を寄せながらも、その顔には笑みがこぼれていた。
他人の考えてることは、真には分からない。だから人は思いを、言葉に、表情に、行動に託して伝えようとするが、必ずしもそれで理解してもらえるわけではない。
だがその一方で、伝わる思いというのも、確かにあるということだ。
あの時、シャオンを抱きしめたことで、アステルの考えていたことが伝わったのだろう。ずっと一緒にいたシャオンだから、それを感じ取ることが出来たのかもしれない。
(同じ時間を過ごしたはずの“家族”とは、まだまだこれから……かな)
そう思うアステルの心は明るく、少し前向きになっているようだった。
「ねぇ、何が『敵わない』の? もしかして、アステルもシャオンのこと好きだったの?」
と、気がつくとユキトが顔を覗き込んでいた。いきなりユキトの顔が目の前にあるのを見て、アステルは思わず間の抜けた声を出す。
「――へ? いや、シャオンのことは一人の人間として好きだけど、別に恋とかそういうわけじゃ……」
「隠すことあらへんで、嬢ちゃん! そういう情報はオープンにせな! 愛を届けるキューピットたるワイが、しっかりサポートしたるで?」
「だから、そうじゃなくてっ! ああ、もういい!」
アステルは頬を膨らまし、そっぽを向いてしまった。そのまるまると熟れた桃のような頬を、ユキトはつんつん突きながら、眉尻を下げて小さく笑う。
「ごめんごめん。拗ねないでよ~……――――アステル?」
不意にアステルの表情が真剣になったのを見て、ユキトは動きを止めた。
アステルは頬に当たる指を払いのけることもせず、膝に両手を置いて握り締めると、どこを見るでもなく見ながら呟く。
「……父様への申し訳なさも、少なからずあるんだ。事情が事情とはいえ、俺はずっと父様に隠しごとをしてきたんだから。父様のこと信じてなかったのに、自分の思いを伝えようなんて図々しかったのかもしれない。だから、いつか――本当のことを話せるようになりたい」
そう言うアステルの眼差しは、晴れた海のように力強く輝いている。
「最初は、父様が娘の俺にした仕打ちが許せなかったのがきっかけで逃げ出したけど、今は違うから。明確な目的があって家を出たんだから、これで見聞を広めて、俺が人生を切り開くぐらいの強さを持ったら、父様のこと……本当に信じることが出来るような気がする。そしたら、ちゃんと父様の後を継ぐ。父様には、それまで待っていて欲しいと思う」
強い意志に満ち満ちたアステルの逞しい横顔を眺め、ユキトは嬉しげに目を細めた。
まだ十四歳の少年の、これが始めての自立であり大きな成長であると、そしてそれを間近で見られたことを嬉しく思った。
だが、そんな感慨に耽っていたユキトをよそに、アステルの顔が徐々に不機嫌になっていく。
「――それはそうとっ!」
アステルは振り返ると同時に、急に怒鳴り声を上げた。体をわなわなと震わせている。
「なんだったんだよ、あれは!」
「あれ? あれって?」
目を丸くするユキトに向かって、本気で怒ってるようで、胸ぐらを掴みだした。
「だ、だから! う、うううう『馬に蹴られて死んじゃう』とは、どういうことだっ! 忘れたとは言わせないぞ!」
「ああ。それか~」
「いつ、俺とユキトがそんな仲になったんだ! 父様は俺を女と思ってるんだから、あんなこと言ったら信じちゃうだろ! お前との仲を誤解されるぐらいなら、女同士だろうとシャオンとの仲を誤解させる方がまだマシだ!」
「まあまあ。なんか突拍子もないこと言ってるから、少し落ち着いて。あれは、僕も考えがあって言った言葉なんだよ? ああでも言っておけば、領主さんも言い返せないと思って。ほら、領主さんって、奥さんを大切にするぐらい愛に生きる人だから」
本人は本気で言ってるのかもしれないが、へらへら笑いながらそんなことをのたまうので、聞く方からすると白々しく感じる。
なので、アステルは――。
「そんな言いわけあるかぁっ!」
怒号と共に、ユキトの頭に容赦なく拳骨をお見舞いした。
ユキトは小さな呻き声をあげたかと思うと、へにゃへにゃと崩れ落ちた。
倒れたユキトに近づき、ジョージはつんつんとユキトの体を軽く突く。
「血が足りない時に殴ったら、流石にまずいんとちゅう?」
「あ……」
小さな声を漏らしたアステルが視線を逸らすが、ユキトが貧血であることを失念していたらしく、明らかに『やばい』と顔に書いてある。
唸りながらユキトはゆっくりと顔を上げ、ますます弱々しくなった笑みを見せる。
「う~ん、血が無いと力が出ないよ~。……アステルの血、吸わせてくれる?」
「え、えっと……」
アステルは無意識に首筋を押さえる。戸惑いながらも、何かを確認するようにちらちらユキトの方を見て、その度に赤面して視線を逸らす。
その様子に、ユキトは小さく吹き出した。
「冗談だよ。アステルに迷惑かけたくないし、何より僕が、人間から直接血を吸うのが嫌だし。親しい相手なら尚更ね。だから、やっぱり動物の肉を食べることにするよ」
「肉……」
くうぅ~……と、途端にアステルのお腹から音が鳴る。
ユキトはまたも吹き出し、今度は声を上げて笑う。
「アステルもお腹減ってきたんだね。じゃあ、ここで一緒に夜食にしようかねぇ」
「肉って言っても、俺達何も持ってないぞ」
「ほら、あるじゃない? 丁度良い具合に――」
そう言いながら、ユキトがおもむろに指をさした。その先にあるのは――川だ。
ユキトの言いたいことに気づき、アステルの顔色が変わる。
だが、ユキトは指を立てて微笑みかける。
「魚の身も『魚肉』と言って、立派な肉だよ?」
「お、おおお、俺は…………俺は魚が嫌いだあぁ――――っ!!」
アステルの腹の底から出た拒否の言葉は、辺り一帯に響き渡った。
アステルは勢い良く立ち上がり、ユキトの腕を持って引っぱり起こす。
「もういい! 俺が肩貸すから、人の住むところまで行くぞ! なんかあっちの方に光ってるとこあるし!」
アステルの言うように、確かに川沿いに進んだ遠くの方に、微かに民家らしき灯りが見える。
言われるままに、ユキトはアステルに支えてもらいながら歩き出す。
月明かりの下、三つの影がゆらゆらと動く。
「オノリイヌ心配してるかな。連絡して、荷物送ってもらわなきゃ」
「せやな。大きいもんは、邪魔やから置いてきてしもうたからな~」
「そうだ。荷物届いたら、また髪染めようかな」
「なんで。いちいち染めるの面倒じゃないか?」
「やっぱり黒いと暗くて、いかにも吸血鬼っぽいし。アステル、どう思う?」
「ふん。知るか」
夜の川辺には、水の流れる音と、小さな話し声が木霊しているだけだった。
やがて、雲に喰われるように、月がその姿を消す。
それと共に、三つの影は闇に溶けた。
これにて完結です。ご愛読ありがとうございました。
例の『後書き』(活動報告参照)については、またツイッターや活動報告の方でお知らせします。
次回作についても、少し期間が開くかと思いますが、同様にお知らせ致します。
最後に、ここまで読んで下さった方、ツイッターで支援して下さった方、全ての方に最大級の感謝を……!




