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男姫様は魚がお嫌い  作者: 川咲弐号
■ 第5幕 ■
19/25

□3場 別れ、そして出遭い

 約束通り、次の日の夕方にユキト達はヴィタに会った。


 商業地帯から離れ、住宅街を北に抜けたところにある山地。その麓にヴィタと、他にも大きなバックパックを背負った人が数人いた。プロジェクトに関わっているメンバーらしく、今回のヴィタの仕事が大きなものだということが見て取れた。

 夕焼け空と黒くそびえる山を背にして、ヴィタはユキト達の前に立つ。


「見送りに来てくれてありがとね。次会う時には、ここで撮った写真見せてあげるから……と言っても、その前に写真集が出ちゃうかな? だいぶ先になるけど展覧会もやるから、気が向いたら見に来てよ」

「まあ、絶対とは言えませんからね。本当に気が向いたら行きます」


 ユキトはそう言って小さく微笑んでから、ヴィタの顔を覗き込む。


「またいつ会うことになるか分かりませんが、元気でいて下さいね。機会があれば旦那さんにも会いに行きますけど、ヴィタさんも仕事とはいえ旅ばかりしてないで、たまには家に帰ってゆっくり相手してあげた方が良いと思います。あまりに家を空けてるのが原因で、離婚しても知りませんよ?」

「あら~? 生意気な口きくようになったねぇ!」


 ヴィタはユキトの首に腕を回し、もう片方の手で「このこの~」とユキトの頭をぐりぐりと拳で押さえつけた。その顔は悪戯をする子どものようだった。

 ユキトも「あいたたた」と言いながらも、どこか楽しそうにしている。

 師弟関係という以上に、二人には姉弟か友人同士であるかのような親密さがあった。

 それは、全てを手放して故郷を離れることになったユキトには大切であり、必要なものなのかもしれない。そんなことをアステルとジョージは、口にはしないが思っていた。


 しばらくして、ヴィタはじゃれるのを止めた。ユキトは流石に本気で痛かったので、その場で蹲り、頭に手を当てて眉間に皺を寄せている。

 それを無視して、ヴィタがアステルの方を振り返る。


「アステルちゃんも、ありがと。短い時間だったけど、色々お話出来て楽しかったよ」


 そう言って、手を差し出した。アステルは素直に握手に応じる。

 と、その手を引かれて体を引き寄せられ、耳元に小声で話しかけられる。


「ユキトのこと、もう大丈夫だと思うけど任せたよ。ユキトって笑顔で平然と見せておいて、なんだかんだ無理する傾向があるから、しっかり見張っててね」

「わ、私にお守りをしろってこと?」

「ううん、ただ傍にいてくれるだけでいいの。それがユキトには一番だから」

「……ふん。まあどうせユキトは従者だし、私に付き添うのは当然なんだから、今更言うことでもないんじゃない?」


 頬を紅潮させながらそっぽを向いて呟くアステルに、ヴィタは小さく笑って「ありがとう」と改めて言ってから、握手を解いてアステルから離れた。

 ようやく痛みが引いて立ち上がったユキトが、首を傾げてヴィタを見る。


「何か言いました? アステルに変なこと吹き込んでないですよね?」

「ユキトは知らなくていいことだよ。女同士の秘密なの。ね~? アステルちゃん」

「ま、まあ? そういうことになるかな?」


 どう答えていいものかと、アステルはこっそり引きつった表情を浮かべ、曖昧な返事を返した。それを照れと取ったのか、ヴィタはくすくすと忍び笑いをした。

 ユキトはぽかんとした顔で二人を見比べ、やはりまた首を傾げた。


「ヴィタ先生、そろそろ――」

「あ、うん。解った~」


 メンバーの一人に言われて、ヴィタは返事をすると、もう一度ユキト達の前にしっかりと立って、満面の笑みで片手を上げる。


「じゃあ、あたし行くね。二人の旅が安泰であるように祈ってるよ!」

「はい。ヴィタさんの仕事も順風満帆にいくよう祈ってます」


 ヴィタは口角を上げて応えると踵を返し、山に向かって歩き出す。その姿が、沈む夕日と共に見えなくなるまで、ユキト達は見つめ続けた。


 青い夜の空に変わった頃、ようやくユキトは山地から視線を外し、アステルの傍に寄る。


「それで結局、何話してたの?」

「ふ、ふん! ユキトには言わない! 女同士の秘密だからな!」


(アステルも女じゃないのになぁ)


