□3場 ユキトの生き様
再びミラティのセンター街に行くと、先刻と寸分違わぬ人の多さだった。
その中でアステルは、今度は男装ではなく女装でいた。
男装で一般人の目は誤魔化せたが、ヨルムには効果が無いことは、ホーストンの駅の件で実証済み。それならば、男装をしてその関連から男とバレるリスクをわざわざ負う必要もないので、今は地味目のワンピースに帽子、引き続きユキトに借りている伊達眼鏡という出で立ちだ。
長い髪は軽く二つに分けて結んでおり、歩く度に犬の尻尾のように愉快に動いている。アステルが頭を左右に動かしてるからだ。その様子から、今にもスキップし出しそうな、アステルの機嫌の良さが窺えた。
「そういえば、アステルってそれ地毛だよね。付け毛とかじゃなくて」
「ああ。もう七、八年この格好してるからな。どうせ女でいないといけないなら、この方が外れるとかそういう不測の事態が無いからいいだろ」
「もう少し短くても女の子に見えると思うけど、長くしてるのはどうして?」
「確かに孤児院にいた時までは、胸ぐらいまでだったな。ここまで長くしたのは、セーデル様……母様の趣味だな。俺の髪を弄るのが好きだったから。セーデル様が亡くなってからも、なんとなくそのままにしていただけで、もう切ってもいいんだけど。……そうだな。エルキン領を出たら、少し切ってみるかな」
「えー、勿体無いやないかぁ。ワイは長い方が好きや! それに、嬢ちゃんはそのぐらいの方が似おうとると思うでぇ!」
「そ、そうか。……ふん! まあ、俺ぐらいになると、なんでも似合うだろうけどな!」
そう言うと鼻を高くして、アステルは更に上機嫌になる。物珍しさに目を輝かせて、街中を見回ながら、いつしか鼻歌交じりで歩いている。
それが適当なものではなく、しっかり音程が取れていることに感心して話すと、
「歌が上手いのは当然! 俺は歌姫だからな!」
と、腕を組んで自信満々な顔で言った。ついでに、アステルに抱かれていたジョージの首が絞まった。
センター街の中ほどに来た。
幅広の道の左右で、敷物の上に品物を置いて販売している。路上店だ。道に置かれた看板に『出店自由』と書かれている。
それをちらっと見ただけで通り過ぎようとしたアステルに、ユキトが「ちょっと待って」と言って腕を掴んで引き止める。
「そんなに時間かけないから、少しの間いいかな?」
「へ?」
何が? と訊く前に、既にユキトはトランクを開け始めていた。
そう、ユキトは何故かトランクを持っていた。
ちょっとぶらぶらするのに、そんな大荷物は邪魔以外の何ものでもない。貴重品だけを持って、他は部屋に置いておけばいいのだ。
ユキトはトランクから、何かが入った袋を取り出した。アステルはそれを以前見た記憶があるが、中身は知らない。
ベルベット素材で、大きさは寝袋ぐらいだが、決してユキトがここで寝ようとしているわけではないことぐらい分かっている。
ユキトが袋の口を開く。と、中から出したのは、色形様々なアクセサリーだった。
閉じたトランクを台の代わりにして、それらをおもむろに並べていく。
「え、何。ここで商売する気? いくら周りもしてるからって――」
「まーまー、嬢ちゃん。黙って見ときぃな」
ジョージに言われるまま、一歩引いたところで様子を見ていると、ユキトが紺青のトレンチコートの前を開け、首に掛かるエクリュベージュの短い鎖を引っぱり、ペンダントトップを服の外に出した。鎖と同じエクリュベージュ色の、唐草模様のプレート。
(話には聞いていたけど、初めて見たな。あれがヤヴァン族の証か)
そう思いながら、アステルは緻密な細工のペンダントをまじまじと見る。
ユキトは軽く息を吸うと、いつもの満面の笑みで誰にともなく声を出す。
「アクセサリーいりませんか~? どれも僕のお手製です。お安くしますよ」
その声に反応し、更にユキトがヤヴァン族であると気づいた者達が、続々と集まってくる。それを遠巻きに見ながら、アステルは別のことを考えていた。
(さっきの話……『誰かの犠牲の上に立って生きるなら、胸を張って自分の人生を生き抜くべき』って、やっぱりユキト自身のことも言ってたんだよな)
ユキトの境遇はまさに、誰かの犠牲の上にある。
自らを“喰った”動物の魂を取り込んだ。戦争で自分が生き残る代わりに、多くの命を奪った。身内に殺人容疑が掛かったことで、少なからず家族は糾弾され、周囲の人間にも迷惑が及んだだろう。そして今も、他人の血を飲んで生きている。
その上に立っているユキトは、どんな思いでいるのか。アステルは深く考える。
(それがさっきの言葉に詰まっているんだろうな。いつも馬鹿みたいにへらへら笑ってるけど、その実、ただの脳天気な間抜けじゃないってことか――)
「おまたせ~」
物思いに耽っていたアステルの元に、へらへらした顔のユキトがやって来た。
