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男姫様は魚がお嫌い  作者: 川咲弐号
■ 第3幕 ■
12/25

□2場 夜霧に紛れ

 夜になった。いつもは賑やかなホーストン中に、今日ばかりは静寂が訪れる。

 というのも、今夜は霧が出ているからだ。


 ホーストンでは時々今日のように霧が立つことがある。そういう日は外出を避ける者も多く、今のように夜だとなおのことで、酒場などに寄り道せず早々に帰宅する人が大半を占める。故に、人目を忍んで移動しやすい。

 それに、今日はいちだんと霧が濃いように感じる。シャオンが言うように『夜霧に紛れる』には、まさにうってつけの日だった。

 シャオンは、今日霧が出ることを予知していたらしい。そう言うと大袈裟だが、要するに近頃のホーストンや他地方の天気から鑑みて、そこから霧の発生を予測したのだ。


「シャオンは優秀だね」

「そんなことはありません。たまたま当たっただけですから。それにもし予想出来たとしても、近日中に霧が出る日が無い可能性もあったわけですし、しかも夜に出るなどというのは本当に運が良かっただけです」


 そんな風にシャオンは謙遜しているが、ユキトは素直に感心する。

 ユキト達三人はシャオンと合流し、彼女の手引きで警備の穴を抜け、夜の街を走っていた。元々手薄ではあるが、油断することなく慎重に移動する。

 先頭にシャオン、その後にアステル、最後にジョージを乗せたユキトの順で、一列になって行動している。

 そのしんがりを勤めるユキトが、前を走るアステルに小声で話しかける。


「大丈夫? 寒くない?」

「こ、このくらい平気だっ」


 僅かに強い口調で言うものの、アステルの体が震えているように見える。

 ユキトは自分の、シャオンはアステルの荷物を持っているが、アステルは手ぶらでいる。その代わり、自らが今着ている、色が地味なレインコートのフードの端を持って目深に被り、霧からも人の目からも自分の顔を守っている。

 霧だろうと何だろうと、体が濡れれば人魚化してしまう。そうなったアステルを連れて移動するのは困難なので、当然避けなければならない事態だ。

 幸いにと言うべきか、人魚化するにはかなり全身に近い、大部分が濡れないとならないらしいので、レインコートをしっかり用意している今は大丈夫と言っていい。それでなくとも、かなり着込んでいるようなので、直接肌が濡れる心配は無いだろう。

 それを思うと、アステルが今震えているのは、寒さからではないようだった。


 あまり喋っていて人に気づかれてもまずいので、ユキトはそれ以上何も言わず、しんがりの役割をまっとうすることに集中する。

 警戒しながら時間を掛けて進み、ようやく駅に着く。

 発車時刻までもうあまり時間が無いので、目当ての最終列車は既に待機している。

 乗客ももう乗車しているようだ。もっとも、こんな夜遅くの列車に乗る客はさほど多くはないだろう。


「さあ、アステル様から」


 シャオンは主を促し、先に乗車させる為に前へ行かせようとする。

 だが、そのシャオンが前方を見て、急に眉根を寄せ、アステルを押し留める。


「シャオン? どうして――」


 異変に気づき不審げに訊ねるアステルが、シャオンの肩越しにホームの先を見る。

 すると、今度はアステルが顔を強張らせた。


 ユキト達がこれから乗ろうという列車が止まったホームの中ほどに、男達が立っていた。以前アステルを追いかけていたのと同じ制服というところからして、エルキン領主の手の者だと一瞬で理解する。

 何故ここにいるのか、などというのは愚問だろう。行動が読まれていたのだ。


 男達のうちの一人――唯一他と少しデザインの違う制服を着た人物が、一歩前に出る。

 男は、他の者達と雰囲気が異なっていた。風格とでも言うのか、醸し出すものが常人のものと格が違う。

 見たところ、歳は二十代後半ぐらい。背はそこそこあり、体が大きいというわけではなく細めの気がするが、少なくともユキトなんかよりはガタイが良く、胸や肩はしっかりしていそうだ。