 ユキトが寂しそうに眉尻を下げる。まるで子犬のような目で見られてアステルは一瞬たじろぐが、再度「ふん!」と鼻を鳴らし、頑として喋らない。


(女同士の秘密を、ワイが聞いてしもうて良かったんかな~……)


 実はずっとアステルの足下にいて、たまたま二人の会話が耳に入ってしまったジョージがそんなことを考えていたが、ユキトに告げ口しなければいいかと空笑いで誤魔化した。


 三人はホテルに帰るべく移動し始める。

 ミラティ北部の住宅地は広く、迷わないように確認しながら進むので、自然とゆっくりとした足取りになる。川沿いの道をちょっとした散歩気分で歩きつつ、ユキトは黄昏時の空を眺める。


「晴れると良いねぇ」

「なんだ急に」

「ヴィタさんの仕事だよ。晴れないと仕事にならないでしょ。だから晴れると良いなって」

「ああ、そういうことか。シャオンみたいに詳しくないし、天気の予測なんて出来ないから、晴れるかどうか分からないな。逆に、雨を降らすことなら出来るんだけど」


 その言葉にユキトが首を傾げていると、アステルもぽかんとした表情をする。


「あれ、言ってなかったか? 俺の能力なんだよ。魚に“喰われて”から、体が人魚化する以外にも、どんな状況でも雨を降らすことが出来るっていう。雨乞いとでも言うのかな」

「そういえば、人魚の中には嵐を起こすと云われているのもあるよね」

「まあ伝説はともかく、俺のは雨乞い歌を歌うことで発揮される能力なんだ。利点としては、雨に濡れればいつでも人魚化出来るし、視界を悪くさせる煙幕のような効果が期待出来るけど。その一方で、雨を止めるまでは操れなくて、俺自身いつ止むかまでは分からないっていう難点もあるわけで……」


 苦笑いを浮かべたアステルはそれを引っ込めて、今度は腕を組んで自慢げな顔をする。


「でも、これで使い様によっては便利なんだぞ! 例えば、ユキトと初めて会った日とか、あれは俺が降らせた雨なんだ。屋敷の連中から逃げる為に、視界を遮る目的でやったというわけだ。どうだ、なかなか頭が良いだろ?」

「あ~それで急に降ってきたのに、準備良く傘やレインコートを持っていたのかぁ。降るのが分かっていたから、前もって用意出来たんだね」

「まあな。それでなくても、比較的いつも持ち歩いてるけどな。前にも言ったけど、人魚化しないよう、雨には細心の注意を払ってるんだ。俺が降らさなくても、降る時は勝手に降ってくるからな」


