□5場 笑顔の裏の暗部
ユキトは、アステルのしたことを怒ってはいなかった。むしろ驚かせてしまって申し訳ないとすら思っていた。
アステルが落ち着きを取り戻した頃を見計らって、頬をぽりぽり掻きながら訊ねる。
「えーっと…………いつから見ていたのかな?」
ジョージと共に倒木の上に座るアステルは、気まずそうに視線をきょろきょろ動かし、最終的に俯いて地面に向かって答える。
「ホテルの部屋を出たところ、から?」
(それはつまり、血を飲んだとこだけじゃなく、盗みに入ったとこも見られてたのかぁ)
流石のユキトも苦笑いを浮かべるが、すかさずジョージがフォローを入れる。
「嬢ちゃんはな~んも悪ないでぇ。気になったから追いかけただけなんやからなぁ。知りたい思うんは生き物の本能や」
と言って、アステルを労るように、小さな前足でぽんぽんと叩く。その後ユキトを見上げ、心なしか愉快そうに言う。
「ほんで、ユキト。こうなったらホンマのこと言うんやろ?」
「う~ん。やっぱり、そうなるよねぇ」
そう言うと、今度は頭を掻く。座るアステルの真正面に背筋を伸ばして立ち、いつもより少し真面目に表情を引き締める。
アステルは顔を上げる。月を背にするユキトの姿はどこか幻想的で、普段の様子との違いに無意識にドキッとさせられる。
浅く息を吸うと、ユキトは口を開く。
「隠すつもりは……まあ、無かったとは言えないけど。それはアステルだからというわけじゃなくて、誰に対しても同じなんだ。それだけは解って欲しい」
今まで無かった風が、急に吹き始める。木の葉が流れ、ユキトの茶色い髪が揺れる。
黒茶の瞳が、アステルの青い目と視線が交わると、ユキトは告げた。
「僕は――――僕も、“喰われた”人間だ」
さわさわ、と草が鳴る音と共に、その言葉はアステルの耳に届いた。
なんで自分が“喰われた”ことを告白した時に言ってくれなかったのか、と文句を言いたかったが、グッと堪えて引っ込める。
“喰う”“喰われる”に関わった者に、それを求めてはいけないと、身をもって理解している。人魚と云われている今はともかく、昔は何があっても必死で隠していたのだから。
が、他に何を言えばいいか判らず、すぐには反応を返すことが出来なかった。
アステルの反応を待たず、ユキトは続ける。
「僕はチスイコウモリに“喰われた”ことで、その魂を取り込んでしまったんだけど。アステルが水に濡れると魚の足になるように、魂の変化で体質が変わることは多い。それが僕の場合は、血を摂取しないといけない体質になってしまったんだ。アステルが『人魚』なら、僕は『吸血鬼』と言ったところだね」
吸血鬼と言われても、アステルはピンと来なかった。
牙が生えている等のそれらしい身体的特徴は無いし、本で出てくるものは品のある紳士であったりするが、ユキトは高貴さとは無縁であるようにアステルには思える。
(だいたいが、馬鹿みたいに笑顔ばっかりだもんな)
ただ、今は笑顔ではないので少し落ち着かない。
それに気づいたからでもないが、ユキトはアステルから視線を外す。
「僕の体は、普通の人間が必要とする栄養をとらなくていい代わりに、動物の血肉を食べないといけない。まあ、それはハムとかステーキとか食べてればいいんだけど、それだけじゃそのうち持たなくなってきて、定期的には人間の血を飲まないといけないんだ。よく分からないけど、同じ人間の血だから吸収率高いのかな、と僕は勝手に思ってる」
「ふーん。それで輸血用の血を飲んでたのか」
ようやく喋ってくれたアステルに少しホッとして、ユキトは幾分表情を和らげる。
「本当のことを言えば、牙とかは無いけど、強く吸ったりすれば血が滲んでくるから、直接人間から飲むことも出来るんだけど……『人を食らう』みたいな気分がするから、非常時ならともかく、極力やりたくないんだよね。だから、病院に入ってちょっと失敬させてもらうことが多いかな」