 顔はむさ苦しさとは無縁なほどに整っているが、表情に乏しい。霧に溶け込む灰青の髪。翡翠のような瞳は、どこか冷めているように見える。


 その瞳で男はアステルを見る。


「見つけたぞ」


 男のたったそれだけの言葉に、アステルがビクッと僅かに体を震わすのを、ユキトは見逃さなかった。アステルにとって、男の存在は脅威なのだろう。

 それを悟られないようにか、アステルはユキトが貸していた伊達眼鏡を外して睨みを利かせると、『エルキン領主の娘』として気丈に振る舞い言い放つ。


「ヨルム……あなたがここにいるとは思いませんでした。父様が最も信頼する傭兵。そんな人物を、私の捜索なんて任に当てるなんて。いえ、それ以前に、あなたがその程度のことを引き受けるというのが意外ですね。父様と屋敷を護る衛兵としての仕事に、誇りを持っているようでしたのに」


 ヨルム、というのが男の名前なのだろう。

 強気なアステルの態度にも、ヨルムは至って冷静に切り返す。


「私はただ主の命令通り、任務を遂行するのみ。私自身の感情を優先することは無い」

「あらら、つまらない男だこと」

「無駄口はいい。アステル嬢、大人しく屋敷に戻って頂こうか」

「嫌だ、と言うに決まっているでしょう。そうでなければ、家を飛び出すなんて大それたことするわけないじゃない」


 アステルの拒否に、ヨルムの顔つきが初めて変わった。眉がぴくりと動き、目の表情が更に冷えたものになる。


「そうか――ならば、力尽くで連れ帰るまで」


 そう言って、ヨルムは腰に帯びた鞘に手を掛け、すらりと刀剣を引き抜いた。片刃で片手で扱う――所謂サーベルという物だ。先が僅かに反った長い刀身が、鈍い光を放つ。

 それを見て、シャオンがさり気なくアステルを背中に隠す。

 振り向かず、アステルに荷物を握らせながら、小さな声でユキト達に話しかける。


「いいですか。発車まであと数分もありません。発車一分前に私が合図をするので、全員で一斉に走り、ヨルム達の横を抜けて列車に飛び乗って下さい」


 ユキトが眉をハの字にして笑う。


「それはまた、単純だけどかなり思い切った手だね。向こうからの妨害は必至だよ?」

「大丈夫、私に策があります」


 シャオンが自信を持った声で言うので、他の面々はそれを信じることにした。

 ヨルムは他の兵に「手を出すな」と言うと、また一歩進み出て、指差すように刃先をアステルに向ける。


「さあ、アステル嬢。こちらに来て頂こう。丸腰の相手を切ることはさせないでくれ」


 従わなければ切るという、あからさまな脅しだ。端麗な見た目に似合わず、性格は荒っぽいようだ。

 だがアステルは脅しに屈することなく、口を引き結んで睨み返す。が、手はきつく握られ、緊張から震えている。


 このまま睨み合いが続くかに見えた――――その時。


 列車の汽笛と共に、シャオンが手を動かした。それと同時に、ユキトとアステルは走り出し、二人が追い越したのを見届けてからシャオン自身も走った。

 ヨルムの舌打ちが聞こえ、動く気配を背後で感じた。だが、追ってくる足音がしない。

 ユキトは不審に思いながらも走る足を止めることなく、そのまま列車の乗車口に飛び乗ると、後から来たアステルの腕を引っ張って乗せる。

 しかし、その後に続くはずのシャオンが来ない。


 二人は乗車口から顔を出して、後ろを振り返る。

 と、そこには腕いっぱい両手を広げ、ヨルムの進行を阻むシャオンの姿があった。


「シャオン!? 何やってるの! 早く!」

「くっ! そこを退け!」


 アステルとヨルムに前後から怒鳴られても、シャオンは一歩も動こうとしない。

 駅員が困った顔で、ユキト達とシャオン達を交互に見て、最終的にシャオンに訊ねる。


「時間なので発車したいのですが、お客様お乗りになるんですか?」

「いえ、今すぐ行って下さい!」


 駅員は「分かりました」と頷いて、車掌に指示を送る。

 視線はヨルムに向けたまま、半分だけ振り向くと、滅多に感情を顔に出さないシャオンが僅かに笑った気がした。


「アステル様のこと、どうかよろしくお願いします」

「シャオン! 何言って――ユキト、放せ! シャオンが…………っ!」

「駄目だよ! 扉が閉まる!」


 シャオンの元へ行こうとするアステルを引き戻した直後、列車の扉が閉じられた。車輪の振動と音がして、列車が動き始める。

 アステルはガラス窓に張りつく。

 過ぎ去る駅のホームにあるシャオンの背中が、霧に消えるまで眺めていた。

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