 実際、今もアステルは傘を持ち歩いている。これはどうしても外せないアイテムらしい。

 その傘を手で弄びながら、アステルは問いかける。


「俺はそんな感じだけど、ユキトも何か出来るんじゃないか?」

「能力かぁ。雨乞いなんて大きなことは出来ないけど――――ん?」


 ユキトは言い切らずして、異変に気づいて足を止める。


 ダカダカダカ、と急に足音が背後から迫ってきた。

 荒々しく走るその音に後ろを振り返ると、音の主を確認するよりも早く、咄嗟に身を退いた。

 鼻先五センチのところに、刃の先端を見る。薙ぐようにして刀を抜き放たれたのだ。


 後ろに空足を踏んで数歩下がったユキトは、相手の姿を認めて口を開く。


「君はホーストンの駅にいた…………ヨルムと言ったかな」


 灰青色の髪がサラリと動き、ヨルムが顔を上げた。

 相変わらず二枚目だが、そこにある表情には敵意が滲み出ており、翡翠色の目は鋭くこちらを睨みつけている。


 ヨルムが上体を伸ばし、サーベルを一振りして体勢を立て直すのを、ユキトは注意深く眺めながら自身も姿勢を正す。


「ここまで追ってくるなんて。君、なかなか執念深いねぇ」

「これが私の仕事だからだ」

「まあ、それはそうだね」


 ユキトは眉をハの字にして小さく笑うと、さり気なく周囲を確かめる。


「えーっと、他にお仲間はいないみたいだけど、君一人で来たの?」

「邪魔だから置いてきた。他の人間がいると全力を出せないからな」

「ん~?」


 乏しい表情ながら、ヨルムからは何か自信が感じられる。

 ユキトは警戒して、振り返らずに仲間に声を掛ける。


「アステル、僕の後ろに下がっていて。ジョージも」

「ワイは戦えるで! 必殺悪臭ボンバーで、あないなやつイチコロや!」

「そうだといいんだけど。どうやらあの人には、小細工とか通用しなさそうだからね」

「せやけど、ユキト一人やと――」

「ジョージ。悔しいけどユキトの言う通り、ヨルム相手にジョージが出来ることはない」

「嬢ちゃん……」


 アステルは口を引き結んでいるが、唇が僅かに震えている。それを見たジョージは、アステルと共に大人しくユキトから離れる。


「話は済んだか。つまり、貴様を倒せばいいのだな。分かりやすくていい」


 ヨルムはユキトに向けてサーベルを構え、視線はアステルに移す。


「今度はどんな手を使ってでも、強制的に帰って頂く」

「何度来ようと私の答えは変わらない。……それよりも、シャオンはあれからどうしたの」

「それは、アステル嬢自身の目で確かめることだ」

「――まさか殺していないでしょうね。もしそうだったら、絶対に許さないんだからね!」


 それには何も言わず、ヨルムはユキトに向き直る。

 ユキトは頭を掻いて深く溜め息を吐くと、普段とは違い表情を引き締める。


「戦うのとか得意じゃないんだけどなぁ」


 そう言いながら、ユキトは傍に落ちていた木の棒を拾おうとして腰を折った。刹那、ヨルムが大きく踏み込み、上段から縦に真っ二つに切るようにサーベルが振り下ろされた。

 ユキトは素早く棒を顔の前に出し、それを両手で持って受け止める。


 丁度握りやすい太さで、腕ぐらいの長さがあり、密で折れにくそうなので、武器としては少々頼りないが使い勝手は良さそうだ。

 ただ相手は刃物であるし、それ以上に力量に差がある。

 ユキトも戦争を経験したとはいえ、その後は長いこと体を張っていない。一方、ヨルムは今も傭兵として戦いに身を置いている。技術もさることながら、体の鍛え方からして違うのだ。


 しなやかな筋肉で、流れるような動きで連続的に切り込んでくるヨルムに、何太刀か流したり受け止めたりしたが、ついていくのが精一杯で、こちらから打って出るような余裕が無い。


(これはどう頑張っても勝てる気がしない……)


 そんなことをゆっくり考える暇も与えずに出された、ヨルムの袈裟切り。それを棒の両端を持って受けると、刃が木に食い込むのを見る。

 刃が抜けないように押しながら、ユキトは後ろのアステルに声を限りに怒鳴る。


「アステル、ジョージを連れて逃げて!」

「でも、ユキトは……!」

「いいから逃げろっ!」

「ユキトの分際で命令するな! 主として、従者を置いていけるわけないじゃないか!」


 動こうとしないアステルに、焦るユキトは思わず舌打ちをする。こうなっては、何が何でも勝たなければいけないと、ユキトの顔がより一層真剣なものになる。


 ヨルムが一際強い力でサーベルを引き、棒から刃が抜ける。お互い一歩後退して距離を取ると、それぞれの武器を持ち直す。ユキトも剣のようにして棒を持つ。


 そのまま数秒睨み合うが、ヨルムがサーベルを軽く振って空を切り、その拍子に太刀風の音が鳴った――次の瞬間に、ユキトが大股で勢い良く踏み出し、ヨルムの腹部めがけて突きを繰り出した。

