□1場 世界の中心で魂を“喰う”
この世界の全ての動植物には魂がある。当然人間も例外ではない。
魂がどんな形をして、どんな色をして、どんな大きさをしているのか、それは人それぞれであり、その人が辿ってきた人生によって変化するものでもあり、そして魂を見ることで寿命も分かる。
しかし人間には魂を目視する力は無いので、自分の魂がどんなものなのかを知ることは出来ない。
だが、魂を見ることが出来るものも存在する。感覚が鋭敏な動物、特に長生きした知力のある動物はそういった不思議な力を持つという。それを人は妖狐であったり、猫又やケット・シーであったり、呼び名が無いものも多いが、特殊な存在として扱ってきた。
その魂の見える動物たちの中には、他の生き物の魂を魅力的に思うものがいる。死に取り憑かれ命を長らえたいと願うもの、単純に強さを求めるもの、他にもそれぞれの思惑があって魂を欲する。
自分の魂の輝きを力に変え、対象の魂を自分の物にしようと取り込むこと――――それは、魂“喰う”と形容される。
長生きする生き物の魂は狙われることが多いという。中でも人間の魂は格別で、体格や強さの割りに長生きで、個体数が多いのがその理由。
魂の主導権を競り合い、負けて“喰われた”人間は死ぬことと等しく、魂だけでなく、その姿まで取られる。狼男のように、人間の姿を手に入れた動物の例は少なくない。
またそれと同時に、“喰われた”にも関わらず、魂の競り合いに打ち勝った人間の例もある。
“喰った”側の魂を逆に吸収することで死ぬことはないが、それによって魂が歪み、動物でも人間でも無い異質な存在となった者は、吸収した魂の持ち主であった動物ごとに違った特殊な力が備わり、時に崇められ、時に忌み嫌われる。
そんなことが日常的に起こりうる世界で、“喰われた”人間の存在は人々の生活に根づいていった。