「まあ、盗みは良くないけど、人を襲うよりはマシかもしれないな。それこそ、吸血鬼なんて言われても仕方ないからな。でも、そもそも血を主食にしているわけだから、吸血鬼というのはあながち間違ってもいないのか?」
「うん……とはいえ、だ。さっきは便宜上、吸血鬼なんて言ったけど、実際は単なる“喰われた”人間だから、別にニンニクや十字架が苦手だったり、日の光に弱かったりはしないんだけどね。チスイコウモリにそんな特性は無いから。胸を杭で刺されたら普通に死ぬしね、多分。だから、吸血鬼と間違えられて退治されるのは非常に困るんだよ」
「確かに……。それにしても、なんだってチスイコウモリなんかに“喰われる”ことになったんだ? 全然いないなんてことも無いけど、わざわざ生息地に足を踏み入れない限り、ドーア国内で遭遇する可能性低いだろ」
「その話をすると長くなるけど――」
と、言葉を切る。見ると、アステルが真っ直ぐな目で、ユキトの方を見つめていた。
ユキトは目を瞑って軽く溜め息を吐くと、解りましたと言うように肩を竦めてみせる。
無言で外した手袋をアステルに渡し、自らも倒木に腰を下ろす。
「ヤヴァン族が戦争の道具を作っていた、という話はジョージから聞いたそうだね。先の戦争が始まったのが、もう九年前かぁ。アステルはその時のこと覚えてたりする?」
「五、六歳ぐらいの頃の話だから、本当にうろ覚えだけど、なんとなくは……」
「隣国との不和から始まって、その一年後にドーア国側の勝利に終わった。その勝利の立役者が、ヤヴァン族の技術者達と、戦地に赴き戦った“喰われた”人達だ。後者の一人に、僕は含まれていた」
ユキトが貸した手袋を、填めようとしていたアステルの手が止まる。ユキトが戦場を経験していたということに、少し驚いていた。
「ヤヴァン族もドーア国民だけど、基本的に国はヤヴァン族内のことに干渉しないことになっているんだ。自治区だからね。でも、国の有事の際は別だ。先の戦争でも、ヤヴァン族の十歳以上の子は、男女問わずほとんど召集されたよ。ある者は武器を作らされ、ある者は戦地へ。族長も国の方針に賛同していたし、僕らはただただ従った。そして、強かった僕らは生き残った」
填めてみるとユキトの手袋は、アステルには大きかった。だが気にしないことにする。
ユキトは珍しく、自嘲するような笑いを浮かべる。
「――という話は、全部結果に過ぎないけど。その前提に、ヤヴァン族の掟の話がある。掟……と言うより『儀式』とか、『実験』とか呼んだ方が解りやすいかな?」
肘を足の上に置き、指を組む体勢に変えて、ユキトは話の続きをする。
「ヤヴァン族は予てより“喰われた”人間に、民族がより優れたものへと進化する、その可能性を見出していた。簡単に言うと、“喰われた”人が沢山いれば、ヤヴァン族が強くなれるんじゃないか、みたいなことだね。その為には、“喰われた”ヤヴァン族を数多く用意しないといけない。そこで、選ばれた民の魂を人為的に“喰わせる”ことで、“喰われた”人間を作る計画が族内全体で進行していたんだ」
「なるほど。その計画にユキトも選ばれたわけか。でも人為的になんて、そんなことが可能なのか? いや、それよりそれをみんなで許してるっていうのが、俺には解らないな」
「結論から言えば可能なんだよ。生きる意志の強い者を、動物に生け贄のように差し出すだけだから。勿論、必ずしも成功するとは限らない。魂の主導権を奪われてしまえば、失敗作となる。そんなことを繰り返し繰り返し――。アステルが言うように、それを皆が皆良いとは思ってないんだけどね。ただ、反感を持っていてもヤヴァン族にとって、族長とその下の幹部の集まりである『貴族会』の存在は大きいんだ。彼らが決めたことは絶対と言ってもいい。それが掟だから」
