□1場 観光都市ミラティ
翌日は、昨日の霧が嘘のように晴れ渡っていた。
空がどんよりしていては、雨に敏感なアステルの気持ちも落ち着かないので、とても好い旅の始まりと言える。
――と思われたが、どうやら順風満帆とはいかないようだった。
不測の事態に、一同は困り果てていた。
「まさか、土砂崩れで足止めを食らうことになるとはねぇ……」
そう言って、ユキトはやれやれと首を振る。
現在、ユキト達はミラティの駅にいる。ミラティは東西に線路が伸びており、東がユキト達の来たホーストン方面で、西にあるのがオースラワーという町だ。そのオースラワーに続く線路の途中で土砂崩れが起こり、列車が動かなくなってしまったというわけだ。
一刻も早く、ホーストンから出来るだけ離れたいところなのだが、こうなってしまっては仕方ない。復旧するまで皆がミラティに留まることになるので、部屋が無くなる前に宿を取ることにした。
「まあ、都会は人で溢れてるから、紛れるには丁度良いんだよね。『木の葉を隠すなら森の中』ってよく言うけど、それは全くその通りなんだよ。そういう点では、立ち往生したのがミラティで、不幸中の幸いなのかな」
「ユキトはポジティブやな~。逆境でも慌てず騒がずっちゅうやつか」
「いや、脳天気なだけだろ! でなきゃ、長距離馬車が満員になる前に、その方法を考えついていたはずだ!」
「あ、ははは…………ごめんなさい」
イライラした目で睨んでくるアステルに、思わず頭を下げて謝った。
過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないと思ったのか、アステルは深々と溜め息を出してから、腰に手を当てる。
「それはともかく、ユキト。本当に宿の当てがあるんだろうな」
「ああ、それは問題ないと思うよ。前にミラティに来た時、知り合った人が経営してるホテルなんだけど。事情を話せば、一部屋ぐらい都合してくれるんじゃないかな」
「ホテル王の知人がおるんか!? 凄いやないか!」
「あれ、ジョージは知らないんだ?」
「嬢ちゃん、なんか勘違いしてるようやけど。ワイかて、ずっとユキトとおるわけやないんやで? 一緒に連むようになったんは、ほんの一年ぐらい前やし、そう何でも知ってるわけや無いんやから」
「あ、そうか。そういえば、そんなことも言ってたっけ」
二人の会話が途切れたところを見計らって、ユキトは困った顔で笑う。
「一つ訂正させてもらうと、『ホテル王』なんて、そんなたいそうな人じゃないよ。経営してるホテルも一つだけだし、本人も商才は無いって言ってたからねぇ」
「そうなんか? ま、どっちにしろ泊まるとこがあれば問題なしやな! ほら、さっさと行くでぇ! 飯がワイを待っている!」
寝るところより食べ物のことなのか、と思いつつも二人は苦笑をしただけに留め、とりあえずホテルを目指して歩く。
ミラティは近隣最大の都市だ。金儲け好きな領主の意向もあって、街の華やかさにかけてはホーストンもなかなかだが、ミラティはそれを上回る観光都市である。
南側はセンター街を始めとして、商店が軒を連ねる商業地帯で、ホテルもここに多く立ち並んでいる。北側には伝統的な街並みの住宅地が集中し、その更に北には自然豊な山地があり、多様な観光スポットがあるのが特徴だ。
今ユキト達が歩いているセンター街は、ドーア国内では田舎な方のエルキン領には珍しく、現代の技術で造られた建物が立ち並ぶ。
利便性と芸術性が同居した綺麗な石造りのビル群と、店の壁のそこかしこにあるネオンサインを、アステルは口を開けながら見上げる。ホーストンも近代化しつつあるが、こんな物は無いので、珍しさに目を大きく開く。
「あ、アステル。ホテルはそっちじゃないよ。こっちこっち」
そう言って手招きするユキトは、センター街から一本外れた道に入った。そこは開発途中なのか、急に暗く静かで、さっきの喧騒が嘘のようだった。
その道の片隅で、ユキトは足を止める。
「着いたよ~。ここが知人の経営する『ホテル・アノロイド』だよ」
「「…………ここ?」」
アステルとジョージが同時に呟いた。二人して、胡散臭そうに前方を見る。
どう見ても、寂れた小さなホテルだった。ミラティの都会的なイメージとは真逆で、明らかに作業が雑なでっぱりの多い煉瓦造りの、歪な二階建ての建物。その壁面には、罅割れがあったり、蔦が絡まっていたりで、どこを褒めていいのか判らない。
「な、なかなか趣のある外観やな~……」
(おお、褒めた)
アステルが感心している間に、ユキトは扉を開けて声をかける。
「オノリイヌ~。いる~?」
「ぬ? その声はユキトだな」
中から成人男性の声がして、アステルはユキトを避けて横から覗く。
しかし、そこには誰一人おらず、いたのは大きな犬が一頭のみ。黄金色の毛をした成犬のゴールデン・レトリバーで、何故か黒縁眼鏡を掛けている。
と、急にユキトは犬に向かって頭を下げる。
「ご無沙汰してます。それで、いきなりで悪いんだけど、部屋空いてる?」
「お前は相変わらずだね」
そう言って溜め息を吐いたのは、紛れもなく黒縁眼鏡の犬だった。
唖然とするアステルとジョージを置いて、ユキトと犬は話を続ける。
「部屋なら腐るほど空いてる。好きなだけ泊まっていくといいよ」
(外観のおんぼろさからしたら、本当に腐っていそうだな……)
などとアステルが内心思っていると、ふと自分を見る犬の視線に気づく。
犬はまじまじとアステルを見て、「うぬ」と何やら頷くと、ユキトに向き直る。
「時に、ユキト。いつになったら連れを紹介してくれるんだい?」
「あ~そうだねぇ。この子はアステルで、僕の肩にいるのがジョージ。――二人とも、こちらがお世話になるこのホテルのオーナーで、名前はオノリイヌ。通称、眼鏡犬」
「何が眼鏡犬だ。そんな呼び方、わしは認めていないよ」
文句を言われても、ユキトは変わらずニコニコとしている。それを見ていて怒る気が削がれたようで、オノリイヌは舌を垂らして溜め息を吐くと、背を向けて歩き出す。
「まあいい、ついておいで。部屋へ案内するよ。二人部屋でいいだろう? 特別に一等部屋を貸したげるよ」