□4場 伝えたい思い
その後もどうにか捕まることなく、町の外まで来ることが出来た。
しかし、ジョージはすっかり疲れ果て、でろんとユキトの肩で伸びている。
「もーあかん。ガス欠や……」
「ジョージはよく頑張ってくれたよ」
そう言ったものの、これで容易に追っ手を振り切る手立てが無くなった。その心配を煽るかのように、嫌な風向きになる。
地肌と草、あるいは岩がまだらに広がるばかりで、建物が一つも無い荒地を、息せき切りながらも歩みを止めず足を動かし続ける二人の耳に、近づいてくる地響きが届く。
それに気づいたところで対応する手段を持たない二人は、瞬く間に制服姿の男達に囲まれてしまった。
「ホンマ、振り切っても振り切っても、どんどん湧いて出て来るんやからな……。しつこい男は嫌われるで!」
その言葉に反応する者はなく、ジョージは苦虫を噛み潰したような顔になる。取り囲む男達に、「べー」と舌を出したり睨みつけたりし始める。
――そこに、一頭の馬がやって来た。
馬を操っているのはヨルムだ。しかも、その背にダレッシモを連れている。
その二名の姿にアステルは一瞬たじろぐが、気を取り直して真っ直ぐ前を見据えると、ユキトよりも数歩前に出て、腹部の前で指を組み背筋を伸ばす。
ダレッシモが馬から降りてくる。包囲網の端に父、中心に子がいて対峙する形になる。
先に口を開いたのは、ダレッシモだ。
「まったく。どこの馬の骨とも知れない奴の口車に乗って、こんな馬鹿な真似をして……。ホーストンにいるのが、お前にとって一番なんだって言っただろう? さあ、帰るんだ」
そう言って、ダレッシモは手を差し出した。
しかし、アステルは軽く息を吸うと、首を横に振った。
「違います、父様。これは私の意志でやったことです」
「……なんだって?」
「家を出て、思ったんです。私の見ていた世界は、まだまだ狭いものだったんだと」
声が震えないよう勇気を貰おうと、首飾りの青い石にそっと触れると言葉を続ける。
「私も、決して恵まれていたとは思いません。多くのものを失う自分の人生を呪い、流されるまま生きていたこともありました。けど、外の世界には苦しくても、それでもそれぞれ自分なりの形で、胸を張って前に進んでいる人達がいる。私はそれを羨ましく思う」
アステルの頭には、オノリイヌやヴィタのように、外で出会った者達の姿が浮かんでいた。当然、ユキトのことも思い浮かべていた。
それを思いの糧にするように、アステルは大きく深呼吸して、しっかりと前を見据える。
「父様の後を継ぐ気が無いわけじゃないですが、その前に、私は自分で選び切り開く『私の人生』を歩みたいんです!」
力強く言い放ったアステルの背中を、ユキトは優しい眼差しで見守っていた。
今まで娘から強い主張をされてこなかったのだろう。ダッレシモは閉口していたが、急に鋭い目になりユキトの方を見た。
「こいつだ! こいつのせいで、アステルはおかしなことを言い出したんだ! ヨルム! この男を捕らえて牢に入れてしまえ!」
「……仰せのままに」
ヨルムは軽く目を伏せて従う意思を示すが、その表情の端には、どこか乗り気ではない様子が見えた。
馬を歩かせ近づくヨルムから守るように、アステルが傍に寄ってくる。それを見て、ヨルムが途中で馬を止め、アステルに感情の見えない視線を送る。アステルも負けずに睨み返す。
その緊迫した状況の中、ユキトはアステルの肩に手を置くと、おもむろに口を開く。
「ジョージ、答えが出たよ。アステルも、聴いて」
肩のジョージが顔を上げ、アステルが振り向くのを見て、ユキトは静かに語りかける。
「アステルとはさ、境遇が似た部分もあるし、『痛みを分かち合うことは出来る』とも言われたけど、実際は全然違っていて。僕はただ逃げて待っているしか出来なくて、生き続けるだけで精一杯なのに対して、アステルは逃げた点は同じでも、ちゃんとその先の未来のことを見ていた。今もこうして、父親に向き合っていた。僕なんかより全然小さい体で、一生懸命体当たりしていく――そんなアステルが好きで、応援したくなったんだと思う」
と、ふわっと笑うと、改めてアステルの手を取った。
アステルは「何言って……!」と赤面するが、手を振りほどくことはしなかった。
そんな二人を見て、ジョージは肩を竦めて嘆息する。
「そうか」
ジョージはそれだけ言うと、ふとヨルムに向き直る。
「あんさんも。本当に大切な人の願いを、応援してあげないんか?」
その問いに、ヨルムの表情が揺らぐのを見た。僅かに躊躇うように、馬が数歩後退する。