そこまで話すと、今まで大人しくしていたジョージが口を開く。
「ヤヴァン族には、そういった闇の部分もあるんや。その闇のせいで、ユキトは人生を狂わされたと言ってもええかもしれん。ユキトはな…………殺人容疑をかけられて、ヤヴァンの地を出た逃亡者なんや」
隣でアステルの表情が強張ったのを感じたが、ユキトは気づかないふりをして語る。
「きっかけは、近所で多発した連続通り魔事件だった。そのうちの数件は、被害者が亡くなった。警察がどういう捜査をしたのかは知らないけど、僕に目をつけてきた。戦争が終わってから、僕は一部の人に疎まれていた。『吸血鬼だ』って言ってね。でも僕の家がそこそこ大きかったから、表立って何かをしてくることは無かったんだ。それが、通り魔事件が起こるようになってから、急に『人殺しの吸血鬼』と噂を流し始めたようで。でも不運なことに、容疑を解くだけのものが、僕には何一つ無かった。証拠も、証言も。警察に言われたよ。目をつけた人物の中で、僕だけが犯行を起こしえたんだって」
困ったように寄せられた眉間の皺を隠すように、指を組んだ手に顎を当てる。
「逃亡は最終手段だった。ヤヴァンの地を出れば、ヤヴァンの警察も下手に手を出せなくなる。ドーアがヤヴァンに干渉出来ないように、ヤヴァンもドーアに干渉出来ないから。だから家族と、親しかった者達の計らいで、僕はヤヴァンの地を逃げ出した。そのまま残って、執拗な追及の手が伸び逮捕されても、どのみち家族とは離ればなれだったし、あの時にはもう婚約は解消されていたし、何一つ良いことなんて無かったんだ。だったら、一縷の望みに賭けて、無実が証明されるまで逃げ延びて待つ方が良いと、僕もみんなも思って選んだ。例えそれまで故郷に帰れなくとも、生き延びてさえいれば良いんだって――」
家族にも友人にも元許嫁にも、いつか会える日を願って、ユキトはそっと目を閉じる。
と、急にジョージが尻尾でバシバシと背中を叩いてくるので、顔を上げる。
「ほんで、ええこともあったやろ? 危なっかしいユキトのお守りをしてくれる、心優しいワイに出会うことが出来たんやからな!」
胸を張るジョージに、ユキトは「はいはい」と言って小さく笑う。
「ま、ワイとしては、完全な貧乏くじやったけど。一度“喰われた”人間の魂は、どうしたって“喰う”んは無理やからな」
「そうなんだ? ジョージがユキトを“喰う”のに失敗したって、それで?」
「せや。人間には分からんかもしれんが、簡単に言うとな。魂を“喰う”ゆーんは、相手の魂の隙間に割り込んで、自分の色を浸食させるようなイメージや。隙間ちゅうのが、一つの魂に一つだけなんや。せやから、“喰われた”人間の魂の隙間は、前に割り込んできたやつの絵の具がいっぱい詰まっとってるみたいに埋まってて、“喰う”隙が無いんや」
「ふーん。それは初耳だ」
「そーゆーわけやから、ユキトも嬢ちゃんも、それ以上“喰われる”ことは無いで。ちなみに、一度“喰った”ことがあるワイが、“喰われた”ことの無い魂を、改めて“喰う”んは可能や。相手が“喰える”状態なら、“喰う”側はどんな条件でもオッケーや」
「――と、それをさせない為に、僕はジョージを見張ってるんだけどね。本当にお守りをしているのは、僕の方なんじゃないのかな?」
それを聞いて「なんやて~!」と食ってかかるジョージを、ユキトは片手で押さえる。
その顔は笑ってるがどこか寂しげで、アステルは思わずユキトの袖を掴む。
「あ、その…………う、上手く言えないけど! 秘密を共有することで、痛みを分かち合うことは出来るわけで……。だ、だからユキトは、俺に感謝してもいいぞっ!」
と言って、今度はアステルが胸を張ってみせる。その一生懸命気持ちを伝えようとする姿に、自然と柔らかい笑みが出る。
ユキトは手を伸ばし――一瞬躊躇するが――アステルの頭を優しく撫でた。