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男姫様は魚がお嫌い  作者: 川咲弐号
■ 第6幕 ■
21/25

□2場 自問自答する為に

 一日経ち、夜。マーメイド・コンサートの公演日になった。


 七時からの開演に向けて、多くの人が町の中央にある『メロウ劇場』に集まり始めていた。

 ここは多目的ホールであるが、そもそもはアステルが歌う場所として建設された。外部の人間にホーストンを注目してもらうことと、地元民にも良質な文化を提供し、忙しく辛い生活に潤いを与えるという狙いがある。少なくともそういう名目を掲げているが、主催である領主の本心は、やはり金を儲けることが第一なのだろう。

 富裕層を始め、一時の贅沢として奮発した庶民も彼らなりにめかし込んで、劇場の中に吸い込まれるように入っていく。


 そのメロウ劇場の前、メインストリートの人混みの中にユキトがいた。

 しかし、いつもと様子が違う。暗いイメージを払拭する為に茶色くしていた髪を、黒に染め戻している。服装も三つ揃いで、紳士にも見劣りしないほど様になっている。

 アステルに貸していたのとは別の銀縁の伊達眼鏡を掛け、その奥にある黒茶の目を左右に動かす。そしてある一点――タキシードの上にインバネスコートを羽織った男に定まると、その人物の元に近寄り声を掛ける。


「すみません。そのチケット譲ってもらえませんか?」

「なんだね、君は。何を言って――」

「勿論、タダでとは言いません。こちらの品と交換していただけないでしょうか?」


 そう言ってユキトが出したのは、カフスボタンとネクタイピンだった。どちらもユキトが作ったもので、小さいながらヤヴァンクオリティが前面に押し出された、精巧な装飾が成された逸品だ。


「こ、これは見事な装飾だ……っ! こんな品を、本当にチケット一枚と換えると? これ一枚とでは、釣りが出てしまうぐらいだ!」

「構いませんよ。そもそもが、僕の勝手で言ってることですから。こちらが損をする分には問題ありません」


 ユキトの言葉に、男は喜んで申し出を受け、かくしてチケットを手に入れたユキトは、劇場の中へ入ることが出来た。

 席に座ったところで、今までポケットの中に隠れていたジョージが顔を出した。

 周囲に違和感を持たれないように、前を向いたままユキトは話す。


「さっきから何人か警備員を見たけど、意外と気づかれないものだね。髪の色を変えて、伊達眼鏡を掛けただけなんだけど」

「それは元々、ユキトが地味やからや……」


 ジョージは小さく呟きながら、苦笑いを浮かべて肩を竦める。


「それはそうと、ここに来てどうするんや?」


 ユキトの顔を見上げると、冗談めかして付け加える。


「まさか、嬢ちゃんを攫う気ぃか?」


 問われて、ユキトは笑いのない真面目な顔で、しかし少し困ったように眉を顰める。


「……分からないけど。ただ、心配だから様子を見たかったんだ」

「そないなこと言うて、自分の気持ちも分からへんくせに、他人を見て何が分かるんや」


 ジョージに呆れたように言われて、その通りだとユキトは思った。

 そして、ここに来る前、オノリイヌに言われたことを考える。





 ――――あの日、ヨルムに惨敗し、気がついたら『ホテル・アノロイド』にいた。

 目を覚ましたユキトは、一等部屋の天井をぼやけた視線で見つめた。気を失う前に何があったのか、すぐに思い出すことが出来たが、頭がぼーっとした状態が抜けきれず、状況を理解するまでしばらく掛かった。


(ヨルムに切られて川に落とされて、今ここにいるってことは――アステルは?)


 アステルの姿を求めて視線を動かしたところで、ようやくベッドの傍らに立つ人物の姿が目に入った。

 三十代ぐらいの男性だ。体格は中肉で長躯。ブロンドの髪は肩近くまで伸びており、その風貌からはやや浮いた印象の黒縁眼鏡を掛けている。

 だがその眼鏡のおかげで、彼が誰なのか判った。


「――オノリイヌ」


 話には聞いていたが、人間の姿は初めて見た。

 犬の姿は元々のものだからいいが、人間の姿は“喰った”相手のもので、本来持っているはずがないものだ。取り込んだとはいえ、その借り物の姿を維持するのは骨が折れることで、オノリイヌは普段滅多に使わないらしい。もっとも、家族の前では別だが。

 その人間の姿をしたオノリイヌが、ユキトの声に優しく返す。


「お目覚めの気分はどうだい?」

「えーっと……良いとは言えないかなぁ」


 横になった状態のまま、オノリイヌの顔を見上げて笑ってみせたが、どうも弱々しくていけない。ユキトは冗談っぽく言ったつもりだったが、これでは事実であるとバレてしまったであろう。