「何してる、ヨルム! ……ええい、構わん! やれっ!」
ヨルムの様子にもお構いなしに、ダレッシモは兵全体に命令を下した。
ユキト達を囲む男達の後ろから、新たな兵が現れたかと思うと、手に持ったバケツを振り、思いっきり水を掛けられた。
ユキトとジョージはただ濡れただけだが、アステルは人魚化してしまい、人の足でなくなった為に立っていることが出来なくなり、地面にへたりこんだ。手を繋いでいたユキトも、つられてその場にしゃがむ。
「こうしてしまえば、容易に逃げられまい! アステル! これで大人しく帰る気になっただろう? こんな強引な手は使いたくなかったが、これも娘を思ってこそなんだ。一時の気の迷いで、父をこれ以上困らせないでくれ。アステルなら解ってくれるな?」
「父様……」
アステルの目には、落胆の色が滲み出ていた。ダレッシモは理解を求めてくるが、彼自身がアステルの思いを理解していない――しようとしてくれない。
「――やっぱり、すぐには気持ちを伝えることは難しいね。それが親子であっても」
そう言って、ユキトは眉尻を下げ、切なげに微笑した。
顔にかかる濡れた前髪を指で除けてから、アステルを抱きかかえ立ち上がる。二人が初めて会った夜にした、担ぐような抱き方ではなく、所謂お姫様だっこだ。
始め、アステルは急に抱き上げられて動揺していたが、不安定な格好なので危うく落ちそうになり、慌ててユキトの首にしがみついた。
そのアステルに顔を寄せ、ユキトは耳元で囁く。
「ちょっと我慢しててね」
「何を……?」
アステルの問いかけには答えず、ユキトは表情を引き締め真っ直ぐ前を見ると、ダレッシモに向かって言う。
「これは最終手段だったんだけど……仕方ありませんね。というわけで、僕達は当初の予定通り逃げさせていただきます」
「ふん。この状況下で何を言う」
ダレッシモは腕を組み、胸を反らして鼻を鳴らす。どうせ何も出来ないと思っているのだろう。その点はアステルも同じ考えなのか、不安そうにユキトの方を見る。
「ユキト。どうする気だ?」
「アステルが人魚なら、僕は吸血鬼だ。人魚が歌で雨を降らせるように、吸血鬼にも出来ることがあるんだよ」
真面目な表情に僅かに笑みを含ませ、自信に満ちた声で宣言する。
「では、皆さん。お別れの前に、とっておきの『イリュージョン』をお見せしましょう」
「わけが解らんことを! ものども、かかれえぇっ!」
遂に、ダレッシモが決定的な命令を下した。取り囲む制服姿の男達が各々武器を手に、一斉にユキトに向かってくる。
ユキトは慌てず騒がず、自分の中にあるものに集中する。コウモリに“喰われた”自らの魂と、身体の中を流れめぐる血。それを沸騰させるようなイメージを思い浮かべる。
「……ユキトっ!」
迫りくる兵、そしてユキトの身体を貫こうとする剣や槍の刃先を見て、アステルは思わず声を上げた。あと数十秒もすれば、ユキトの肉は切り裂かれ、そんな姿を見たく無いアステルが目を瞑ろうとする、その間際で――。
ザバサァッ!!
そんな音がして、目の前に黒く大きなものが現れた。アステルはそれを呆然と見上げる。
翼だ。髪の色と同じ、黒光りした二つの翼が、ユキトの背中に生えていた。それがユキトを“喰った”コウモリの翼であると、アステルはすぐに理解した。
その姿はまるで本物の吸血鬼のようで、その場の誰もが底知れぬ妖しさと、未知のものに対する恐怖心で動けなくなる。
動きを止めた兵達を一瞥し、ユキトはほんの少しだけ悲しそうに笑うと、それ以上周りを気にすることなく、翼を大きく羽ばたかせる。ユキトの身体が浮き始め、アステルとジョージは落ちないように、ユキトにしっかりと掴まる。
「領主さん、心配することありませんよ。アステルはいつか帰ってきますから。それにほら、『可愛い子には旅をさせろ』ってよく言うじゃないですか。それは全くその通りなんですよ? ましてや、子ども自身がそれを望んでいるんですから」
我に返ったダレッシモが、上昇していくユキトを追いかけるように手を伸ばす。
「ま、待て! アステルを降ろすんだ!」
ダレッシモの怒号を聞いて、その内容にユキトは溜め息を吐く。
「ん~、聞き分けがないですねぇ。困ったな……。あんまりしつこいと――」
と、ユキトはこれ見よがしにアステルに顔を寄せて、ダレッシモを見下ろし、
「――馬に蹴られて死んじゃうよ?」
ニコリと笑って捨て台詞を残すと、天高く飛翔した。
空まで追うことも出来ず、ダレッシモを含めた全員がただ振り仰ぐしかなかった。