ユキトの出した品物は好評で、瞬く間に売り切れた。撤収作業を済まし、ユキト達は再び歩き始める。
「よくもまあ、あんなに売れたもんだな。確かに、なかなか良い品ではあったけど」
「そりゃ嬢ちゃん、なんてったってヤヴァンクオリティやからな。ヤヴァン族ゆーたら、物作りにおいてはトップクラスの品質やて保証されとるし、それを格安で買えるんやから、みんな飛びつくに決まっとるわ」
「それでペンダントを見せて、ヤヴァン族であることを強調したわけか。それにしても、いつの間にあんなの作ってたんだ。あれみんな、本当にユキトが作ったのか?」
「うん。昔から手先だけは器用だったんだぁ。一応簡単な道具は持ち歩いてるんだけど、たまに細工物の町工場なんか見かけたら、そこで工具とか借りて作ったりもしてるよ。結構みんな、快く貸してくれるんだよねぇ」
「そないなもん、ヤヴァン族の神業が間近で見れるんやから、当然とちゃうんか。技術者としちゃ、少しでも技を盗みたい思うもんやろ」
「ん~、そういうもんかぁ」
「そういうもんや」
ユキトが納得顔で何度も頷く。こうして見ると、ただのぼーっとした青年だが。
(しっかりと言うか、ちゃっかりと言うか。こうやって旅費を稼いでいたわけだな)
アステルはアステルで納得した顔をするが、その表情は苦笑いだ。
「そうだ、アステル」
と、ユキトが声を掛けてきたので、アステルは振り向く。
「ちょっと手を出して」
「……なんで」
アステルが訝しげに睨むので、困った笑いを浮かべる。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。渡したい物があるだけだから」
「渡したい物?」
「ほら、手」
「…………仕方ないな」
顔を背け、「ん」とぶっきらぼうに掌を上にして片手を突き出す。すると、チャランという音と共に、掌に何かが落とされる感触がした。
見てみると、そこにあったのは青い石のついたシルバーの首飾りだった。
「一つ売りに出さなかった物なんだけど、アステルに似合うと思って。あげるよ」
「あげるって、これ高いんじゃないのか?」
「そうでもないよ。太陽の光がモチーフなんだけど、真ん中の石はアイオライトだし。ほら、アステルの瞳って青でしょ? だから、ぴったりだな~って」
「太陽なのに、青い石ってのも変な話だな」
「アイオライトは、羅針盤に使われていたって言い伝えがあるし、太陽とは密接な関係にあるんだ。それに太陽そのものは熱いから、冷たい水のようなこの石で、バランスを取っているんだ……って、僕の話って解りにくいかな?」
心配になって顔を覗き込むが、アステルは目線だけ逸らす。
(理解出来ないわけじゃないけど、発想が独特ではあるか? それはヤヴァン族だからなのか、ユキト本人の感性の問題なのか知らないけど、俺には考えつかないことだな――)
「――いや、別に。まあ、ユキトがそんなに言うんなら、俺が貰ってあげるけど?」
「うん。ありがとう」
普通貰った側が礼を言うのだが、二人はそれで良しとする。
アステルは金具を外して首に掛け、胸元に輝く青い石を見下ろした。確かに悪くないと、こっそり微笑む。
「これで嬢ちゃんも同じやな!」
「同じって何が」
「ほれ、ワイの首元も見てみぃな!」
言われて見てみると、ジョージの首にも首飾りがある。首輪と言った方が正しいだろう。革製の紐に、銀色のプレートが付いている。
「これも今の嬢ちゃんのように、ワイがユキトにもろうたもんや! どや? カッチョイイやろ! ワイの魅力を存分に引きたてとると思わへんか?」
「そ、そうかもな」
そうは言ってみるが、アステルは明後日の方向に視線を彷徨わせる。
ジョージの言うカッチョイイ首飾りは、明らかにドッグタグ――認識票と言うと何か聞こえが言いようにも思えるが、要するに迷子札だった。ユキトも恐らくそのつもりで渡したのだろうが、ジョージの口振りからして、多分本人は気づいていない。
アステルの肩に乗り、目の前で自慢して見せびらかすジョージに、アステルが苦笑を浮かべるのを、ユキトもまた眉尻を下げて笑って見ていた。
と、そこに――――。
「ユキト……? ユキトじゃない!」
そんな声が聞こえてきて、ユキト達はそちらに振り向く。
その直後、ドンッ! とタックルのようにして、ユキトに抱きついてくる者が一人。
肩に着くか着かないかの長さの髪は、小豆色の癖っ毛。アーモンド形をした、ややツリがちの目は葡萄色。
背は低めでミニスカートを穿いているが、歳は特別若いというほどでは無さそうだ。
そして何より外見で目立っているのは、豊満な胸だ。それが今、ユキトの体に押しつけられている。
アステルは呆然とその様子を見ている。
それはアステルにとって、見知らぬ女だった。