 ユキトの鋭い突きは、しかしすんでのところでいなされるが、ユキトはすぐに体勢を立て直して振り返ると、ヨルムの攻撃に備える。

 その予想通り、間髪をいれずにヨルムは前に出る。

 横からの攻撃の気配に、ユキトは咄嗟に棒を縦に立てて受け止めようと――したのだが、


「え」


 横からきたのはサーベルの刃ではなく、青灰色と黒の縞の毛に被われた“虎の尻尾”だった。


 驚きで即座に反応出来なかったユキトは、本物のサーベルの軌道が視界に入りながらも理解が追いつかず、完全に対応が遅れた。

 斜めに走った刃先が、ユキトの肩口を服もろとも切り裂き、薄闇に赤く浮かぶ血飛沫が宙を舞う。


「く……ぁっ!」


 痛みで無意識に口から声が漏れ、ユキトの体は大きくぐらつく。

 霞む思考の中で、再度尻尾が迫ってくるのを察知し棒を構えるが、太い鞭で叩かれたような重い衝撃で脆くも木の棒は折れ、受け切れなかった衝撃はユキトの体を突き飛ばした。


「ユキト――っ!」


 アステルが思わず声を上げ、傘を強く握り締める。

 ドブンッ! という大きな音と共に、ユキトは横に流れる川に落ちた。意識が無いのか、上がってくることなく流される。


「ああ、くそっ!」


 アステルは胸が焼けるような思いに駆られ、気づいた時には悪態を吐きながら、伊達眼鏡をジョージに押しつけ、傘を放り出して走り始めていた。


「嬢ちゃん!」


 ジョージが静止の意味で叫ぶのにも構わず、アステルは迷わず川に飛び込む。見る間に足は魚の尾に変わる。

 水の中を速い速度で移動し、すぐにユキトに追いつくと、自分より大きい青年の体を抱えて這い上がり、びしょ濡れの二人の体は堅い地面に横たわった。


 肩で息をするアステルは上半身を起こし、横で倒れるユキトの髪に触れる。顔に掛かる部分をそっとどけてやる。

 髪から滴る水が瞼の上に落ちても、ユキトは目を開けない。


「…………ユ――」


 アステルが声を掛けようとした瞬間、カチャリという音がして、首の横に冷たい金属の感触がした。

 振り返るまでもなく刃先が視界の端に見えて、サーベルを突きつけられていると解った。


「大人しく投降して頂こう」


 ヨルムの冷静な声に、アステルは最初眉間に皺を寄せるが、ユキトの顔を見ているうちに肩の力を抜いた。


「……せめて、ユキトを手当て出来る場所まで運んで」

「了解した。それは約束しよう」


 アステルの出した条件にヨルムは素直に頷くと、サーベルを首から離す。だが鞘に収めることはせず、まだ逃亡を警戒しているようだったが、アステルは人魚化した状態で逃げるなど無駄なことをする気はなかった。

 ジョージがアステルの元に寄ってきて、虹色に輝く鱗に前足を当てる。


「嬢ちゃん――」

「私は大丈夫だから。娘が父親のところに戻るだけだもの。きっと平気」


 それはまるで自分に言い聞かせているようで、ジョージは見ているのが辛くて、アステルの顔から視線を外す。


「それよりジョージは、ユキトについていてあげて。ユキトにはまだ誰か傍にいてあげないと」

「……せやな。分かった」


 ジョージが首を縦に振ったのを確認して、アステルは淡く笑みを浮かべた。

 それから、上体だけで振り向いてヨルムを見ると、力強い声で言った。


「家に帰ります」

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