□2場 旅の青年・ユキト
ユキトはホーストンという町に辿り着いた。
ドーア国エルキン領内にあるこの町は、エルキン領の領主が住んでいる。
が、そんなことはどうでもいい。ユキトとしては、特に目的も無く彷徨い歩いていたら、行き着いたというだけのことだった。
強いて言えば、寝泊まり出来る場所を求めてここにいる。
町の入り口に立つユキトは、大型の革製トランクを手に、ぼーっと町の中を眺めている。
さらさらした茶髪に、やや垂れ気味な黒茶色の目。紺青のトレンチコートを着て、首輪を付けたスカンクを、何故か肩に乗せている青年の姿は異様なはずなのに、全体的なイメージが地味である為に、誰も気にすることが無い。
スカンクのジョージに尻尾で顔を叩かれ、ユキトはようやく歩き出す。
ホーストンは木造の古い様式の建物を残す、味のある街並みと同時に、近代的なデザインが同居している。古くからある町のようだが、今の領主になってから新しいものを多く取り入れるようになったらしいと、ここに来る前に少し噂を耳にしたのを思い出す。
その新しい建物の一つ、『観光案内所』と書かれた看板の下がる場所に、ユキトはふらふらと近づいていく。
窓口に座る女性に、柔らかい笑顔を浮かべて話しかける。
「すみません」
「はい」
「ここに着いたばかりで右も左も分からなくて……。この町の地図か何かありませんか?」
「それでしたら、観光客用の案内パンフレットがございます。お持ちしますので、少々お待ち下さい」
そう言って、女性は席を立ち奥へ消える。
窓口のカウンターに腕を置き、体重を掛けて待つユキトの元に、見知らぬ男が寄ってくる。昼間から飲んだのか、見るからに酔っ払っている男は、ユキトの顔を覗き込むようにして見てくる。
「おぅ兄ちゃん、見ない顔だな。出稼ぎかい?」
「まあ、そんなようなものです」
無遠慮に話しかけてきた相手に嫌な顔一つせず、ニコニコと笑って返事をする。その笑顔に騙されるが、よくよく聞くと言葉を濁している。
だが、酔っ払いの男は気にしなかったようで、気さくにあれこれと話し始めたので、ユキトは生返事でやり過ごしていた。
そのうちに、案内所の女性がパンフレットを手に戻ってくる。受け取り、中に軽く目を通しながら訊ねる。
「しばらく滞在出来そうなところはありますかね。出来れば、大きなホテルで従業員の対応が良くて、メインストリートから離れていて静かにくつろげて、美味しいお肉を出してくれるところ」
その注文に女性は地図を指差し、条件に合うホテルを教えてくれた。
ユキトはお礼を言い、案内所から出ようと踵を返す。
と、掲示板にある大きな張り紙が目に入る。
「……マーメイド・コンサート?」
張り紙の大きな字を見てユキトが呟くと、酔っ払いの男が得意げな笑みで近づき、強引に肩を組んでくる。
「こりゃ、アステル嬢のコンサートのやつだな」
「アステル嬢?」
「領主様の娘だ。と言っても、養子なんだがな。ほれ、この絵の女の子がアステル嬢だ。べっぴんさんだろ?」
張り紙の真ん中には、うっすらと笑顔を浮かべ、紅のドレスを着た少女の絵がある。
髪は薔薇色で、腰の長さまである。大きな瞳は青。身長を始めとして、他のパーツは全体的に小さい。美人と言うにはまだ幼い顔立ちで、可愛いという印象の方が強かった。
「アステル嬢はホーストン一の歌姫で、町の外からも聴きに来る客がいるぐらいお上手なんだ。しかもアステル嬢は人魚だ。昔からある伝説でも、人魚は良い声で歌うと云われているからな、その実力は折り紙付きだ」
「人魚、ですか。本当にそうなんですか?」
「俺は見たこと無いが、足が魚になっているところを見たことがある奴もいるらしい。ま、なんにせよ余裕があったら一度聴いてみな。町の中央にある劇場で、領主様が主催するアステル嬢のコンサートが行われんだ。次の公演は……おっ! 丁度、一週間後にあるな!」
男が顎に手を当ててまじまじ見ている横で、ユキトも張り紙を見つめていた。
(人魚かぁ。本当の人魚だったら凄いけど、多分この子は、魚に“喰われた”人なんだろうなぁ)
そんなことを思いながら男の方を向いて、へらっと困ったような笑い方をする。
「その、興味はあるんですけど。僕、そこまでこの町にいるか分からないので、観れないかもしれません」
「そうかい。残念だなー」
本当に残念そうな顔をする酔っ払いの男に、ユキトは軽くお礼と別れの挨拶をしてから、その場を後にしたのだった。