 オノリイヌは「そうかい」と肩を竦めただけで、それ以上特に何も言わなかった。

 その直後、駆け寄ってきたジョージを、ユキトは顔面で受けることになった。


「ユキトーっ! このスカタンがぁ! ホンマ、もう……心配さすなっ!」


 顔に突進するように抱きついてきたと思ったら、額をぽかぽか殴られ、泣きながら怒られた。しばらくして目を擦ると、ジョージはオノリイヌを指差す。


「ユキト、お前こいつに感謝せぇよ。この眼鏡犬が手当てしてくれたんやからな」

「ぬ、誰が眼鏡犬だ」


 オノリイヌが咎めるような目で、眉間に皺を寄せて嘆息する。かと言って、ジョージに反省の色は無い。

 ユキトはゆっくり上体を起こすと微笑を浮かべ、オノリイヌに視線を向ける。


「ありがとう、オノリイヌ」

「礼を言うほどのことでもないよ。それより、起きて大丈夫なのかい? 辛いんだろう?」

「少しぐらい平気だよ。寝起きだから本調子じゃないだけで、思ったより怪我はたいしたことなさそうだし。むしろいつまでも寝てる方が、体が鈍っていけない」


 包帯を巻いた右肩に手を当て、軽く擦ってみる。一瞬痛みで顔を歪めたが、血ももう止まっているようで、傷も直に塞がるだろうと思う。

 奇跡的な回復力と言えばそうだが、そもそも通常の人間と同じ基準で考えていいのかも謎であるし、自分の回復力のおかげでなくオノリイヌの処置が良かったのかもしれない。何にしても早く治るに越したことはない。

 身体の状態を確認したところで、ユキトは掛け布団の上に乗るジョージを見る。


「僕の体のことより……ジョージ。あれからどうなったの?」


 ユキトの問いに、ジョージは言いづらそうに説明する。


「嬢ちゃんは連れて行かれた。ほんで、お前はここに半日以上寝とった」


 アステルが、最後までユキトを心配していたことは言わなかった。ユキトを無駄に落ち込ませたくないという、ジョージの心遣いだ。

 代わりに、浅い吐息を漏らすと、肩の力を抜いてだらりと座る。


「せやけどまさか、あのヨルムっちゅう兄ちゃんが“喰われた”人間やったとはなぁ……」


 ジョージは、尻尾を毛づくろいしながら独り言ちる。


「虎と魂の競り合いして打ち勝つやなんて、相当強い精神力しとるで、あれは。あの時は嬢ちゃんも驚いとったし、あの兄ちゃんが“喰われてる”こと、他の人間も知らんのやないか? せやから、仲間がいると本気が出せん言うて――のわぁっ!?」


 ユキトが急にベッドから出ようとしたので、上に乗っていたジョージは転がり落ちた。

 それをオノリイヌが、ユキトの両肩を掴んで押し留めた。

 ジョージは再びベッドの上に這い上がり、ユキトの顔を見上げる。


「な、なんやねん、いきなり。どこ行く気や。トイレか?」


 それには頭を振って否定し、ユキトは俯き加減でどこか一点を見つめて呟く。


「アステルこと、シャオンから託されていたのに…………助けなきゃ」

「――彼女は本当に、助けを必要としているのかね?」


 その声に、ユキトは顔を上げる。

 言ったのはオノリイヌだった。オノリイヌは怒ったような怖い顔をして、ユキトのことを睨むつけていた。


「そのスカンクから、簡単に事情は聞いたよ。それを踏まえて言わせてもらうけど、逃げてばかりが彼女の為ではないし、ユキトには彼女を助けなければならない義務も義理も、正直無いと思うよ」


 そう言うと、今度は少しだけ表情を和らげて訊ねる。


「何故そこまで助けなければと思うんだい?」

「何故って、本当にあの子は困っていて手伝うように言われていたし、あの子の従者にも頼まれていたから」


 ユキトの答えに、オノリイヌはやれやれとでも言いたげに首を横に振る。


「お前は、困ってたら誰でも助けるのかい。それじゃキリが無いよ」


 それから無表情に近い真剣な表情で、ユキトの顔を覗き込んだ。


「いいかい、ユキト。助けたい理由を、彼女や他人のせいにするんじゃないよ。そうではなくて、『自分がどうか』をよく考えることだね。そうすれば、自ずと答えは見えてくるものさ――」





(――『自分がどうか』、かぁ)


 ユキトは、劇場の柔らかい座席の背もたれに身体を埋める。

 先刻ジョージに言われたように、ユキトは自分の気持ちが分からなかった。オノリイヌの言葉に照らして考えてみたが、改めてどうして自分はアステルを助けたいのか、その答えが見つかってはいない。

 だからこそ、アステルの姿を見に来た。あれから元気にしているのか心配なのも嘘ではないが、本当はもう一度アステルを見て、その答えを確かめたいのかもしれない。


 一通り追憶に耽ったところで、ふとジョージを横目で見ると、ポケットの縁に前足を置いて、まだグチグチかつネチネチと独りで話していた。


「大体、こないな席じゃ普通に見えなくて分からんて」


 その言葉を、ユキトの耳が拾う。ユキトは前を向いたままジョージの頭を撫でる。


「大丈夫。僕、目は良い方だから」


 そう笑顔でのたまうユキトに、ジョージは「ま、ええけど。ワイは知らん」と言って、ポケットの中に潜る。その直後に隣の席の客がやって来て、ユキトも何事も無かったように、誰もいないステージの方を向いて開演の時を待つ。

 それから、あまり時間が掛からずに開演の合図が鳴って、劇場内は暗くなった。

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